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雪月梅花  作者: 夏野
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五十一

神田より北方には大名屋敷が多く存在し、その大名屋敷の群れを抜けると、今度は寺院が立ち並ぶ。

さらに寺院群の先に、坂本村があった。


坂本村に住んでいる大方は百姓で、所々にぽつんぽつんと住居が点在していて、密集した武家屋敷の中に住んでいる冬野には、いつ見ても新鮮だった。

広大な土地には数多の田圃があって、稲穂が揺れる風景はこの村に流れる時間のようにゆったりと、心に安寧をもたらせてくれるようである。


もっともすでに稲穂は刈り取られていて、今は寂しい風景となっていた。


この日、冬野が坂本村を訪れたのは、かつての乳母を見舞うためだった。

高村家に仕え、冬野の乳母であった()()()という女性が、今は坂本村に隠棲している。

そのおもとが体調を崩したと聞いて、冬野は急ぎ滋養のある食べ物やらを持って、見舞いに来たのであった。


「一時は危なかったと聞いて心配しました」


おもとが体調を崩したのは、今回が初めてではない。

何ヵ月かに一度は寝込んでいて、それも冬野の知る限りなので、本当はもっとというところだろう。


「もうすっかり良くなりよくなりましのよ」


おもとは目元を細めて、冬野を慈愛に満ちた目で見た。


「あんなに小さかったお坊ちゃまが、ご立派になりましたね。変わらないのはお優しいところかしら」


謙遜するように(うつむ)いた冬野の顔は(ほころ)んでいる。

幼い日の情景は、すぐにでも思い出せるくらいに懐かしかった。


「ごめんください」


鈴の鳴るような声が戸口の向こうから聞こえて、声の主が姿を現した。

おもとはその人を知っているようで、穏やかな調子で答える。


「いらっしゃい。この子がね、ずっと私のことを看病してくれたのよ」


真向いにいるおもとの声は、冬野には聞こえていなかった。

声を聞いた瞬間から、そうではないかと予見していた。


振り向くと、同じく驚いている彼女の姿が瞳に映った。


「冬野さま、どうしてここに……」


「お千夜さんも……」



満月屋で補修工事が行われている間、千夜はかやの兄の家に身を寄せているのだが、かやの兄の家は坂本村にあった。

一人で住んでいる近所のおもとが患っているのを知って、千夜がずっと看病していたのだ。


だが、おもとが冬野の乳母だということは知らない千夜である。

まさか坂本村で会えると思わなかった二人は、すっかり甘い雰囲気を出していた。


「うどんをたくさん持ってきたので、作りますね」


「私も手伝います」


たすき掛けを始めた冬野を、驚いた顔で千夜は見た。


「冬野さまに台所仕事なんてさせられません」


「男もこれくらいできなくては」


「ふふ……」


千夜の前では勢い込んで無鉄砲な姿になった冬野に、時折目を丸くしながら、おもとは二人を微笑ましく見ていた。



「良い子を見つけてきたじゃないか」


感嘆しながら煙管(きせる)を吐いたのは、かやの兄の為造(ためぞう)である。

まだ若い時分に妻と死別してからは、気ままに男やもめの一人暮らしをしていた。


「本当に、俺達にはもったいない子で……」


まるで我が子のように千夜を思っているのは、太一だけではなくかやも同じである。

千夜には遠慮をして口に出して言ってはいなかった。


「最近の若い奴は年寄りは大事にしねぇ、果ては親まで(ないがし)ろにする奴が増えてるっていうのに、てぇしたもんだ」


為造がとりわけ感心しているのは、おもとにつきっきりで千夜が看病をしていたことである。

千夜にとっておもとは親戚でも、近所の(よしみ)でもない、ましてや冬野の乳母だとも知らなかった赤の他人である。

それを泊まり込みで、誠心誠意をもって看病に当たった千夜の姿に感服していたのだった。


しかも満月屋の補修工事の費用も自ら出そうとしてくれたと太一たちから聞いていて、為造もすっかり千夜のことが気に入っていた。


「誰か()い人はいないのかね。年頃だろう」


「さあ……けっこうもてる子だけど」


冬野には内緒であるが、千夜は店の客から言い寄られることがしばしばある。

千夜は相手にしないのでどれも不発に終わっているが……


口うるさくせず、見守ることが太一とかやの信条である。

危うく、昔の許嫁の妾にさせようとしてしまった一件から、より慎重になる二人だった。

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