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2. 路地裏の御令嬢




 「はぁ、はぁ、はぁ……あっ!?」


 必死の表情で路地を走る少女が、足を絡ませてすてーんと転ぶ。手のひらを切ったのだろうか、起き上がった彼女の左の手袋には血がにじんでいた。

 つばの大きな帽子を被っているので表情はよく見えないが、しきりに後ろを気にする様子は、誰かに追われているように見える。


 「に、逃げなきゃ……───っ!?」


 なんとか立ち上がって逃げようとする少女の目の前の曲がり角から姿を現し、彼女の前に立つ。予想外の方向から新たな人影が現れたのを見て、少女の顔が恐怖に引きった。

 まるでこの世の終わりかのような表情に、彼女の目の前に立った俺は───




 「何かお困りですか、お嬢さん?」


 帽子を取り、目の前の少女に手を差し伸べながら鷹揚おうように訊ねる。たっぷりと勿体もったいぶって、余裕を見せながら。うやうやしく手を取りお辞儀をする様は、おそらく誰がどう見ても紳士だろう。


 「僕にお助けできることがあれば、何なりと」

 「え!? あ、あの、その……」


 対する少女は完全に余裕を失い、あたふたオロオロせわしなく困惑している。戸惑いを代弁するかのように、前髪がぴょこぴょこ右往左往していた。


 「あの、あの、わたしのことはお気になさらず……っ……!」

 「そうは言われましても。そのように慌てて、怪我をしているにも関わらずそれを気にも留めないご婦人を見て見ぬふりをするなど、帝国紳士にあるまじき行為です」


 できる限り優しく少女の手を取り、血のにじんだ手袋を外してハンカチで手のひらの血をぬぐう。おっかなびっくり預けられる手は、幼さを残しながらも凛とした佇まいを感じさせる。

 実際のところ俺は帝国紳士でも何でもないのだが、この場に限ってはそういう()()で押し通すことに決めた。

 この少女の装いを見るに、良家の子女であることは疑いようも無い。派手さは無いものの仕立ての良い服、高級感の溢れる幅広の帽子。肩にかけたケープも手ざわりの良さそうな逸品だ。健康的な血色の良い肌は、栄養状態が良い証だろう。まだ冬の入口にも関わらず一段と寒さの厳しい今年の冬。近隣諸国では作物の不作にあえぎ、物価の上昇を見越して売り惜しみする商人たちによって何もかもが手に入りにくい。そんな中でも食べる物に困らない人間となれば、彼女が相当に身分の高い家の娘であることは間違いない。

 そんな良い所の御令嬢の信用を得るには、こちらもそれなりの身分であると思ってもらうことが一番。紳士っぽい衣装を調達しておいて正解だった。流石にステッキは持ち慣れていないので、手当てをするのに手を離した時に倒れてしまったが。


 「痛っ……」

 「おや、やはり怪我が痛みますか。困ったな、酒でもあると良いのですが……」


 酒に含まれるアルコールには殺菌作用があることはよく知られている。傷口から菌が入ると病気になる恐れもあるので、しっかり殺菌しておくことは大事だ。もっとも、その辺の酒場で飲めるような酸っぱい安酒では大して効果は無いのだが。


 「ふむ……そうですね。失礼して」


 懐からハンカチを取り出すと、水の魔法で湿らせて少女の傷口に当てる。


 「ひゃっ……!?」

 「不快かと思いますが、ご容赦を。ご病気になられないように、迅速な手当ては必須です」

 「……は、はい……これは、“魔法”……?」


 これでとりあえずは汚れを落とすことはできるだろう。清浄効果もある水の魔法だ。気休め程度の効果だが、多少は消毒になるはず。少女も傷の手当ての必要性は理解しているようで、特に抵抗もなく大人しくしている。素直なところはやはり良家の子女らしい。

 やがて彼女の手を離すと、引っ込められた手の甲に紅い紋様が見えた。あの、紅い“魔法紋”は……やはり。

 彼女が目的の人物であることは間違いないが、どうやら今はそれどころではないらしい。




 「これで良し。さてと、それであちらの方々は、お知り合いですか?」


 手当てが済んだところで、俺は倒れたステッキを拾いながら、ようやく見つけて追いついてきた数人の男たちに目を向ける。


 「いたぞ、見つけた!」

 「あァ? 何だテメェは!」


 目的の少女と、その隣に立った僕を見た男たちは口々に声を荒げて威嚇する。


 「やれやれ、品が無いですね。どうも、お嬢さんのお知り合いだとは到底思えませんが」

 「オイ、何いきなりしゃしゃり出てきて抜かしてやがる!」

 「妙に良い雰囲気をさせてんじゃねェぞコラ!」


 変なところに察しの良い奴もいるようで、やっかみの混じった脅し文句に笑ってしまう。


 「これはこれは。決してモテる方ではないのですが、そう見えていたのならすみませんね」

 「あ……そういえばわたし、追われていたんでした……」


 おかげで、散々彼女を追い立てていた胡乱の輩どもから意識を逸らすことはできたようだ。やはり、うら若い少女が恐怖に怯えているのは見ていられない。

 今さら状況を思い出したかのように少女が呟いた言葉を、笑って拾う。


 「ふむ、どうやらあちらの方々はお嬢さんに用事がある様子。お茶でもなさるなら丁度良い店を紹介しますが」

 「い、いえ! 知らない人たちなので……」

 「……と、いうことですが。どのような用件で?」

 「テメェには関係ねェよ! 部外者は引っ込んでろ!」

 「そう言われましても、明らかに怯えたお嬢さんを、あなた方のような失礼ながら品性の無さそうな殿方にお預けするのには躊躇われますからね。せめて、なぜこうして追いすがるのかくらいは訊ねておかねば安心してお茶も飲めませんので」

 「オレたちはただ、その娘を襲えと……って、答える義理なんて無ェだろうが!」


 素直な人たちで助かる。どうやら、向こうにもちょっとやそっとのことでは退けない理由があるらしい。

 どこからともなく黒い猫のような動物が現れ、俺の肩に乗った。喉を鳴らして“助力は要るか?”と訊ねてきたので、必要ないと首を振る。

 俺に憑いた使い魔のようなものなのだが、どうにも心配性な子だ。

 助太刀を断られた相棒は、つまらなそうにひと鳴きすると、()()()()()()()()姿()()()()()俺の頭の上に収まった。



 気を取り直して、俺は蔑んだ目で男たちを一瞥すると、片手で手招きしながら言い放った。


 「ならば仕方ありません。まとめて相手をして差し上げましょう。とっとと掛かってきなさい」


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