9 事情を振り返る男
目の前で恥ずかしそうにギュッと目をつむったセシリアの仕種に、柄にもなくドキンと胸が高鳴った。
じわじわと結婚した実感が込み上げてくる。
相手は当初の予定と変わってレスト子爵家の令嬢セシリア。ふわふわとした癖のある栗色の長い髪と、ぱっちりとした大きな紅茶色の瞳が特徴的な、成人して間もない若い娘だ。
正直言って彼女はアリアルーチェのように絶対的な美貌の持ち主ではない。せいぜいが十人並みよりやや可愛らしいくらい。所見は確かにそう思っていた。
しかし結婚式当日、控えの間で彼女を目の当たりにした途端、印象は大きく書き直された。純白のドレスに身を包み、完璧な化粧を施され、シュナイダーが贈ったケープとアクセサリーで飾ったセシリアはとても可憐で美しく、戦乱の中をたった一本の剣を携えただけで突撃するほど強靭な精神を持つ彼の心を、これ以上ないほどに昂らせた。
式の最中、隣を歩く彼女が気になって仕方がなく、何度か足が縺れそうになった。
枢機卿の問いに、控えめながらもハッキリ「誓います」と答えた彼女の声が耳に残る。
誓いの口づけのためにシュナイダーを見上げ…そして瞼を閉じたセシリアの可愛らしさに緊張し、必死で全身の震えを抑えていた。
トドメは邸へと向かう馬車の中でだ。疲れた様子の彼女に声を掛け、具合が悪いのかと小さな額に触れた。するとセシリアの顔は見る見るうちに赤く染まり、そして大きな双眸を瞼が覆い隠した。
上気した頬に閉じられた瞳。うっすらと開かれた艶やかな唇。白く細い首にはシュナイダーが選んだ金の台座と鎖に大粒のサファイアをいくつもあしらったネックレス、耳にも同じ配色の飾りがキラキラと光りながら揺れている。
シュナイダーの色を纏った彼女に、自分の物になったのだと強くそう感じた。それと同時に触れたくて、隅々まで味わいたくて仕方がないと男の性が騒ぎ出し、慌てて外の景色を眺めて気を静めた。
どうしたことだろう。昨年までは結婚する気さえなかったのに。
剣を振るえる場所があり、我が君である国王陛下を護るための後進を育てられるのであれば、オルフェンスの跡継ぎなど四つ下の弟コンラートに譲るつもりでいた。
そう。次代の座に執着などなかった。しかし事態は突然変わった。今年の初め、年始の王城でのパーティーの際、陛下から発表された重大報告によって運命は急展開を見せた。
『皆に告ぐ。王太子であるエドワードは、隣国リンカルとの和平条約を確固たるものにすべく、かの国の第二王女ロクサーヌ姫との婚姻が決定した。それに伴いエドワードとモルドラン公爵が息女ルナマリア嬢との婚約は白紙に戻し、ルナマリア嬢たっての希望を聞き入れ、オルフェンス侯爵の次男コンラートとの婚姻をここに認める』
⦅は?⦆
シュナイダーは警護のために陛下の傍に待機していたので、誰よりもより近くでその発表を耳にしたが、すぐには理解できなかった。
警護対象から目を離すなど護衛として失格だが、思わずパーティーに参加しているコンラートへと目を向けると、彼は絶世の美女と名高いルナマリア嬢の肩を抱き、この上なく幸せそうな笑顔で兄シュナイダーを見上げていた。
いつの間にと驚きはしたものの、弟が幸せなら当然祝福する。しかしよくよく考えてみれば、モルドラン公爵家の子供はルナマリアただ一人。彼女が王家に嫁した場合、父方の従弟がモルドラン家へ養子に迎えられ、跡を継ぐと聞いていたが、王太子との婚約が白紙となった今、ルナマリア嬢が婿を取り、家を継ぐことになる。
端的に言えば、コンラートはオルフェンス家を継がないということだ。
短時間でその結論を導き出したシュナイダーは、生まれて初めて眩暈を感じた。早々に放棄し、自分とは関係のない世界の話だと思っていた貴族家の跡継ぎ問題が、目の前に突き付けられてしまったのだ。
さすがに自分の代で家を潰すわけには行かず、その日以来、シュナイダーは消極的ながらもパーティーや茶会に参加して結婚相手を探したが、軍人としては最高な強靭な体躯や厳めしい面構えは令嬢方にはかなり不評で、怯え怖がられることにほとほと疲れてしまった。
そんな時、世話焼きバ…もとい、王宮の侍女頭であるメーシャに紹介されたのが、ワーデル伯爵家の息女アリアルーチェだった。
大輪のバラのように華やかな美人のアリアルーチェは、自身の美貌にかなりの自信があり、人前に出るのが好きでとても社交的だという。
社交が苦手なシュナイダーの代わりが務められるのであれば、やや気が強い性格だとかやや金遣いが荒いなどという点は大目に見ることにした。なぜならどんなに妻の気が強くとも仕事でほとんど家に帰れないければ喧嘩にはならないだろうし、浪費家という部分も将軍職に就いているシュナイダーの給金はそれなりに高いので、身代を潰さない程度ならば好きに使っていいと思っていたからだ。
まあ早い話、相手にも結婚にも興味がなかったのである。
それがどうだろう。逃げたアリアルーチェに代わり、彼と同じような境遇のセシリアと結婚をした途端、”妻”となった彼女に興味がわく。
こんな感情は初めてで、言葉にするのも難しい。
それでも一番近しい感覚は、戦場で命の遣り取りをした直後、全身の血が沸騰しているときに似ている。
そんなそわそわした気持ちを抑えつつ馬車に揺られること半刻。漸くオルフェンスの邸に到着すると、執事のセバスティアンや家令のトヴィアスを先頭に、玄関先にずらりと並んだ使用人たちに出迎えられた。
先に馬車を降りセシリアに手を差し伸べたシュナイダーは、ぐるりと家人一同に視線を巡らせると、隣に立たせたセシリアをみんなに紹介した。
「我が妻となったセシリアだ。皆よくしてやってくれ」
「初めまして。不束者ではございますが、どうぞよろしくお願いします」
使用人相手にもドレスを抓んできちんと挨拶をするセシリアに、家人一同が目を丸くした。
返事がないことに小首を傾げるセシリアの肩を抱き、シュナイダーは誇らしげに皆に告げる。
「我が家にとって最良の女主人を選んだと、己の見る目は確かだと自負している。俺がいない間もよろしく頼む」
主が結婚に前向きでなかったことを知る家人たちは、シュナイダーの言葉に驚きすぎ、ただただコクコクと頷くばかりだった。




