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雪月梅花  作者: 夏野
39/61

三十九

重たい足取りで冬野が千夜を訪ねたのは、山王祭の夜から数日が経った後だった。


「反対されるどころか、相手にもされません……」


両親に千夜のことを打ち明けた冬野だったが、やはりというべきか、許してもらえるはずもなく、何度説得を試みようとしても、もはや話も聞いてくれない有様であった。


『お前の相手はすでに決まっておる』


父はそう口にしたのを最後に、冬野の話を聞こうともしない。

母も困り切った顔をしている始末だ。


「そう、ですよね……」


許されないのは百も承知だったが、相手にもされないという事実は二人を打ちのめしている。


どんなに優しい両親だろうと、それは許されないことであるし、冬野の父は厳格なので尚更だった。

だからこそいつものように、いや、いつも以上に叱責されることを覚悟していたというのに、むしろ父の態度には困惑するばかりである。


「しかし、早く認めてもらわなければ……」


長い戦いになる見込みは充分にあるはずなのに、冬野は(あせ)っているようだと千夜は感じた。

ずるずる引き延ばしにするつもりはないのだと(とら)えて、うれしいけれど、冬野が真剣であればあるほど辛いものもあった。


「冬野さまは戦ってくれているのに、私は待つだけ……」


「待つことも戦です。それに、お千夜さんもいずれ戦場に出向くことになると……」


両親が話を聞いてくれるようになっても、千夜が武家に嫁ぐまでにやらねばならないことはたくさんある。

千夜の戦いはこれからだった。


だが、その戦いは巡ってくるのか。

早くしなければ、菫との縁談が進んでしまう。


千夜は冬野が抱える心配の種までもを、このときはまだ知らなかった。






冬野が一旦の報告をしてからは、しばらく同じ状況が続くだけだった。

そんな中、待つ身の千夜は普段通りを心掛けて、一人になったときにだけ悩んでいる。


おおよその事情を冬野から聞かされた太一とかやは、二人のことが心配でならなかったが、あまり口出しはしないようにと、こちらも心掛けていた。


「毎日お稲荷さんばっかりじゃ飽きちゃうわよねぇ、お千夜ちゃん」


昼の商いが終わって、満月屋の面々は店の小上がりで(まかな)いを食べていた。


満月屋の名物である稲荷寿司は、毎日欠かすことなく店に並べられる料理である。

店で食べるもよし、お土産にするもよしで、好評の品だった。


「ちっとも……」


飽きません、という言葉は、戸口の開く音に(さえぎ)られた。


すでに暖簾(のれん)は下げているので客ではない。

では誰がと戸口の方を見やった三人は、入ってきた人物を見て固まった。


戸口の前には、見るからに武家の息女とわかる若い女と侍女らしき女がいた。


満月屋には新之介の妹が来ることもあるが、それは縁あって千夜と懇意にしているからであって、一膳飯屋に武家の人間が訪れることは、通常ありえない。

あまりにも異質な武家の女は、千夜だけを見据(みす)えていた。


「貴女が千夜さんかしら。お話がありますの」



千夜と女は小上がりで対面した。侍女は小上がりには腰をかけず、女の近くに(はべ)っている。

太一とかやも厨房から、固唾を呑んで千夜を見守っていた。


女は菫と名乗っただけで、かやが運んだお茶にも手をつけようとしない。

まったく知らない、しかも高貴な人物が訪ねて来たことに、戸惑う千夜は何も聞けなかった。

歳は同じくらいであろう娘に委縮してしまうのは、先ほどの凛とした声音と態度がそうさせた。


「前置きはいたしません」


口を開いた菫はそう言うなり、白いすらりとした手で千夜の前に金包を置いた。


ざっと百両くらいと思われる金包を押し出されて、千夜は叔父夫婦に手切れ金を渡されたときを思い出した。

身内に金で縁を切られた、あの嫌な感覚が(よみがえ)ってきて、顔を(ゆが)めそうになるのを必死でこらえる。


「あの……」


「これで冬野さまと別れてください」


千夜は想い人の名を聞いて、目を見開いた。


「……貴女は、冬野さまのお身内の方ですか?」


冬野が打ち明けたことで反対した家人が、内々に縁を切らせようとして来たのかと聞いてみるも、尋ねた千夜自身、どこか合点ができない。

冬野に妹はおらず、縁を切らせようとするのに親戚の娘が来るだろうかと考える。


菫が口にしたのは、またしても千夜の胸を(ざわ)めかした。


「いずれ身内になりますの。今は許婚(いいなずけ)ですけど」


千夜は微動だにしなかった。できなかったという表現が正しいのかもしれない。

鈍器で殴られたような衝撃を受けたのは確かで、心は平静でいられなかった。


「貴女のことは父上さまには申し上げておりません。

これ以上、冬野さまにも私にも迷惑はかけないでください」


今なら事を荒立てずに、内々に済ませられると菫は言っている。

金包は、その解決金ということだ。


千夜はやっと、震える声で(つぶや)いた。


「お受け取りできません」


菫がはじめて不快な顔を露わにした。


金で済まそうとされた屈辱を受け取りたくなかった。受け取れば、より一層(みじ)めになるだけである。


何より菫に屈したくないという気持ちが、千夜を奮い立たせていた。

その思いが通じたのか、千夜が絶対に金を受け取らないと(さと)って、菫は腰を上げた。


「……今後は身をわきまえて行動しなさい」


吐き捨てられた言葉に、武家の威厳は少なくなっていた。

苛立ち紛れに出て行く菫と侍女の姿が見えなくなってから、太一がかやを急き立てる。


「塩だ、塩」


かやが大量の塩を握って店の前にまき散らしたとき、運悪くも塩をかぶってしまった男がいた。


「何しやあがる……」


「荒木さま……!すまねぇです……」


塩を払いながら店に入ってきた音十郎の声は、いつもの伝法な口調ながら、(すご)みはなかった。

店の中に(ただよ)う重い空気を、すぐに察してしまったからだ。


小上がりに座っていた千夜は音十郎にお辞儀をして、そそくさと奥へ消えてしまう。

その後をかやが追って行った。


「何かあったのか?」


「いえ……何でもございませんや」


太一もこればかりは町方同心には相談できない。


さきほど満月屋を出た武家女と関係があると、音十郎はわかっていた。

先日、千夜をつけていた中間は中原家に仕えている男で、実は菫に命令されて千夜を探っていたのだと、音十郎に白状していたのである。


菫はなぜ千夜のことを調べていたのか。その裏にある高村家と中原家の縁談話までを突き止めたところで、音十郎の出る幕はない。


「そうか……」

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