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雪月梅花  作者: 夏野
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境内の大きさは、およそ二間半。

ぽつんと小さい社が祭られていて、それでも寂しくないのは、境内の両脇と背後を梅の木が埋め尽くしているからだった。


座るには充分の力石が祠の前に、参拝する隙間を隔てて二つ並んでいる。

冬野と千夜はそれぞれの力石に腰を掛けて話し込むのが、習慣となっていた。


「それで新之介といったら、またふざけたことをぬかすから、相手の方が根負けしてな……」


「ふふっ、新之介さまという方は面白い方なのですね」


ほとんどは冬野の話を千夜が聞き手になっているという構図であったが、日がな一日、神社に来る以外は家に籠っている千夜には話題がないので、冬野が話し手になるしかなかった。

そんな千夜を退屈にさせまいと、冬野は身近に起きた出来事を面白おかしく千夜に話していた。


しばらく話す(うち)に、何処(どこ)からか琴の音が聞こえてきた。


ゆったりとした曲調は、まだ早い春の長閑(のどか)さを思わせる。

雰囲気が和むような心地に、冬野は聞いた。


「お千夜さんも、琴を弾かれるのですか?」


大店の娘ならば琴を習ったことがあるのではないかと思ったのだが、言い終わった後で、千夜の表情に(かげ)りがあるのに気づいた。

言ってはいけなかったことを言ってしまったと、感じた。


「……いえ。前に習っていたのですが、もう弾きたくないのです」


どう答えたものか、はたまた違う話題を振るべきか、冬野は迷う。

嫌な思い出があるような千夜の言葉は、琴の音に似合わずに重々しかった。


考えた挙句、立ち上がった冬野は背後の梅の木まで移動した。


暗い顔は一転し、冬野を目で追っていた千夜は、思わずえっと声を漏らした。

冬野が梅枝(うめがえ)を手折ったからだ。


「冬野さま?」


冬野は手折った梅枝を、千夜に手渡した。


「これが、貴女の支えになってくれれば……私には、こんなことしかできない」


気休めにもならないかもしれないけれど、たった一時でも梅花を見て、千夜の心が安らぐことを冬野は願った。

花を愛でるのに理由はいらないとわかったのはつい最近である。


救うことを確約できない不甲斐なさを呪って、それでも願いを込めた。


「梅花を見て、冬野さまのことを思い出します」


それが支えになってくれると、千夜は暗に告げた。


愛しい花よりも自分が支えになることなど、冬野は予想していなかった。

千夜の目は純粋で、花のような笑みが、冬野の心をくすぐる。

笑ったときにできる笑窪が、なお可愛らしい。


「では、また」


冬野は照れた顔を隠すように、神社を後にした。






「これが、わかるか?」


そう言って、音十郎は一枚の金子をひょいと投げた。

はじかれた金子を冬野は受け取って、隣にいる新之介と共に見る。


冬野は、ただ梅枝を千夜に渡して満足したわけではなかった。


己の力など微々たるものだが、千夜をどうにかして救ってあげたいと、協力してくれている新之介とともに奔走していた。

二人が調べたところによると、山ノ井主税、もとい山ノ井家は何かと胡散臭い旗本であった。


叩けば埃が出てくるだろうとということで動き出そうとしたとき、二人は音十郎に番屋まで呼び出されたのである。

千夜のことで話があると思っていた二人は、いきなり金子を投げられて当惑した。


「まさか……」


これといって確証はないが、抱いた少しの違和感に、二人は(ひらめ)くものがあった。


「よくできているだろう。

山ノ井家は羽振りが良いことで有名だが、このご時世、大役を務めてない旗本にしちゃあおかしな話だったんで、調べてみたんだ」


金子は、(にせ)金であった。


そして音十郎の言葉から導き出せるのは、山ノ井家が贋金に関わっているということである。


「山ノ井家では、贋金を作っているのですか?」


常には冷静な新之介も、贋金とあっては身を乗り出すようにして聞いた。


「製造はしてねぇが、命じているのは現当主である主税の父親だと、俺は踏んでいる」


「では、しょっ引いてしまえば……」


いくら旗本と言えども、贋金作りに関わっていたとなれば、お咎めは避けられないだろう。

お上のご政道を乱したとなれば、旗本だからこそ、けじめをつけさせる。


悪くてお家取り潰しの憂き目にあうのではないか、そうすれば千夜は解放されるのではないか、冬野たちの目にやっと、希望が映った。


「ことは重大だ。証拠もなしに動けば逃げられる。

俺たちは旗本は相手にできないのが前提だ。前提を覆すほどの証拠を掴むまで待ってろ」


歯がゆい気持ちが押し寄せる。


早く千夜を救ってあげたいのに、ただ座しているだけが耐えられそうにない。


冬野とて、慎重に動かなければならないことはわかっていた。

どうにかして山ノ井家に責めを取らせることを考えれば、なおさらである。


「久しぶりの大捕り物だ」


口の端をにっと上げた音十郎だが、その顔には緊張の色が見えた。



「今は音十郎さんたちに任せるのが一番です」


「私は、何もできないのだな……」


冬野たちが捕り物に協力することができないのはもちろんのこと、旗本という身分がありながら町方役人の足元にも及ばない事実に、冬野は無力さを痛感した。


「冬野が動いたから、贋金にまで辿り着くことができたんだ。

胸を張ってお千夜さんと会うことが、何よりも冬野にできることだ」


山ノ井家に露見してはいけないので、贋金のことは千夜にも秘密だった。

もどかしいが、千夜のためには何も言わないことが正解である。


水面下で進みつつある千夜の救出は、音十郎の機転があってこそである。

あらためて冬野は、手を拝んだ。


新之介と別れた冬野は、無性に千夜に会いたくなって、神社に訪れていた。

道場帰りの時刻でもないので会えない確率の方が高かったのだが、やはり千夜の姿はなかった。


だがその後、道場帰りに立ち寄っても千夜は現れなくなった。

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