12 リンゴ色に染まる女
何はともあれ、メイド二人の手により美しく整えられたセシリアは、コルネに先導されてメインダイニングへと向かう。邸の中はどこまでも広く、一人で放り出されたらきっと迷子になってしまうだろう。
「大変お待たせいたしました」
セシリアが開けられたドアをくぐると、豪奢で広いダイニングには既にシュナイダーが到着していた。
待たせてしまったことを詫びて頭を下げるが、彼は気にした感じではなく、それどころかわざわざ席を立ってセシリアのために椅子を引いてくれた。
「そんな! シュナイダー様にそのようなことをしていただくわけには…」
「なにを言う。俺たちは夫婦になったとだから、そのような遠慮は無しだ」
そう言われてしまっては座らないわけにはいかない。恐縮しつつも腰を下ろすと、彼は満足そうに自分の席に戻った。
「盛大な披露パーティーでなくて悪いが、代わりに料理長が腕を振るうそうだ」
楽しみにしてくれと言われ、セシリアはやや引きつりつつも笑って頷いた。
食前酒にはワインではなく、オルフェンス領の特産のリンゴで作られたリンゴ酒がグラスに注がれた。
お酒をほとんど飲んだことがないセシリアは恐る恐る口を付けてみると、口腔内に広がるリンゴの爽やかな香りと甘いながらも程よい酸味が―――とはならず、アルコールの匂いと微かな苦みが気になって、あまり美味しいとは思えない。
「どうやらあまり気に入らなかったようだな」
よほど複雑な表情をしていたのだろう、シュナイダーが苦笑してセシリアを見ていた。
「申し訳ございません。リンゴはとても好きなのですが、このお酒な感じがわたくしは苦手なようです」
グラスを置き深々と頭を下げると、シュナイダーは謝らなくていいと言った。
「人それぞれ好みがある。気にすることではない」
そろりと上げた視線の先にはいつもの厳つい顔があるが、その言葉は優しい。
彼は給仕するメイドにリンゴ酒の代わりにと、リンゴを使った果実水を持ってくるよう頼んだ。
間もなくしてセシリアへ別のグラスが運ばれ、よく冷えた果実水が注がれた。口に含むと爽やかな香りが鼻腔をくすぐり、喉を心地よく滑り落ちていく。
「今度は気に入ったようだな」
無意識に口角が上がっていたらしい。独り言のような彼の声にセシリアは素直に頷いた。
「はい。とても香りが良くて美味しいです」
「そうか」
微笑んでシュナイダーの瞳を見つめると、彼もまた満足そうに笑みを浮かべていた。
喉を潤してすぐ、さっそく料理が運ばれてきた。料理長が腕を振るうと言っていただけあって、色とりどりで新鮮な食材をふんだんに使った料理が、テーブルに乗り切れないほどに並べられる。オードブルからヴィアンドまで、一皿一皿は少なめに盛り付けられてはいるもののコルセットでぎゅうっと締め付けられているセシリアの腹に収めるには多過ぎ、結局メインディッシュの肉料理とデザートは一口づつしか食べられなかった。
「大変美味しゅうございました」
食べ過ぎて苦しいのを隠し、ナプキンで口元を押さえ、食後のお茶で口中をさっぱりとさせたセシリアは、にこりと笑ってお礼を告げる。
「このように心を配っていただき、ありがとうございます」
「いや、礼には及ばん。最良の方法とはいえ、たった三日で結婚の準備をさせたのだから、罪滅ぼしだと思ってもらえるとありがたい」
「罪滅ぼし…」
確かに無茶なスケジュールではあった。もう結婚することはなくなったと思い、まとめてあった荷をいくつか解いてしまってあったのだ。だからそれらを再びまとめ直すのと同時に、付け焼刃でもと父の書斎からオルフェンス侯爵家やその領地に関する本を借り、睡眠時間を削って猛勉強した。
伯爵であるコートディア家に相応しくあるために長い年月をかけて自分を磨いてきたが、嫁ぎ先が更に階級が上の侯爵家に変わったのなら、もっともっと努力が必要だ。
伯爵家では及第点を貰えた所作や教養だけど、ここでは合格点には程遠いだろう。
本当に自分に侯爵家の女主人が務まるだろうかと不安で仕方がないが、結婚した以上は頑張るしかない。
セシリアが一人、胸の内で決意を新たにしていると、彼女の様子から考えを察したらしいシュナイダーは、カップをソーサーに戻すと居住まいを正し、強面の顔を更に厳めしくさせ口を開いた。
「いろいろ話しもあるので、今夜そちらの部屋へ行く」
コンヤソチラノヘヤヘユク?
夫となった男が、今夜、妻となった女の部屋に来る…。
部屋に来る…。
部屋に来る…。
(しょ、初夜!)
そう思い至った瞬間、セシリアの顔は見る見るうちにリンゴに負けないくらい真っ赤に染まった。




