北羊の楼
第一章 祖父の思いやり
山を越えた建塘の都では既に夏の暑さは頂点に達しているが、山間は春から暖かくもあり涼しくもある爽やかで、金沙江の流れも美しく輝いていた。時折厚い霧の中から顔を出す岩肌は槍のように角ばっていて、雪が覆いかぶさっていた。
親はまだ仕事中だ。いつもならそろそろ帰るはずだが、村に入る兆候もなく、私は一人日が暮れていくのを眺めていた。私には特に遊ぶ友達もいなく、川の流れをゆっくりと眺めながら犬と遊び、親の帰りを待つのが毎日のことになっていた。
「ただいま」
そう聞えたが、それは親の声ではなかった。振り返ると建塘の都に出稼ぎをして帰ってきた私の兄であった。私は歓喜のあまり兄に飛びついた。しかしそこから生命の息吹は感じられなかった。彼は私に抱き着いて離れようとしないままで、私が何かを悟る前に彼の口は開いた。
「ゴメン、俺が支えられなくて。」
そして私は悲しみのあまり床を這うように涙をこぼした。十歳の私には無力で何もすることはできなかった。彼は仕事の途中であやまって馬車に引かれてしまったそうだ。
兄は
「お前が良ければ、ついてこい」
そう一言言って山を登り初めた。そこには小さな建物が砂に埋もれていた。私はなんの躊躇いもなくその建物の中に入った。その時兄はふと消えてしまった。
私はその廃墟を探索しながら奥へすすんだ。そこには小さな木箱と手紙が置かれていた。
「―山を越えし一族に次ぐ、此金百斤を持ち山を下り街に出なさい。」
そう書いてあった。それは兄の文字ではなく祖父の文字だった。祖父は無口だが文字の芸術性にはたけていて、置手紙で言いたいことは伝えていた。その祖父も昨年にはなくなっているが、なぜこんな遠くに置手紙を添える必要があったのだろう。
「父さんの父さんがいってた」
という感じであくまで私の意思ではないように村を出ることを伝え旅に出ることに決めた。私は思い金百斤を持ち山を下り最初に建塘の街に降りた、そして兄が生前に暮らしていたらしい小さな家に泊まることにした。するとそこにはなぜか亡くなったはずの兄がいた。そして声をかけると何もなかったように私と顔を合わせた。
「え?死んだんじゃないの?」
「は?」
「俺が死んだ?」
「馬鹿な」
私は全く何か分からなかったが、私はすべてが分かった、祖父の霊が兄に化けて私を村から追い出したのだと。私はばかげていると思い、なんどか村に戻ろうと決心した。村へは三日程度の道のりで高い山を何度か越えなくてはならない。私は戻る途中、足を濡らしながら進むも湯堆村という村の途中で
「この先は誰も通ることができないくらいぬかるんでいる」
ということを耳にして諦めた。
その後も何度か村へと戻ろうとしたが、まるで神がそれを止めるようにいつもどこかで遮られ、建塘に戻ることとなった。これが最後だと決心し村へ向かうと晴天の下思いのほか順調に道がすすんだ。しかし最後、村を山から見たときに愕然とした。村はなくなり、濁流の河に飲まれていたのだ。私は祖父に助けられたのだと思い、
「あぁ、おじい様なんとお礼をすれば」
と一人山の頂で祈りをささげた。そして私は建塘の兄のもとへ戻り、親の供養も行った。その日の空は澄み渡り遠くの山々まで見渡せた。
第二章 旅立ち
あれから五年が経った、私は立派な青年になり一人で働けるようにもなった。そろそろ兄に頼るのを辞めて自分で働きたいと思うよになった。私は兄に背中を押されて街を出ることにした。村に戻ろうとしても、もう村には何もない。私は好奇心のあまり更に東に行きたくなり、街を飛び出した。私はとにかく東へと向かって山を越え、湖を越えた。すると涼山の金陽という所から突然と夢でも見たような平地が見えた。私は駆け足で山を下った。
それから何日が経っただろうか、私は大きな重慶の街の中にいた。昭通という大きな街の中にいた。私は鋳造の仕事を見つけ、酒場で友達を見つけ楽しい毎日を過ごしていた。毎日酒場に通うことが日課になってたある日友達とこんな話になった。
「鋳造は羨ましいよ農業とかと違って天気に左右されなくて。」
「でもおやじの機嫌には左右されるよ。」
「農家だとたまに建物も羊の豚も全部流されて川の中に飲み込まれちゃうから」
その言葉にハッとした、あの時流されたほかの人々はどうなってしまったのだろうか、と。それでもそれを確認するために千里も歩くことなどできるわけがない。私はじっと我慢して会話を続けた。
第三章
ある日、雨は止む気配もなく1週間降り続けていた、職場でも雨漏りが深刻で、鉄が冷えてしまうため有給で工場が停止している。私からすると幸運のほか何でもない。最近は夜間学校にも通いわりと裕福な生活を送っている。手紙で兄ともやり取りすることができているのだ。
夜になると何日も続いた雨はやみ、街の明かりを囲むように霧が現れた。私は湯堆でじっとしていた時もこんな風景であった。私は友達に
「今夜夕食でもどうだい?いい餐廰があるんだ。」
と言われ家を出てぬかるんだ道を歩いた。彼についていった先には小さな食堂があり、そこで私たちはお互いのことを真剣に話し合った。私は十歳の自分におきたことを話は始めた。
「俺が十歳だった時、街から帰ると突然村がなくなって川の底に沈んでいたんだ」
そう話すと彼は重くうなずいてから
「自分にも似た境遇のことがあって、彼は四川省の攀枝花の近くにある雅奢江という大きな河の畔に住んでいた。しかし気が付くと村はなくなり、河の隣には大きな壁が立っていた。私のその時彼も十代で君と同じようにまともに教育も受けられなかった私たちは何か分からなかった。」
と話した。彼は夜間学校では私よりもはるかに上の学年で、彼は
「それはダムというものである。」
と話した。そのダムは水を貯えたり電気を作ったりするのに使っているらしい。漢字もあまりよめない私には難しい説明だった。
彼は
「街が成長するには犠牲にならなければいけないものもある。」
と言い、私の怒りは絶頂に達したが、憎める相手はそこに誰もいない、私は虚しさを我慢しながら家に戻り涙をこぼした。しかしそれは予定して行われるもので突如としてできるものではないと聞くと、どこかにまだ家族や一族がいるかもしれないということが過った。しかし友達もろくにいなかった私は戻ってもいいことなんてないのかもしれないと思い、兄に
「なぜ家族がいるかもしれないということを伝えてくれなかったのか」
と手紙を送った。しかし返事はなかった。
友人は「お前の村の近くに戻って家族を探すのか?」
と何度か聞いてきたが、
「今更安定した職や友達を捨てることなんてできないよ。」
そういって私は昭通で骨を埋めることにした。雨は上がり、昭通からも遠くの山々が見渡せた。やけにその山々が近く感じるようで、その時の虚しさも枯れたように晴れた天気だった。