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8 ドキドキする女

ブクマ&評価ありがとうございます

 どこまでも澄み渡る青空の下、シュナイダーとの結婚式は、拍子抜けするほど恙無く終えることができた。

 参列者は残念ながら両家の親族のみ…というか、オルフェンス家からはシュナイダーの弟であるコンラートだけ、レスト家も両親とハロルドのたった三人だった。


(シュナイダー様と出会ったあの教会よりも倍以上大きいアレンシアノ大聖堂では、あの人数では寂しいわね…)


 パイプオルガンが奏でる神曲が響く中、王族や高位貴族が利用するような神聖且つ荘厳な場所で、教会の最高顧問である枢機卿を前に、女神へと永遠の誓いを立てた。

 結婚相手が歴史あるオルフェンス侯爵家の嫡男なのだから、式場が大聖堂なのも枢機卿が取り仕切ってくれたのもなんらおかしくはないのだが、あまりにも自分には不釣り合いな気がして、セシリアは最後までガチガチに緊張していた。

 式が終わるとろくにコンラートや家族に挨拶もできないまま、用意されていたオルフェンス家の馬車に乗る。裕福とはいえたかだか子爵位のレスト家のものに比べ、家紋の彫られた豪華な馬車はほとんど揺れも感じられず、乗り心地はこの上なく快適だった。


「…疲れたか?」


 少しぼんやりとしていたセシリアに、気遣わし気なシュナイダーの声が掛けられた。隣を見上げるとかなり高い位置に、眉間にシワを寄せた厳めしい表情でこちらを見下ろす彼の視線とかち合った。

 反射的にビクッと肩が竦む。するとほんの微かに彼の眉尻が下がったのがわかった。


(見た目に反して、結構ナイーブな方なのかしら)


 大聖堂の控室にて、セシリアの家族と対面した時の様子を思い出す。見るから怯え、恐縮してずっと頭を下げたままの姿勢の両親に対し、彼は確実に困っていた。


『今日から義理とはいえ息子になるのだ。だからそう畏まらないでほしい』


 向かい合ったソファーの一方に腰を下ろすシュナイダーに、気安く名前で呼んでほしいと請われたマイセルは青い顔でブンブンと首を横に振った。


『そそそそんな畏れ多い! オ、オルフェンス将軍を名前でなど!』


 父の横でユーリーナとハロルドが、同じく青褪めた顔でうんうんと頷いていた。

 家族の気持ちは痛いほどわかるけれど、その時のシュナイダーはムスッと口をへの字に曲げ、不服そうに眉根を寄せていた。

 見た目や年齢や役職に見合わず、案外子供っぽいところもあるのだとセシリアは思った。


「セシリア? 気分でも悪いのか?」


 自分の考えにはまり込んで返事をし忘れていたセシリアの様子を、調子を崩したのかと懸念したらしいシュナイダーは、剣ダコでゴツゴツと固い手のひらをセシリアの額に当てた。

 出会った時と同じ、白い軍服姿の彼。こうして向き合うと、この人と結婚したのだという実感がじわじわと湧いてくる。本当だったら昨日、ロバートと結婚するはずだったのに、縁とは不思議なものだ。


「大丈夫ですよ。少し疲れただけですから」


 微笑んでそう答えたが、彼の眉間のシワは更に深くなった。きっとセシリアの顔色があまり良くないのだろう。でもそれは仕方がない。たった三日ですべての準備を終わらせたのだから。

 正直に言えば無茶なスケジュールでかなり疲れている。しかもこれから向かうのはオルフェンス家の邸。

 時折こっそりと拝借して読んでいたハロルドの好きな冒険小説に例えるなら、互いの家を行き来することなく結婚したセシリアにとって、オルフェンス邸は未知のダンジョンも同じ。家族や家人との顔合わせもなく、相手先の作法やしきたりなどの勉強一つせずに嫁ぐということは、装備の用意もないまま何がいるかわからない未踏の洞窟に挑む冒険者のようなものだ。

 毎晩ベッドに入ると、やっていけるだろうかと不安ばかりが胸に押し寄せ、この三日間はずっと寝不足だった。いや、今夜も眠れない可能性が高い。だって結婚式当日の夜ならば、それはいわゆる——————初夜。


「…っ!」


 眠れる眠れない以前の問題に気が付いた瞬間、ぶわわっと頭が沸騰した。


「どうした? 急に顔が赤くなったぞ」

「な、なんでもありませんっ」

「熱でもあるのか?」

「熱もありません!」


 慌てて顔を逸らそうと試みるも、彼の大きな手で押さえられて叶わない。まじまじと見つめられて恥ずかしくなったセシリアは潤んだ瞳を隠すためにぎゅっと目を閉じた。

 心臓がドキドキと騒ぐ。あまりにも暴れすぎて口から飛び出てしまうのではと心配になるぐらい。

 そんな心配をよそに、暫くすると額に触れていた手のひらが離れて行った。けれどシュナイダーは何も言わない。馬車の中があまりにも静かなことを不思議に思い閉じていた瞼をそ~っと開けてみると、そこには馬車の窓枠に肘をつき、鼻から下を手のひらで覆ったシュナイダーの横顔があった。

 心の内までも見通してしまいそうな彼のサファイアの瞳がこちらを向いていないことにホッとし、早鐘を打ち鳴らしていた胸をそっと抑える。

 ロバートと一緒にいた時も確かに心が躍ったけれど、こんなに痛いほどドキドキしただろうか?

 まだと婚約を解消されて十日ほどしか経っていないのに、すでに遠い過去のように思い出している自分に驚く。

 自身の心が変わりつつあることに狼狽するセシリアは、レースのカーテン越しの柔らかな日差しに照らされた彼の耳が、彼女の頬と同じくらい赤く染まっていたことに気が付かなかった。





 

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