午後27時
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お、つぶらやくん、腕時計変えた?
いやー、前回の時計、だいぶ長い間使っていたと思うしね。いよいよ買い替えなのかと思うと、少し感慨深いかな?
ふむふむ、こりゃあカレンダー機能にくわえて、各国の時間に合わせて、ボタンタッチで楽に調整できるタイプだね。ここのところ、グローバルを見据えた機能が付け足されること多いよね。
時計といえば、秒、分、時とひと目でわかるように作られているもの。そこに日付が加わって、カレンダーじみていくのは自然な流れだったといえるだろう。
聞いたところによると、この日付カウントが腕時計に組みこまれたのは、1945年のこと。もう80年が経とうかってくらい、年季の入った機能になっている。
しかし、学生時代の私のまわりだと、まだ日付の入っている腕時計は珍しいもの。それゆえか、少し不可解な出来事が起こることがあってね。
どうだい? 君の好きそうな話だと思うけど、聞いてみないかい?
いまでこそ、電波を受信して自動的に時刻を調整してくれる時計は、珍しくない。
しかし、私たちの学生時代は腕時計というと、それぞれのチューニングをほどこすものだった。
とはいえ、時計そのものは時計屋という商売が成り立つほど、精巧な作りで成り立つ道具。素人が軽い気持ちで改造できるものじゃない。きりきり調整ねじを回し、自分好みの時間を指ささせていた。
遅刻気味な奴は時刻を早めにし、授業や集会などの時間が長くて耐えられない奴は時刻を遅めにする。もちろん、神経質な人は分単位、秒単位のズレさえ、時報にあわせて整えていく。
そんな、それぞれに都合のいい「真実の時間」をこさえていたころ。不可解な時間調整を行う奴が現れたんだ。
それは、数学の抜き打ちテストが行われると、告知されたときだった。
私たちのクラスも、非難ごうごうよ。先生が教卓でとんとんとプリントの束を整える間、ちょっとでも点を稼ぐべく、生徒たちはあわただしく教科書を広げていく。
私もまた、その一員。ごそごそ教科書を漁り出したところで、ちらりと横を見ると、隣の席のクラスメートは、やたら落ち着きはらっている。
ページを手繰る私に対し、彼はうつむきながら、机の下で腕時計をいじっていた。
キリキリ、キリキリ、キリキリ……。
小さく音を立てながら、針をいじっているらしい。回し具合からして、秒単位、分単位のような細かいものじゃない。大きく回して回して、おそらく時計の中では、何時間もの刻が吹き飛んでいるところだろう。
やがて彼が手を離し、姿勢を正した時にはもう、先生が筆記用具以外を机の中へしまうように指示を出していた。
彼の数学は、私よりも下のはず。私とて、さほど得意なものじゃないから、直前の悪あがきをしないなら、ひどい結果になるはずだ。
――あきらめて、開き直ったのか?
いぶかしむ私だったが、迎えた結果は大きく異なる。
彼の点数はひどいものになるどころか、クラス中でも指折りの好成績をマークしたんだ。
それから私は、彼の動向へ気を配るようになった。
彼は毎日、腕時計をつけてきているが、テストや発表の直前になると、いつもその針をおおいに動かしていた。
ルーティンという奴か、と当初は思ったが、あまりにその効果が劇的かつ、ご都合主義が過ぎる。これまでの彼に比べると、別人になったかと思うほどの目覚ましい成果が、ことごとく私たちの前へ現れたんだ。
そのことを問いただしたところ、私は放課後に近所の公園へ来るよう、指定をされた。どうも大人数に知られたくないことらしい。
腕時計も、できれば持ってくるようにと告げられた私は、カバンの中へしまってあるものを、腕につけて現地へ向かった。
彼はベンチに座っている。隣に腰をおろすと、おもむろに園内を見回したあとで、私のつけた時計を、しげしげと眺める。「これならできるか」ともつぶやきながら。
いい加減、質問に答えてほしいとせかす私に、彼はこう返してくれたよ。
「午後27時に行っているんだ。そこでなら、思い切り勉強や準備ができるんでね」
午後27時。その表現に、私は首を傾げた。
ただ27時といえば、午前3時を指すはず。夜更かしをしてテレビなどを見る人なら、なじみのある表現かもしれない。
しかし、そこに「午後」を付け足すとはどういうことだ? もしや27時という言葉の意味を分からずに使っているのか?
もう少し突っ込んで聞いてみると、それは今から27時間後のことを指す言葉らしかった。
「今より一日と3時間後まで、一気に時計の針を動かすんだ。『時間が欲しい』と強く念じながらね。そしたら、面白いことが起こるよ。
ただその27時間後が午後にならないと、効果が出ないから、さっきのような言い方をした。結果がやたら僕に都合がいいように見えたのは、たまたま朝早くのことじゃなかったからさ」
そういって彼は、公園に設置された大きな時計に、自らの時刻を合わせ、私にもそう指示してくる。そして私たちは、一斉に時計を27時間後めがけて、回し出したのさ。
時間が欲しい、時間が欲しい……。
何度も頭の中でつぶやきながら、時計の時針が一日分を通り過ぎた。
あと三時間、二時間、一時間……そして秒針にいたるまで、ぴたりと27時間を指したところで、手を離したんだ。
向き合う形になっていた、友達が顔をあげる。
またゆっくり園内と、その周りの空を見回しながら、つぶやいた。「成功だ」と。
私もまた、促されるまま、彼の指さす空の一角を見やる。
数羽のスズメが浮かんでいた。彼らはいずれも、公園の柵を通りこそうかというポイントで、羽を広げている。
しかし、一向に羽ばたきはしない。彼らはみな、固まったままだ。まるではくせいになったかのように。
私は頭をよぎる想像を裏付けるべく、策のすぐ手前。こんもりと居座る、緑の茂みの一部を蹴り上げてみようとした。
大いに葉をまき散らしていただろうキックは、あっけなく止められた。茂みは私の足を、通してはくれなかったんだ。
痛くはなかった。壁にぶつかったというより、とてつもなく強力な接着剤にからめとられてしまったかのよう。しかし、離そうと思えば、さしたる抵抗もなくはがれていく。
時間は完全に止まっていたんだ。
私と友人、そして二人が27時を指す当初から、触れ続けていたものをのぞけばね。
私たち二人は、しょっていたランドセルのフタを開けられ、中にある教科書たちもわけなく取り出せた。そこへ筆記用具でもって書き込みをすることもできた。
彼はこの時間を使い、勉強やイメージトレーニングを何度も行っていたらしい。元の時間へ戻る時には、腕時計をまた少しいじって、時刻をずらすだけでいいという。
画期的な発見に、私は大いに喜んだものの、長くは続かない。
体全体へ、急にだるさが湧いてきたんだ。そのまま腹の虫がなりはじめ、空腹を訴えてくる。嫌な汗や気分の悪さも、すぐ後へ続いてきた。
「慣れるまではね、この27時に長くはいられないんだ。君、はじめてだろう? 異空間では妙な負担がかかる。お約束だよね」
友達はけろりとした顔のまま、腕時計を何度か指さし、針を回し出す。
私もそれに続くと、つい先ほど固まっていたであろう、スズメたちの鳴き声が耳へ飛び込んできた。例の茂みも、今度は抵抗なく蹴り上げることができたんだ。
この27時を使えば、これからのどんなことも楽勝だ。
そう思って、私は何度かこの時間を訪れ、差し迫った事態へ対処しつつ身体を慣らしていたが、しばらくしてやめてしまった。
例の友人が、体調不良から学校へ来なくなってしまったからだ。
転校前、最後にあった彼は、身長もそのままに何十年も時を経たような、老け込みようだったよ。
私は悟った。
あの27時は、自分の人生の残りの時間の前借りなのだと。だから本来、払うべきものでないものを払わされ、身体が疲れ果てるのだと。
やがて腕時計たちにも、日付を示すメーターが入るものや、デジタルなものが増えてきた。それを境に、意識して時計を操作しても、午後27時にはたどり着けなくなってしまったんだ。