第十九話 例の路地裏にて……
ある日、兄さんに新刊の魔導書を買って貰うために、共に本屋へと向かった。
しかし、どこの店も売り切れていて、街中歩き回ることになってしまった。
六軒目に差し掛かったところで、兄さんが「疲れた」と言う。流石は、僕より五つも上だけはある。だから、外のベンチで待ってもらっていることにした。
「兄さん。またなかったよ」
──あれ?
兄さんが座っていた青いベンチに、兄さんが居ない。
どうやら、兄さんは何処かへ消えてしまったみたい。
「どこ行ったんだよ」
しばらく探していると路地裏から兄さんの声が聞こえた。
僕はそこへ向かう。しかし、聞き覚えのある声に一瞬足が止まった。
忘れようとしても何度も思い出すその光景──。
その腐った声の持ち主が頭に浮かび、それと同時に嫌な予感がした。
はやく駆け付けたいのに、体がそれを拒否しているかのように足が重たい。
「──兄さん?」
僕は、優しいから彼らを許そうとしていた。
復讐なんて面倒だしどうでもいいや──そう思っていた。
しかし、僕の目の前に広がる光景を見て、僕は腹の底から湧いてくるその感情を無視できなかった。
なぜなら、兄さんが、血まみれで地面に倒れていたからである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
金髪のロングヘアに、赤い服の女は今日も酒場で酒を浴びていた。
「ローズ。もう金が底を尽きたぞ。新しいターゲットを見つけねぇと」
そう言った男は、前歯に一本だけ刺さっている金歯を光らせ、不気味な笑みを浮かべている。
ローズと呼ばれた女は、空になった酒のボトルを名残惜しそうに眺めていた。
すると、ローズの視界に、青いベンチに座っている男が映った。
高級ブランドの服を着て、高そうな小物を身につけている。
「あいつにしましょう?」
そう言って、金歯の男に目配せした。
金歯の男は不気味に微笑むと、首を縦に振った。
ローズはベンチに座っているその男に聞こえるように、近くのひとけのない路地裏で悲鳴をあげた。
すると、ローズの狙い通りにその男はやって来た。
「君たち! その女性に何をしているんだ?!」
男はそう言った。
ローズは禿げた男と小柄な男に襲われる振りをして、彼の助けを待った。
そうして、その禿げた男と小柄な男を、助けに来た男によって倒させた。
それから、その男はローズに駆け寄った。
「怪我はありませんでしたか?」
そう問う男にローズは、
「ありがとうございました!」
と微笑んで答えた。
それから、ローズはその男に抱きついた。男は頬を赤らめ照れている。
その時、ローズは思い出した。
前に殺したことがある人物を──。
この男はその人物によく似ていると思った。
しかし、抱きついた時の反応は正反対だとローズは思った。
そして、その人物とは違って、すぐに助けに来てくれる優しい男だとも思った。
しかし、ローズはその男の腹にナイフを突き刺す。
「……っ!!」
男は、何が起きたのか状況を把握する前に、地面に倒れた。
そんな男を見て、ローズはまたその人物を思い出す。
前に殺した人物は、なかなか自分の色気に乗って来なくて、その日やけ酒したことを──。
「──兄さん?」
ローズの回想を破り、現実へと引き戻したのは、前に一度殺したことのあるその人物だった。
黒髪に深い青の瞳、その感情を感じ取れない綺麗な表情をローズは強く記憶していた。
「やべー! 人が来た! ローズ! 逃げるぞ!」
物陰に隠れていた金歯の男が、ローズに促す。
しかし、ローズは動かなかった。いや動けなかったのである。
自分が刺し殺した少年が、今目の前で呼吸をしていたからだ。
「なんで……? あんた、死んだはず……!?」
ローズの問いかけに少年は答えない。
少年の時は止まっているかのように、誰も捉えていなかった。
「なんだローズ? 知り合いか?」
彼女の反応に、金歯の男が問いかけた。
「この前私たちが殺したあのガキよ! 私イケメンの顔は忘れないの」
ローズの答えに、金歯の男は暫く少年を眺めた。
それから、この世の終わりかのような表情を浮かべた。
「嘘だろ? 生きていたというのか? 馬鹿な!? あんな状態で生きているはずがない!」
二人が騒ぎ立てているというのに、少年の瞳に彼らの姿が映ることはなかった。
映っているのは、血まみれで地面に倒れている男だけ。
金歯の男はそれから、何かを閃いたようにあの不気味な笑顔を浮かべた。
「どういうカラクリか知らねぇーが、生きていたならば、また殺すまでだ! そうしてまた、お前の金もコイツみたいに奪ってやる!」
金歯の男の声は、少年にはやはり聞こえていないようで、地面に倒れた男を抱いていた。
その男の身体をゆすって意識を確認しているようだ。
しかし、男に反応はない。
それを確認した少年の表情には、悲しみも怒りも浮かんでいなかった。
ただ空っぽな目でそれを見ている。
そんな少年の背中に、金歯の男はナイフを突き刺した。
それでも、少年の表情は何も変わらない。
「この前と同じでガラ空きだぞ!」
金歯の男はそう言って、ナイフから手を離した。
金歯の男は、確かに少年の背中を刺した。
しかし、その深く突き刺されたナイフは、ゆっくりと少年の皮膚から剥がれ落ちていく。
まるで、皮膚が異物を取り出すかのように──。
カラン、と地面に落ちる金属音と共に、ローズたちは驚きの悲鳴をあげた。
「き、傷が、治った? なんで!?」
「ば、バケモノだ! こいつはバケモノだ!」
そして、少年は言った。
「僕の時みたいに、兄さんも騙したんだね?」
少年の声に、感情は乗っていない。
「あんたの兄?」
ローズはこの時思った──だから雰囲気が似ていたのだと。
「なんだよ? だったらなんか文句あんのか?! バケモノが!」
金歯の男が少年に向かってそう言った。
すると少年は、呆れた様子で少し微笑み、すぐにまた元の空っぽな表情に戻した。
「いいや、文句なんてないよ。ただ死んでくれればそれでいい」
少年の声は平坦だった。なんとなく息を吐くみたいに、ただそう言った。




