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雪月梅花  作者: 夏野
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五十七

昼の商いが終わって、千夜はやっと不安を(あら)わにした。


冬野の縁談が破談となったことをよろこべないのは、原因が自分にあるからである。

千夜も坂本村に駆けつけてきた新之介からおおよそのことは聞いていて、顔面蒼白となった。


早く冬野のことは(あきら)めないといけない。

このままでは迷惑をかけるとわかっていて、それでも冬野と会っていた愚かな人間である。


はじめから、冬野と一緒になることは不可能だったのだ。

その不可能を押し通そうとした結果が、最悪の事態を引き起こしてしまった。


「ごめん」


もう暖簾(のれん)は降ろしたというのに、着流し姿の武士が一人、店に足を踏み入れた。


気さくで柔和な印象は、千夜が伊東家で過ごしたときのままである。

彼は初めて満月屋を訪ねてきた。


「すっかりご無沙汰をしてすまなかった」


この方はどなたかという太一とかやの視線を受けて、千夜が答えた。


「新之介さまとおひなちゃんのお父さまです」


「まあ、これは……」


「いつも俺らのようなもんに、よくしてくださってくれて……」


格式ばった格好をしていないとはいえ、相手は旗本の当主である。

千夜も二人と一緒に腰をかがめたところで、左馬之介が制した。


「千夜に早く知らせようと思って、今日は来たんだ」


左馬之介の安心させるような瞳が千夜を(とら)えた。


「高村家は無事だから、安心するとよい。今まで通り御書院番を勤められる」


太一とかやは安堵(あんど)の声を()らす。

すっかり涙の溜まった千夜を(なぐさ)めようとして肩におかれた左馬之介の手が、余計に涙に拍車をかけた。


「冬野さまに……冬野さまの家族に何かあったら、どうしようって……」


高村家を不幸に(おとし)れる気などあったわけではない。

万に一つも望んではいない事態だった。

それが自分の所為(せい)で災厄を招いたかもしれないとあって、千夜はずっと自責の念に駆られていた。


そして左馬之介の報告をもって、罪悪感と安堵が混ざり合って千夜に押し寄せている。


「主計……冬野の父の、日ごろの行いの良さが勝っただけの話よ。

もう気に病むな。千夜は何も悪くない」


左馬之助の包容力に、千夜は弱さを(さら)け出した。

自分のしてしまった罪は消えない。

叶わない願いを抱いてしまった報いが、災いとして想い人を陥れることがあるのだと、身が刻まれる痛みを和らげてくれたのは、かつて父と重ねた姿だった。






かくて高村家の存続がなったのだが、御書院番士の中で(ささや)かれているのは……


「中原家と高村家の縁談が、破談になったとか」


「何でも主計殿が仁兵衛殿のご不興を買ったと聞き及んだが」


「主計殿も馬鹿なことをしたものよ。組頭の地位も得られたであろうに」


「しかし御書院番を続けられるだけでも、高村家にとっては幸いであろうよ」



「主計」


懐かしい呼び方に、主計は帰路に就いていた足を止める。

呼び止めたのが誰であるかがわかったので、振り向きはしなかった。


左馬之介はそっと主計に並んで、同じく帰路に就いた。


「お主には礼を言わねばな。私のために色々と動いてくれたのだろう」


高村家は中原仁兵衛に蹴落とされることなく、無事に御書院番としての地位でいられた裏では、左馬之介の尽力があった。

方々に掛け合って主計の左遷(させん)を阻止していたのである。


左馬之介は自分がそうしたとは主計に言わなかった。

だが、主計には痛いほどわかりきっていたのだ。


「礼には及ばん。ちと、心配だったのでな」


「……冬野が言っておった。新之介にはいつも陰ひなたで支えてくれて、感謝していると。

親子というのは似るのだな」


「こちらも新之介から聞いたことだが、冬野は誰に対しても裏表がなく、人の弱さを優しく包み込める男だと言っておったぞ。お主もそうであろう」


そこで主計は立ち止まった。


「私はもっと分別のつく男だ。

あいつは自分の望んでいるものが、どれだけ自分を苦しめるのかがわかっていない」


「主計……」


武士が町人を妻に迎えたいと欲している。

それがどんなに難しいことなのか、武士の子として生まれた我が子がどうしてわかってくれないのかと、主計は友に訴えていた。


「誰が……息子に苦難を味あわせたいと思うか。

今回は運が良かった。だが、すべてが万事うまくいくことはありえない。これだけは許せぬ……」


武士の世界で生きる主計だからこそ、たとえ二人にとって悪人になろうとも、二人のために許すことができなかった。

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