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雪月梅花  作者: 夏野
17/61

十七

よほど卵焼きが好きなのが、千夜が一口の大きさに切って食べさせてあげるのをうれしそうに食べている女の子は三、四歳といったところに見える。


こんな小さな子どもが一人で花見に来たはずはなく、辺りを見回してもその子を探している親らしき人はいなかった。

なので親の目を離した隙に歩いてきてしまったのだろうと、

「きっと迷子だな」

と冬野が言った。


「迷子じゃないよ。かかさまたちはあっちにいるもん」


しっかした口調で言い返されて、冬野は少し呆気(あっけ)にとられた。

女の子は心細くなるどころかけろりとしている。


「でも、お母さまたちは心配しているはずよ」


女の子の食欲が収まるのを待って探しに行こうと冬野と千夜が顔を合わせたとき、遠くから女の叫ぶ声が聞こえた。


「お(きみ)!」


血相を変えた若い女が、女の子の姿を見るなり走り寄ってくる。

母親だろうかと冬野たちが思っている(うち)に、女の子は「かかさま!」と言って立ち上がった。


「うちの娘が、どうもご迷惑をおかけしまして……」


寄ってくる女の子を抱きしめながら、女は安堵(あんど)の表情で頭を下げた。

女は小綺麗な身形(みなり)をしていて、大店の内儀といった感じである。


あとから女の子の父親もやって来て、母親と同じく娘の無事な姿を見てほっとしている。


「この度はあいすみません……手前は油問屋を営んでおります、春日屋(かすがや)喜左衛門(きざえもん)と申します。娘の粗相(そそう)におかれましては、何卒ご容赦を……」


男は丁寧な口上を述べて、居住まいを正した。


花見には近所の商家仲間の家族たちで来たのだが、喜左衛門は主人たちが集まる座にいて、娘の君は母と一緒にいたのだが、母が酌をして回っている隙に、いつの間にかいなくなってしまったのだそうだ。

どこかで怪我でもしていたら、(かどわ)かしにでもあっていたらと、両親は気が気でなかったという。


「とてもいい子でいましたから、気にしないでくださいまし」


ひとしきり礼を言って、喜左衛門たちは去って行った。


「元気な子だったな」


勝手に親とはぐれたところは子どもらしいが、言葉もしっかりしていて、弁当に入っていた卵焼きも平らげてしまっている。

母親に抱かれてきゃっきゃとしている様は愛敬があった。


「ええ。とても可愛らしい子で……」


ふと冬野が隣を見れば、千夜は懐かしそうな眼差しをしていた。


冬野は、毎年両親と花見に来ていたと千夜が言っていたことを思い出した。

君たち家族の姿は千夜にとって、自分と亡き両親の在りし日の姿に見えたのかもしれない。


しかし千夜には心配してくれる両親も、幸せな家族の形も、すでに失ってしまっている。


「いつもあの家族のような人たちを見ると羨ましくて、寂しくなっていました」


かつては自分も幸せの中にいたのに、陥った不幸の中で、(たま)に町中で見かける幸せそうな家族を見るたびに、千夜の心は泣いていた。


冬野もそんな千夜の気持ちがわかって、かける言葉を探していると、意外にも千夜は優しく笑いかけた。


「今は、父さまと母さまのことを思い出して切なくなるけれど、微笑ましくも感じるのです」


着実に、千夜は前を向いている。

満たされていた昔はどこにもなくて、だけど今が不幸せではないと、千夜の目が断言していた。


冬野は千夜のことを、もっと弱々しい存在だと思っていた。

千夜の境遇を思えばこそで、だからこそ自分が支えてあげなくてはと、恋情の他に憐憫(れんびん)があった。


だが、それは千夜に対して失礼なことだったと、思い直す。


彼女の幸せが続きますように、そして自分も千夜の幸福の一欠片になれればと、欲張りな願いが心に巣くった。


「私も、たくさんの思い出を、お千夜さんに……」


冬野の言葉に千夜は臆することなく微笑んだ。

大切な人がずっと笑っていられるようにという冬野の優しさが、その言葉には込められていた。


千夜には冬野の想いが伝わっている。

普段ならば、笑うことも、(うなず)き返すこともできなかった。


現実を考えれば考えるほど、願いは夢幻(むげん)である。

せめてこの刹那だけは、たとえ(はかな)くとも現実から逃れていたい気持ちが、二人を素直にさせた。

未来は語り会えないまま、二人に陽光が降り注ぐ。

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