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終わったぁ、と伸びをして、シャノンは窓の外へ視線を向けた。日はすっかり落ちた後、月がぽっかりと高い位置へ到達している。
終わったといっても、ドレスシャツの縫い合わせが、である。
上着も、細かい部品は縫い合わせてあるので、後は仕上げていくだけだ。こちらもドレスシャツ同様、細かい補正の可能性がある部分は手縫いとなるが、それ以外はミシンでがんがん縫えるのが有難い。
本当に、文明の利器というものはなんと便利なのだろう。自分の工房を開いて、初めて導入した足踏みミシンだったが、扱いに慣れてしまえばあっという間である。おまけにトーン印の特製ミシンは、動作も軽くて運針も早い。定番の男性用シャツ辺りなら、仕上がるまでに一日もかからないだろう。
目の距離や糸調子を調整してやれば仮縫いにも使えそうだが、体感として手縫いの方が早い気がする。今のところ、そういう使い方で便利だと思うのは、細かいギャザーを寄せる時くらいか。
そうして自然と思い出すのが、某国王室での地獄の運針だ。
伝統的な王室は、いつまで経っても古いやり方を尊重するので、人海戦術とばかりに大勢で一斉に針を動かすのである。うっかり長大なトレーンを引いたドレスの、裾纏りを担当してしまった時の絶望感といったら。
あれは辛かった、と思わず遠い目をしてしまったシャノンは、ドレスシャツを作業台に置いて立ち上がった。
少し休憩して、上着に取り掛かろう。ボタンは日中に付けるとして、流石に明日の夜は早く眠りたい。
螺旋階段から下を覗き込んで、自動人形を呼ぶ。仕事がない時は、階段脇の専用椅子に待機しているはずの彼女は、何故か店鋪の方から歩いてきた。
「お茶淹れてほしいんだけど……どうした?」
階段を下りていくと、彼女は腕に抱えた紙袋をこちらへ差し出す。中身を確認すると、手軽に摘めるような軽食だ。まだ、手に温かい。
『今し方、フェイム様から主人へ戴きました。呼ぶ必要はないと仰いましたので』
そっと差し出された手帳を確認して、そのまま店鋪を突っ切る。扉を開いて通りを見回したが、もう姿は見えないようだ。
「もう行っちゃったか……。アマリア、お茶淹れて。これ食べるから」
戸締まりをしながら奥へ声をかけると、自動人形は優雅に会釈して踵を返した。
階段脇の円卓で改めて中身を確認すると、どうやら籠るシャノンの食生活を心配したラッセルが、マーシャルへ持たせた物らしい。紙に包まれた薄切りパンには、野菜や厚焼き玉子やベーコンや鶏肉が、それぞれたっぷり挟まれている。小麦の良い匂いがするのは、パンが軽く炙られているからだろう。
これは堪らない、思い出したように身体が空腹を訴える。
そういえば、グウェンドリンが帰ってからずっとミシンの前に座っていたから、完全に夕食を食いっ逸れていた。壁の時計を見上げれば、日付けの変わる前ではあるが。
すっかり見通されてるなぁ、とぼんやり考えていると、自動人形が台所から戻ってきた。どうやら彼女もシャノンの行動を予想して、オーブンの火を絶やさないでいたらしい。
小振りのオーブンは調理に使われることはほぼないが、いつでも新鮮な水がたっぷり満たされており、コックを捻れば湯が使える。自動人形に調理を覚えてもらえばいいのだろうけど、シャノンの小さな城は、ほぼ全室繋がっているような作りなのだ。外食に困るような街でもなし、このままでもいいか、と思っている。
がさがさと紙を剥いで、有難く遅過ぎる夕食にありつきながら、今夜の作業を考える。あと少しなのだし、ミシンは全部終わらせておくべきだろう。手縫い部分も出来るだけ進めたいが、欲はかくまい。
包み紙の間に挟み込まれていた紙片を一瞥して、わずかに思案する。そうして、自動人形に紙と書くものを求めた。すぐにエプロンのポケットに放り込まれている手帳と万年筆を差し出され、何かを書き付けると彼女へ返す。
折り目正しく会釈して引き取られたそれは、然るべき方法で相手に渡るだろう。一緒に渡した紙片は、そのままオーブンへ焼べられる。
黙々と差し入れを制覇していたシャノンは、最後の一欠片を口に放り込むと、柔らかな香りをさせている紅茶で押し流した。
「御馳走さん。よし、続きやろ。アマリア、もし仕事明けにラッセルが寄るようなら、品物渡しておいて」
優雅にスカートを摘んで会釈した彼女へ「宜しく」と言いおいて階段を上る。ペティコートとカバースカートを着せたトルソーへ、まだボタンのついていないドレスシャツを着せかけて、シャノンは戸棚から糸入れを取り出した。
◇◆◇
それで終わったんですか、と小首を傾げるエッカート家の使用人に、シャノンは大欠伸で応える。穏やかな昼下がり、昼食にとエッカート女史が差し入れしてくれたキッシュを頬張りながらのことである。
結局、ラッセルはシャノンが作業に熱中している最中に訪ねてきて、丁寧に謝意を示した自動人形へ軽く手を振って帰っていったらしい。
上着を一気に縫い上げ、ふらふらと寝台に倒れ込んで一眠りしたあと、起き出したのはそろそろ昼も近い頃。せっせとボタンを付けている最中に、使用人が裏口の扉を叩いたのだった。
「なんか、最近方々から餌付けされてる気がする……」
「シャノンさんが、仕事に熱中するといろいろ適当になるのがいけないんですよ。いい加減にしないと、身体壊しちゃいますからね!」
「あ、はい。すみません」
紅茶を淹れながらお小言を垂れて、使用人はトルソーに着せかけられた衣装を見遣る。
「殿下の衣装にしては、地味じゃありません?」
「いいんだよ、そういう趣向の衣装なんだから」
地味とはいうが、これでもかと持てる技術をぶち込んでいる代物だから、同業者が見ればそれなりに通じるだろう。
軽く眉根を寄せ、こくりと首を傾げていた使用人は、ああそうか、と呟いた。
「機能重視なんですね。良く見ると装飾も凝ってるし……。これだけ盛ってるのに派手にならないのは流石ですねぇ」
「どうして君は、悉く家業から懸け離れた職業を選びたがるんだろうな」
母の跡を継いでお針子にでもなれば大成しただろうに、なんとも惜しいものだ。彼女の母親は市井に埋もれた名人で、型に囚われない効率重視の作業法を学ばせてもらった。
その娘は変わり者で、小さい頃は冒険者になるのだと息巻いていたはずだったが。
「御飯食べてる間、お手伝いしましょうか。あたしの伎倆を信用してくださるなら、ですけど」
「有難い、助かる。上着のカフス頼んでいい?」
わかりましたぁ、と軽く応じた彼女は、機嫌よさげに鼻歌を歌いながら、作業台の仕様書と道具箱の中の諸々を確認する。こういう時、仕様書から適切に読み取って、自分で判断できる人材は本当に助かるのだ。
「奇麗な飾りボタンですねぇ。これが付くと、また雰囲気変わりそう」
「それ、トラヴィス卿のカフスボタンと合わせて選んだ奴なんだよ。そういえばそういうの買ったな、と思って」
婦人服も扱うのなら、いずれそういう注文も入るだろうと思ってのことだったのだが、意外な所で役立ったものである。
「シャノンさんの強みは、先を読む力ですよねぇ。母さんもよく言ってましたもん、先を可能な限り想定して準備してるから、大体間違いがないって」
「そうかな?」
「客商売じゃ、出来ませんとはなかなか言えないもんだって。シャノンさんと仕事してたのは良い勉強になったそうですよ」
あの名人にそう思われていたとは意外だ。何事もお互い様なんだなぁ、とぼんやり考えるシャノンを他所に、手際良く仮止めをしていく使用人は、何やら思い出したようでこちらを振り向いた。
「アマリア! お茶請けも託されたんでした。お茶の時間に出してあげてくださいね」
こくりと頷いた自動人形は、確認の為か踵を返す。適当に切り分けたキッシュを口に運んで、シャノンはのんびりと口を開いた。
「ねぇ、これ焼いたの、アッカー嬢?」
「そうですよ? お口に合いませんでした?」
「いや。懐かしい味だなと思って。君のお母さんが作るキッシュ、好きだったんだよね」
大らかで気風のいい女性は、肝っ玉母ちゃんの典型のようだった。最初は気の良い彼女のお節介から始まって、最後は仕事仲間になったのだ。そんな彼女がよく振る舞ってくれたのが、具沢山のキッシュ。
「それは良かったです。里心には故郷の食べ物が一番だって、家を出る前に叩き込まれたんですよ」
なるほど、と頷きながらキッシュを頬張る。
あちこち流れたが、人には恵まれたと今でも思う。いつだって手を差し伸べてくれる人はいたし、何かと困ることはなかった。そもそも、最初に拾ってくれたフィデルが、お人好しの筆頭だ。何となく、あれから色々なものが変わっていったような気がする。
「シャノンさん、序でに他のボタン付けちゃっても大丈夫です? まだ仮縫いですよね?」
「うん、頼む」
頷いて、何か報酬考えないといけないかなぁ、と呟くと、果たして彼女はきっぱりとかぶりを振った。
「それはいりませんが、ミシン使わせてください。新しいスカート作りたいんです」
「いいよ。ちょっと手加えてやろうか?」
「ホントですか? わぁ、お願いしたいです!」
明るい声が上がった時、からん、と店鋪の扉が開いた。ひょっこりと顔を覗かせたのは、近所の子供だ。
「オクロウリーさん、いる?」
「どうした?」
席を立って迫持を潜ると、子供は「はい」と紙片を差し出す。
「なんか、奇麗な女の人に『渡して』って言われた。一人で来てくださいって」
へぇえ? と意味ありげに笑う使用人を無視して子供から紙片を受け取ると、中を確認する。そうして、軽く眉をひそめた。
「なぁ、どんな人だった?」
「あんまり見ない人」
んん? と小首を傾げ、シャノンは奥を振り返る。
「アマリアー。戸棚から飴持ってきてー」
滑るようにやってきた自動人形が、色とりどりの飴が入った硝子製のキャニスターを抱えてやってくる。子供の目がそちらへ向いたのを確認して、シャノンは彼と視線を合わせた。
「で? どんな人」
「格好地味なんだけど、化粧の濃い人だったよ。近所では見たことない」
「他には?」
「なんか怖かった」
そうか、と苦笑して、シャノンは個別に包まれたそれを二、三個掴み出して子供の手に乗せてやる。
「ありがとな」
「うん、ありがとー!」
パタパタと外へ飛び出していく子供をにこやかに見送って、彼はふと表情を改めた。
「アッカー嬢、グウェンはどうしてる?」
「はい? 先生なら、朝から往診ですよ」
きょとんと目を瞬かせて、彼女は訝しく小首を傾げる。
「朝っぱらから、患者さんのご家族が駆け込んできて。まだお戻りじゃないですけど、大体出先でも捕まってますからね、先生」
やられた、と深々と嘆息して、手の中の紙片をうんざりと見下ろした。そこにはタイプライターで打った文字が簡素に並んでいて、人を喰ったような文言が並んでいる。
【貴殿にご足労いただければ幸い。さすれば、ご友人の博士は無事にお返ししましょう。】
続いて記された住所は、工業地帯の外れの方だ。振り返ればトルソーが目に飛び込んで、ますますうんざりしてしまう。何故、選りに選って今なのだ。
「あぁあああ、もう」
「どうしたんです? シャノンさん」
「……悪い、アッカー嬢。それ残り頼んでいい? スカートの布、まだ買ってないなら、うちの在庫から好きなの提供するから。理由もちゃんと、エッカート女史に俺から言う」
「了解しました、喜んで!」
びしッと敬礼した彼女に頷いて、シャノンは紙片を自動人形へ渡す。
「終わったら、待ってなくていいよ。戸締まりはアマリアに頼んで」
「修羅場ですか」
「……そういうのじゃないけど気分はそんな感じ。今日のグウェン、何着てた?」
「ええと、ブルーグレーの縞のシャツと、黒いスカートですね」
それなら大丈夫か、と気を取り直して階段を上りかけると、使用人の言葉が続いて追い掛けてくる。
「以前のもっさい格好よりは断然いいですけど、あれちょっと格好良過ぎて、近寄り難く見えちゃうかもです」
駄目? と振り向くと、彼女はふるふるとかぶりを振る。
「駄目じゃないですよ。あれは先生じゃないと似合わないものですし。でも、魔女のお仕事で困らないかなって」
「あぁ……。親しんじゃえば、結構可愛いんだけどなぁ」
普段の素っ気ない物言いといい、少し冷めた声音といい、見た目も涼やかな美人なだけに少々不利かもしれない。かといって、あまり甘い色ばかりでも有難みが薄れそうだ。一応、あれも印象商売なのだし。
難しいですねぇ、と唸る使用人に苦笑しながら階段を上り、倉庫へ駆け込む。ここには布地の在庫や貸衣裳のクローゼットの他、シャノン自身のクローゼットもある。そこからずっしりと重たい上着を取り出すと、羽織りながら階段を駆け下りた。
一人で、と言うのだから、寄り道せずに真直ぐ行った方がいいだろう。グウェンドリンについては心配していないが、不測の事態が起きないとも限らない。
それにしても、まさかこんな昼間から、直接お呼びがかかるとは思わなかった。おそらく奴は人狼を警戒しているのだろうが、認識が甘いのか、頭から馬鹿にしているのか。
基本的に、人狼による被害が発生するのは満月の夜とされている。
その所為で、彼らは満月の夜にだけ変化するものと、勘違いされていることがあるのだ。実際は、変化したての若い個体や逸れ者等が、暴走しやすくなるのが満月なのである。
そんなわけで、変化自体はいつでも可能なのだが、殆どの人狼はヒトの中に紛れて、日中は仕事を持っている。それを思えば、昼間という選択は悪くないと思い勝ちだが。
全ての個体が、日中に仕事を持っているとは限らないのだ。
行き掛けに、勿体無いからと残りのキッシュを口に押し込んで、紅茶で流し込む。ゆっくり食べたかった、と無念さから零すと、果たして使用人は大らかに笑った。
「また焼いてあげますよ。御主人様もお好きなんです、キッシュ」
「ありがと、じゃぁ頼んだ」
「はぁい。お気を付けて、いってらっしゃいませ」
使用人と自動人形に見送られて、工房を後にしたシャノンは、工業地帯へ向けてのんびりと歩き出した。
◇◆◇
日中の工業地帯には、賑やかな稼働音が辺りに響き渡っていた。その奥の奥、倉庫街の外れにある、今は使われていない倉庫内で、女は面白くなさそうに鼻息を飛ばした。
がらんとした広い建物には、幾つか木箱が転がっているのみで、彼女は奥にある一つに足を組んで腰掛けている。細く開けられていた巨大な遣戸の向こうに、明るい日射しが降り注いでいるのが見えた。倉庫内にも天窓から幾つか日射しが降り注いでおり、存外明るい。
流石に、この辺りにまでは騒音は届かず、却ってこの静寂の向こう側にある騒音が、余計な音に蓋してくれるだろう。我ながら良い隠れ家だと自負していたが、今し方立ち去った堅苦しい軍服の素っ気ない女は、そうは思わなかったらしい。
甘く見ないことですね。
そう言い捨てていったが、ただの負け惜しみだろう。あの麗しい方は、何故あんな面白みのない女を侍らせているのか、理解に苦しむ。しかし、それも間もなく終わるのだろう。この仕事を終えて有能さを示し、あれに取って変わるのだから。
暫くして、遣戸の向こうに待ち人が姿を現わした。無造作に遣戸を潜る、日陰の中で暗く沈む鳶色の髪。面白くなさそうな眼差しが彼女を一瞥し、遣戸の傍で立ち止まった。
「初めまして。お待ちしていたわ、クロウリー。あぁ、今はオクロウリーだったかしら」
「グウェンは?」
素っ気なく放られた一言に、彼女は軽く肩を竦めてみせる。
「丁重にお相手してるわ、今のところは。大人しく付いてくれば、帰してあげる」
かの学者は、彼女の可愛いお人形が、別の場所へ案内しているはずだ。何も知らずに虜になっているあれが、危険を察して逃げ出すことも有り得ないし、義憤に駆られた誰かが、助けに走ることもないだろう。
傍目にはただ、魔女の仕事をしているだけにしか見えないのだから。
得意げに嗤う彼女を前に、あのさぁ、と面倒臭そうに言葉を吐き出して、彼は訝しく眉を潜める。
「それで人質取ったつもり?」
「のこのこやってきて、それを言うの? お望みなら、この街に住む全てのヒトビトを取り引き材料にしても構わないわよ」
「出来るものなら、どうぞご自由に? 俺には関係ないし」
それをやって痛い目みるのはそっちだけどな、とつまらなそうに吐き捨てて、彼はこちらへ向けてゆったりと歩き出した。
「慌てて手ェ出してきたのは、グレタが乗り出してきたからだろ? 迂闊だったな。欲掻くからこんなことになるんだよ」
天窓から落ちる日射しが頭髪に跳ねて、鮮やかな色に染まる。ざわりと何かが胸中に凝って、彼女は組んでいた足を解いた。
「負け惜しみね。今、どういう状況に置かれているか、教えてあげましょうか。おまえたちの間抜けっぷりは、見ていて滑稽だった……」
「あぁ、おまえの人形たちな。こちらが把握していないとでも? このオルグレンに、どれだけ氏族がいると思ってるんだ」
総人口の四分の一、と。
告げられた一言に、唇が戦慄いた。そんな馬鹿な、それは有り得ない。それでは、オルグレン内に住む独身男性数を、軽く凌駕してしまうではないか。
「おまえはその半分すら、把握できてないだろう? 分かりやすく動いてやってたのは、ごく一部さ」
「それこそはったりよ!」
声を荒げて立ち上がる。人狼に生殖機能はないのだ、子が出来なければ不審がられるし、何よりあれらも歳を取らない。はったりに決まっている。
「お忘れのようだけど、こちらには人質が」
「だから、価値はないって言ってるだろ。この俺が、何の対策もしてないと思ってるの? おまえの人形程度じゃ、指一本触れられねぇよ」
「強がるのも大概になさい。こうして呼び出しに応じてるくせに」
「折角ご招待いただいたんだ。狩りに来るのは当然だろう?」
ひくりと喉の奥が引き攣って、彼女は後ろ手に木箱を伝い、じりじりと後退りした。大丈夫だ、こちらのことは、何も知らない。知るはずが。
きらきらと落ちる明るい日射しの下を通過する度、彼の髪が光を透かして赤く光る。冷めた眼差しが光の具合で冷たく偏光するのを目にして、彼女は今にも噴き上がってきそうな恐怖心を抑え込んだ。
無意味です。あなたは、あれを知らなさすぎる。
軍服の女の、冷めた声が耳の奥に蘇った。知っていたはずだったのだ。けれどあんなものは、大袈裟に語り伝えたものだと嘲笑っていた。真実だとしても、力だけの輩なぞ取るに足らないと。何より、彼自身が抱えるモノがあまりに魅力的で、目を暗まされていた。
誰よりも尊大で強い、冷徹無比の執行者。神に、あの麗しい方に愛された者。世界から喪われた膨大な魔素の大半を、身の内に秘めし者。
「泳がされてたのは、おまえのほうだよ。古い血、エルネスタ・シュタイナー」
解ってて俺たちに喧嘩売ってきたんだろう、と。彼、世界唯一の魔術士オズワルド・クロウリーは、奇麗に笑ったのだ。




