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雪月梅花  作者: 夏野
26/61

二十六

竹刀の打ち合う音が激しく響く道場にて、冬野もまた手合わせ相手と向かい合っていた。

面の奥からきらめく眼光は鋭く、まるで憎しみを帯びたかのような目に冬野は見つめられている。

その目に(ひる)むことがなかったのは、一度、真剣での立ち合いを経験していたからである。


立ち合いに対しての臆する心は、以前に比べれば払拭(ふっしょく)することができて、しかも尋常でない相手との死闘だったので、(にら)まれるぐらいでは緊張感も違う。


止まない攻撃は、相手の高ぶりを露わにしている。

冬野は冷静だった。


すべての攻撃をかわして、隙ができたときに今度は冬野から攻撃をしかけた。

好機とばかりに相手は乗ってくる。

しかし、冬野の面を(ねら)って突いたはずの竹刀は空を斬っただけだった。

はじめの攻撃は誘導、そして相手はまんまと罠にかかり、思惑外れの戸惑いの中で冬野に一本を取られた。



「絶好調じゃないか」


稽古を終えた冬野が面やら胴を外していると、隣で汗を拭いている新之介が言った。


「何かした覚えはないのだがな」


冬野がそう漏らしたのは、同じ年頃の門下生たちから怒りをぶつけられている気がしたからである。

睨んでくる瞳の数が多かったのだ。


当の冬野にしてみれば、心当たりがない。


そもそも冬野は交友関係が(せま)く、気の許せる新之介と一緒にいることがほとんどである。

他の門下生たちとまったく話さないというわけではないが、恨みを買われるほどの付き合いもしていないのだ。


それがいきなり睨まれたのでは、良い気持ちもしなかった。


「わからないのか?」


思わず見返した親友の顔には怒りが(にじ)んでいなくて、知らぬ間に悪いことをしてしまったわけではないと安堵(あんど)した。


「冬野はこの前、中原さまの家に招かれたそうだな」


なぜ、新之介が知っているのだろうか。

わざわざ話すことでもないと、冬野からは話していなかった。


「中原さまの長女は大層美人と評判だからな」


何だ、そんなことかと冬野は(あき)れる。


「会ったくらいで(ねた)まれていたらきりがない」


「それだけだと思うのか?」


「…………?」


「今夜あたり、わかるかもな」


どういうことだと問い返したいが、答えてくれなさそうな雰囲気を感じ取る。

いつもは揶揄(からか)う顔をするくせに、真面目な新之介の顔に少しだけ違和を覚えた。


そして、勘の良い新之介の予想は見事に的中した。

夕餉(ゆうげ)を食べ終えてから、冬野は父の部屋に呼び出されていた。


また小言三昧を食らうのかと内心沈みながら父の部屋にはいれば母の姿もあって、ただの小言ではないと(さと)る。

父にも怒るときの威圧がないので、ともすれば呼び出された検討がつかなかった。


「先日会った、中原殿の娘御はいかがであった?」


さっそく口火を切った父からも菫の話題を振られて戸惑った。


「は……とても教養のある方と存じます」


「冬野にはもったいない話であるが、中原殿から是非にとのことだ」


はっと、冬野は父を見つめる。

いくら鈍くても察せられる事実はあまりにも衝撃的で、すぐに言葉を返せなかった。


主計は妻の蓮とうれしそうに見交し合ってから、冬野に視線を戻した。


「縁談が成った。来年の春には菫殿をこの家に迎え入れる」


来るべきときがきてしまった。

いつかは、それも近くに縁談の話はくるだろうと心のどこかでは思っていたが、まさかこんな早くにくるだろうとは(あせ)りもしなかった。


「お待ちください」


焦ってはじめて、自然に気持ちを吐露(とろ)した。


「どうした?まさか、気に入らなかったとでも申すのか」


「いえ、そういうわけでは……

私は父上のご存じの通り、未熟者にございますれば、まだ早いお話かと」


「未熟者なればこそ、嫁を迎えて責任感の一つでも覚えればよい」


「なれど……」


「もう決まったことだ。元よりお前の意見など無用である」


武家は、家と家との婚姻で成り立っている。そこには好いた好かれたもない。

届かない存在を求めたところで、若輩の冬野には何もできないし変わることもないのだ。


たとえ想い人が頭を()ぎって仕方なかったとしても……


「何卒、お断りください」


驚いたのは、母の方であった。

父も驚いているのかもしれないが表情には出さずに、静かに冬野を見ている。


「冬野……」


母の呼び声に御免と返事をして、冬野は部屋を後にした。






父から縁談話を聞いた冬野は、いろいろと頭を巡らせていた。


断ってくれと言ったものの、果たして父が断るとは到底思えない。

このまま菫と祝言を挙げて、ゆくゆくは父と同じ御書院番を務める姿が、現実的に想像できてしまう。


剣術も苦手で武士という身分に重圧を感じていたが、(すが)りつくように剣術に励み、いつかは父にも認められるような武士でありたいと願うようになっていた。

冬野をその気持ちにさせたのは、千夜の存在である。


心を奮い立たせてくれた人は、皮肉にも結ばれることができない相手であった。


何刻、何日、何年考えても千夜のことを(あきらめ)められない。

それが冬野のたどり着いた答えだった。


千夜を諦められないということは、現実と向き合わなければならないということだ。


冬野は千夜と結ばれる二つの方法を考えていた。

一つには、冬野が武士の身分を捨てることである。

だが、まず家族が許すわけがなく、武士の身分を捨てることは家族を裏切る行為に等しかった。

ここにきて、あまり武士という身分に(こだわ)っていないと思っていた自分が、あっさり武士の身分を捨てられないことに思い至る。


もう一つの方法は、千夜が武家の養女となることだった。

しかしこの方法もまず、家族がすんなり許してくれるはずがない。

ましてや千夜を養女としてくれる家があるかどうかもわからない。

そもそも、自分が武士の身分を捨てられないからといって、千夜にだけ慣れていない武家の人間になれと苦労を強いるのは身勝手である。


なら、どうすればいいのか。

方法はあるといえども、無理なことに(あらが)おうとしているだけではないか……


「悩みごとですか?」


「いえ……」


隣に座る千夜に、心配気に言われて笑ってみせたものの、引きつったものになってしまった。


他人の目を気にしない二人だけの時間も、考えることは諦めない想いを脅かす現実である。

縁談話がきたことは、千夜にはとても言えなかった。

千夜に悟られるとも思えないが、冬野は話を()らした。


「武士とは……感情の起伏を表に出さず、いかなるときも冷静でなければならないと、父からよく言い聞かされています。

私にはどうも難しい……」


冬野は背筋を伸ばして、その練習をしていたと言うように真顔になってみせた。


武士はときとして、心を氷にしなければならないときがある。

冬野にはまだ持ち合わせていない心得とでもいうべきものだ。


そんな屈託のない冬野に、千夜は()かれたわけだが……


ふいに千夜が、冬野の頬を軽く突いた。

いたずらを仕掛けたときの子どものような顔が可愛くて、表情が緩んでしまう冬野である。


「冬野さま、笑ってはいけませんのよ」


すっかり真顔に戻せなくなって、ふにと千夜の頬をこれも軽くつまんでやり返した。

変な顔を見られたくないと、縁側から立ち上がって逃げた千夜を、冬野は追いかけた。


「ひどい」


「お千夜さんが(いじ)めるからですよ」


あっという間に後ろから抱きすくめられる格好で、千夜は捕る。

大人しく身を任せてくれる千夜を、やはり手放したくはないと改めて冬野が感じた瞬間だった。

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