六
(今日も来ない、な……)
音十郎から山ノ井家が贋金作りに関わっていると聞いたのは十日前である。
それ以来、冬野は千夜に会っていなかった。
ほとんど毎日のように会っていたのだが、待ち合わせ場所である稲荷神社に行っても、千夜はめっきり来なくなった。
もしかしたら、贋金の件を探り回っていることが主税にばれてしまったのではないか。
千夜と自分が関わり合っているのを知られてしまったとすれば……
千夜の身が危ないという考えが過ぎり、冬野は居ても立っても居られず、駆けだした。
冬野は千夜の家を目指す道中で、五人の男たちとすれ違った。
帯刀していて堂々と歩く様は侍の風情とでもいうのか、冬野は特に気に留めずにいた。
(あっ……!)
すれ違った後で、冬野は気づいた。
五人のうちの一人は、上野で千夜と料亭から出てくるところを目撃した主税だった。
振り返れば、すでに男たちの姿は見えなくなっている。
何故だろう、酷く嫌な予感がして、冬野は千夜の家へと急いだ。
千夜の家に来るのは二度目だった。
一度目は寛橋で千夜を助けたときで、千夜に会うときは稲荷神社と決まっていた。
妾宅というのは気が引けるもので、千夜の家を目前に、急いでいた足が一度立ち止まる。
声をかけても反応がなく、冬野は戸口に手をかけた。
「お千夜さん……」
部屋から布を引きずるような音がした。
音のした方へ足を踏み入れて、声を失った。
だらしなく、いま羽織ったばかりに見える僅か一枚の浴衣姿は、艶めかしいという気持ちにはなれなかった。
流した涙に、髪が頬に張り付いて、痣のような痕が垣間見られる投げだした足、鼻を掠める嗅ぎ慣れない匂い、どれをとっても、千夜の身に起きたことが、それもすれ違った男たちによってされたことが想像できてしまった。
「……どうして、来たの?」
怒りを含んだ千夜の瞳が、冬野を見た。
「ずっと、神社に来なかったら心配で……」
冬野の出した声は、掠れていた。
「貴方に……貴方にこんな姿、見せたくなかった……!
もう、来ないでください。私に関わらないで……」
千夜と、その名前を呼ぼうとした声は、喉元でせき止められた。
「この前までは浮かれていたというのに、やけに落ち込んでるな。
恋する娘じゃあるまいし」
新之介に軽口を言われても、冬野の表情は晴れなかった。
「お千夜さんに、嫌われてしまった……」
どうしてと言いかけた新之介は、聞くのをやめた。
冬野の雰囲気からは、とても聞けなかったのである。
さて何を言ったものかと新之介が悩んでいる中に、二人は番屋に着いた。
すでに音十郎は来ていた。
「今夜が大捕り物だ」
つまり、上手くすれば今夜で決着がつく。
冬野たちにとって、待ちに待ったこのときが来たのだ。
「……もうすぐお千夜が解放されるかもしれねぇってのに、随分浮かねぇ顔してやがる」
音十郎としては、最後まで捕り物の日を教えるか迷ったのだが、気が揉んで仕方がない冬野のために、教えることにした。
だが、せっかく教えたというのに、冬野は喜びもしないので当てが外れる形になった。
「いえ、そんなことは……」
音十郎相手には素直に落ち込んでいるとも言えないので、冬野は無駄な虚勢を張ってみた。
「お千夜の家には、枯れた梅枝が飾ってあるんだ」
唐突な音十郎の話題に、皆が意図を汲みかねて瞬きをしている。
その中で冬野だけは、はたと思いつくことがあった。
稲荷神社で千夜のために梅枝を渡したあの和やかな時を、忘れるはずがなかった。
「そいつが心の支えになっているとお千夜は言ってたが、変わった趣向もあったもんだな」
ふっと口の端を上げて笑う音十郎は、誰に向けての笑みだったのか。
冬野たちに千夜のことを相談されてから、音十郎は度々、様子を見に千夜の家を訪れていた。
冬野と稲荷神社で会っている間は、むしろ昔より生気がみなぎっていたが、それでも徐々に千夜の精神は蝕まれていた。
それは何故か、千夜は無理やり妾に収められた主税は、仲間にも千夜を共有するようになったからだ。
好いてもいない男たちに抱かれる、まるで女郎のような日々に、かつては大店の娘だった千夜は耐えられなくなっていた。
つい先日、音十郎が千夜を訪ねたとき、千夜は音十郎が男というだけで、怯えようが凄まじかった。
そんな千夜が、ずっと大事にしているのが、枯れてしまった、冬野からもらった梅枝だったのだ。
辛い日々を、梅枝を見ては慰めている。
雪の日に羽織をかけてくれた、死を試みたときに抱きしめてくれた、冬野の温もりを思い出しながら。
そして、夜が明けて……
「昨夜の捕り物は大成功でした。
贋金に関わっていた者はすべて捕まり、贋金作りを命令した山ノ井家の当主も詮議を受けることになったとか」
番屋を訪ねた冬野と新之介に、番太が真っ先に教えた。
昨夜はろくに眠ることができず、冬野の目には隈ができている。
番太の一報に、ひとまずは安堵した。
音十郎の先導のもと行われた捕り物は、あっけなく終わったという。
今日は詮議やら調書作成やらで、音十郎は奉行所に詰めていた。
「それで、お千夜さんは……」
冬野が一番気になるところは、そこであった。
「音十の旦那の計らいで、今朝方、近くの長屋に移ってますよ」
会いに行ってあげてくださいと言う番太に、冬野はすぐに首を縦にできなかった。
脳裏には、もう関わらないでと言われた光景が蘇ってしまって、二の足を踏んでしまう。
じれったくなった新之介が、冬野の背中を押して、二人は番太から教えられた千夜がいるという長屋を訪ねた。
「ここに、お千夜さんという方がいるはずですが……」
新之介が聞いたとき、長屋の差配は落ち着かない様子だった。
千夜という名前に反応して、やや縋るように差配は打ち明けた。
「それが……知り合いというお方が訪ねてきて、お千夜さんを連れて行ったんです……別にどうということはなかったのですが、心配になってきて……」
二人は顔を見合わせて、弾かれたように駆け出した。