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雪月梅花  作者: 夏野
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四十四

夕顔屋主人夫婦の死は、多くの人に衝撃を与えた。

通夜が粛々と行われ、弔問客は皆、事故死した主人夫婦のことはもちろん、痛ましい千夜の姿に憐憫(れんびん)に駆られたものである。

両親に死なれて呆然自失といった様子で弔問客には頭を下げているのが、余計に痛ましく見えたのだ。


両親が一人娘の千夜を溺愛(できあい)していることも、千夜が両親を大事にしていることも、誰もがわかり切っているだけに、(よど)みは色濃く渦巻いた。


「お嬢さまがご成人あそばされるまでは、私どもが万事店をお守りしますので、どうぞお気を確かに」


番頭をはじめ、夕顔屋の奉公人たちの一致した意見はこうである。


いずれ千夜が婿をとったときには婿に夕顔屋を継いでもらい、それまでは番頭ら奉公人たちで店を切り盛りする、というものだった。

親戚や商人仲間でも首を横に振る者はなく、千夜にしても一人になった今、両親の大事にしていた夕顔屋を奉公人たちと守りたいという想いが強かった。


しかし、ここに異を唱えた者がいた。千夜の叔父で、父の弟にあたる松次郎である。


「主人が不在の店は、とかく足元を見られるというものだ。

兄さんの残した店と大事な娘を、危険な目には合わせたくないだろう。

だからお千夜が婿をとるまでは……」


自分が夕顔屋の主人になると、夕顔屋の面々に松次郎は言ったのだった。


「ですが、そちらのお店の方はどうするので?」


松次郎は楊枝屋の娘と所帯を持っていて、その店を継いでいる。


「うちの店は妹夫婦に任せることにしましたのでご心配は無用です」


と、松次郎の妻の()()までもが言った。


まだ通夜が始まったばかりだというのに、よく段取りできたものだと思った夕顔屋の奉公人たちも、亡き主人の実の弟とあっては、反論することはできない。

含むところはあるが、血の繋がりのある人間が店を継ごうとしていて、いずれは千夜の婿に店を継がせると断言をしているので、最終的には松次郎が兄の後を継ぐことで決定した。


夕顔屋の主人夫婦の葬儀が終わり、喪が明けたときには新たな主人を迎えて、夕顔屋は再開した。


「好きで楊枝屋の娘と一緒になったっていうのに、うちに来るなんて……

家が釣り合わないって、親には随分反対されたって聞きましたよ」


「それにほら、よく金をせびりにきていたじゃない。

亡くなった旦那さまも奥さまも、頭を悩ませていたんだから」


「お嬢さまに婿をとらせるって言っていたけど、本当かしらね」


ある日、女中の噂話を聞いてしまった千夜だったが、松次郎が金をせびりにきていたことは知らなかった。

両親は千夜に、きれいなものだけを見せて、きれいなものだけを聞かせていたものだ。

何も知らなかったのだと身内の嫌な部分を目の当たりにしたときには、優しかった両親はいない。


でも、叔父夫婦にきつくあたられることもなければ、特別険悪という関係でもなかった。

だからこそ叔父は宣言通り、自分に、そして未来の婿に店を任せてくれるだろうと、そう信じていた。



両親の死から四年が経ち、千夜は婿をとるに相応しい年齢になった。

叔父夫婦の態度があからさまになってきたのは、この頃からである。


「お前に良い縁談があるのだ」


またか、と千夜は心の中で苦い顔をした。

叔父が持ってくる縁談話はどれも他家に嫁にいくというもので、婿をとらせる話は一度もなかった。


決まって、

「お千夜は跡取り娘だからって言ったんだけど、向こうがどうしてもって……」


と、はまが千夜を嫁にいかせるのは自分たちの本意ではないと取り(つくろ)うのである。


「私は、婿をとらないと……」


「そうはいっても、目ぼしい人がいないんだよ。

お千夜だって変な男を婿に迎えるよりは、確かな男の嫁になった方がいいだろう」


「お父さまとお母さまが残したこの店を、ずっと守っていきたいんです」


千夜の答えに、厄介だと言わんばかりに叔父夫婦は嫌な顔をしてみせた。


叔父夫婦は、千夜に婿をとらせる気はなかったのだ。

大店の主人の座についていたくて、いつかは千夜の婿ではなく実の息子に継がせたいのだと、千夜はやっと本心を目の当たりにしたのだ。


千夜は嫌気がさして、柳島村にある夕顔屋の別宅に、しばらく滞在することにした。


気心の知れた女中一人を伴って別宅で過ごし、好きでもあり得意でもある琴を演奏する生活を送る。


意地を張っていないで、夕顔屋はこのまま叔父夫婦に任せてしまった方がよいのではないか。

たとえ嫁にいったとしても、夕顔屋との縁が切れるわけでもない。

だけど、両親が大事にしていた店を守りたい気持ちは変わらなかった。


目眩(めくるめ)く駆け巡る思いを、今だけは考えずにいたい一心で琴を弾く。

その音色が風に乗って、なお穏やかに、ある人の元へと届いていた。

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