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雪月梅花  作者: 夏野
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血を見ると(たかぶ)る、とは聞いたことがあるが、まさか自分がそうなるとは思っていなかった。


恐怖よりも高揚、しかしそれは狂気じみたものではない。

命の危機に直面して、身体の全身全霊が、守るための効力を発揮している。


遮二無二、冬野は主税に体当たりをして、地上に転がした。

主税の手から零れた刀を蹴り飛ばす。

それで油断したのがいけなかった。


馬乗りになって身柄を拘束しようとした冬野を、主税は殴りかかった。


「……っぐ!」


眩暈(めまい)がするような衝撃が襲う。

だがどうしても、(ひる)むわけにはいかなかった。


殴られて冷静になった冬野の頭は、守るべき人を思い出す。

今ここで主税を止めなければ、痛みを(こら)えなければ、立ち向かわなければ、千夜を救うことはできない。


千夜に、手を差し伸べたのだから……






「冬野が喧嘩が強いとは、知らなかったな。

これじゃあおちおち軽口もできない」


と言いつつ、やはり揶揄(からか)い調子な新之介は、甲斐甲斐(かいがい)しく冬野の腕に手拭いを巻き付けていた。


「無我夢中だっただけだ。人間、死にたくないと思えば、火事場の馬鹿力というやつだ。

それに、この様で強いとは威張れないな」


殴り合いに発展したかに思えた冬野と主税の激戦は、間もなく登場した音十郎によって、主税はあっけなく捕まった。


音十郎は逃れた千夜と出会(でくわ)して、すぐに冬野の元に駆けつけることができたのである。

身を(てい)して守ってくれた冬野を放って、自分だけ逃げることはできないという千夜は、音十郎の小者に(なだ)めすかされて、番屋に送りこまれていた。


事実を言えば、冬野が主税に負わせた怪我は大したことはなく、冬野の方は腕を斬られたうえに、左頬の殴られた痕が痛々しい有様だった。

今は寺の石段で、駆けつけてきた新之介に手当てを受けていた。


「それより……」


冬野の頭を占めていることを、新之介がわからないはずがなかった。


「お千夜さんは番屋にいる。行こう」



番屋に着くと、真っ先に千夜の無事な姿が確認できた。


ぱっと見た限りでは、千夜が怪我をしている様子はなかった。

けれど以前会ったときよりも痩せぎすになっていて、疲労が(にじ)む顔色は病人のようである。


しかし可哀そうだとか、心配だとかよりも、どんな姿でも千夜が無事なことがうれしくて、愛しい。


「冬野様……!」


冬野が抱き着くよりも、千夜の方が早かった。

お互いが背中に回す手は自然の動作だった。


「もう、大丈夫だから……」


やっと、千夜の悪夢が終わった。

千夜は冬野の安心させる声に、冬野の胸の中で泣いている。


千夜はこの温もりは知っている。

離れていても、冬野は何度もこうして温めてくれていた。


「ごめん、なさい……私の所為(せい)で、冬野様が怪我を……」


「お千夜さんは何も悪くない。貴女が無事なら、私はどうなってもいい……」


「冬野様に(ひど)いことを言ってしまったのに……

本当は、こうして(すが)りたかった……でも……」


(はずかし)められた姿を見られたことが嫌だった。

一番見せたくなかったのは、冬野だったのだから。


「あのときは何も言えなくて、お千夜さんを傷つけてしまった。

謝るのは私の方だ。不甲斐なくて、すまない」


千夜の気持ちに寄り添うこともせず、一方的に嫌われたのだと、冬野は思い込んでいた。

千夜を助けたいという気持ちばかりで、己の力など微々たるものだったとも。


音十郎が来てくれなければ、果たして主税を止めることができたのだろうか。

そもそも千夜を助けることができたのか。


旗本が、武士という身分が、何だ。


情けなくて、かっこ悪い。


それでも抑えられない気持ちが、千夜を抱きしめて離さない。


大丈夫だと、再び(つぶや)いた冬野に、千夜はその気持ちを言葉にできなくなっていた。

ただ泣くことでしか、表現できない。

どれほどまでに冬野が、心の支えになっているのかを。


番屋にいた新之介や番太たちは、いつの間にか奥の部屋に姿を消していた。

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