6 回想する女
レスト領へ帰る馬車の中で、セシリアは心ここにあらずの状態だった。
ロバートと結婚式を挙げるはずだった教会は王都にあり、領地からはやや遠く、その日のうちに帰ろうと思うと深夜に及んでしまうため、教会の近くの宿に一晩泊まって翌日の朝、帰途についた。
だが昨日から…正確には昨日の夕刻、教会内でシュナイダー・オルフェンスにとある案を持ち掛けられてから、セシリアの頭は飽和状態なのだ。
胸の内に垂れこめたモヤモヤする何かを晴らすように、深い深い溜息を吐いた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
同じ馬車に乗るライナが心配そうに訊ねると、漸くセシリアの意識は現実世界に戻ってきた。
「…大、丈夫よ」
「本当ですか?」
「ええ。まだ昨日の衝撃が残っているだけなの」
あまりにも驚きすぎて、一晩経った今でも落ち着かない。昨夜はベッドに入っても全然眠気が訪れず、朝まで目は冴えたまま寝返りを打つばかりだった。
(オ…シュナイダー様が仰ったこと以上の意味はないのでしょうけど、それでもあんなこと)
”あんなこと”とは、シュナイダーが持ち掛けた案である。
『俺と結婚しろ』
セシリアが婚約解消とこの先の人生に絶望して企てた自害を阻んだシュナイダーは、互いにとって最善の解決案として自分との結婚を提示した。
⋆ ⋆ ⋆
「は?」
燭台の頼りなげな明かりに照らされる教会の控室で。
一瞬聞き間違いかと思った。ポカンと目を丸くして彼を凝視すると、シュナイダーは厳つくも整った顔を気まずそうに歪めた。
「恥を忍んで話すが、実は結婚が駄目になったのは貴女だけではないのだ」
聞けばシュナイダーも結婚相手に裏切られたという。しかも式の当日である今日。手紙一つ残して。
「そんな、なんて酷い…」
立場があるからこそ、シュナイダーの受けた仕打ちはあまりにも酷く、セシリアは心から同情した。
「だろう。周囲に結婚しろとうるさく言われていたから、仕方なく縁談を受け入れたのだが、今回の件で気力は潰えた。再び一から相手を選び、婚約し直して式を挙げるなど考えたくもない」
彼はうんざりと顔を顰めた。だが貴族家の嫡子として、結婚、そして跡継ぎを儲けなければならないのも事実。
「そこでだ。俺たちが一緒になるのが、ちょうどいいと思わないか?」
「は??」
シュナイダー曰く、決まった相手はおらず、互いの事情を知り、尚且つ結婚に関する準備はほとんど終えているのだから、あとは予定通り結婚すればいい。
無茶な理屈に呆けていると、黙ったままのセシリアの反応を違う意味で捉えたのか、彼は探るように目を眇めた。
「それとも俺では不足か?」
「い、いいえ! そんなことはありません!」
慌ててブンブンと首を横に振った。
軍神ガルディオスの化身とも謳われる、ドラゴンスレイヤーとしても名高い将軍シュナイダー・オルフェンス。オルフェンス侯爵家の次期当主の座も確約している彼を嫌がる女性はまず皆無だろう。
しかも自身の目で見て初めて知ったのだが、彼は驚くほどに整った顔立ちをしている。まるで緻密に計算されて彫られた神像のようにハンサムだ。その上、軍服に包まれてもわかるほど体は鍛え抜かれ、ほんのわずかな緩みもなく引き締まっているし、身長は男性の平均値を大きく上回るほどに高く、セシリアと比べて頭一つ半は違う。そして全身の比率からして脚は驚くほど長い。
長年恋い慕っていたロバートが霞んで見えるほど、シュナイダーはいろいろと優れている。ロバートはスレンダーと言えば聞こえはいいが、目の前の彼に比べたらヒョロリと貧弱なだけに見えてしまう。
どこまでも完璧な紳士である彼に、セシリアが不満に思う理由などない。ただ、
「わたくしでは貴方様には相応しくございません」
家格差はもちろん、十人並みにちょっと色が付いた程度のセシリアでは、誉高い美丈夫のシュナイダーとは釣り合わない。
だから正直にそう告げ、周囲もきっと認めないだろうと続けると、彼は不愉快そうに顔を顰めセシリアの言い分を否定した。
「”相応しい””相応しくない”は周囲が決めるものではないし、そもそも我が家は俺を含めて、そう言ったことには拘らない質だ。実際、曾祖母は男爵家から嫁いできているしな。それと美丈夫というのは俺には当て嵌まらんだろう」
ただ体がデカくゴツいだけだと言った彼は、身を乗り出してセシリアの顔を覗き込んだ。
「確認するが、嫌ではないのだな?」
「はい」
嫌ではない。
「ならば問題はないな」
返事に満足して結婚を決定してしまいそうなシュナイダーの様子に、セシリアは慌てて待ったをかけた。
「わ、わたくしの一存では決めかねます!」
真っすぐにシュナイダーを見つめ、レスト家において決定権は父マイセルにあると言外に告げれば、彼は顎に手を当てて考えこんだ。
「では改めて子爵にも申し入れよう。それでいいか?」
「…はい。オルフェンス様と父の双方が是と仰るのなら」
受け入れる気持ちがある上でマイセルの意向に一任すると答えると、彼は心の奥底まで見通すような空色の瞳でジッとセシリアを見つめた、そしてバツが悪そうにすぐに視線は逸らされた。
「俺から言い出したことだからな、手配はすべてこちらで行う。…それと気が早いかもしれないが、俺のことは名で呼べ」
「え? え? は、はい。ではわたくしのこともセシリアと…」
困惑しつつもファーストネームで呼び合うことに了承する。厳めしい表情の中に、どことなく満足げな雰囲気を感じるのは気のせいだろうか。
そんなやり取りをしながら、すっかり暗くなったからとシュナイダーに宿まで送ってもらい、情報過多でいっぱいいっぱいになったセシリアは、ライナの手を借り湯浴みと夕餉を済ませると、逃げるようにベッドへと潜り込んだのだ。




