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11 奥様になった女

 事務的で感動のない結婚式を挙げ、馬車に揺られること数刻。やっと侯爵邸に到着した頃には太陽はやや西に傾きつつあった。

 彼の手に支えられて馬車を降りたセシリアは、玄関先で出迎えてくれた家人たちに紹介され、ドレスの裾を引いて挨拶をすると、晩餐のための身支度を整えるようにと年嵩のメイドに託された。


「さあさあ奥様、早速お部屋にご案内いたしましょうね」


 内心の戸惑いを隠しよろしくお願いしますとぎこちなくも微笑んで見せると、彼女は一瞬驚きに目を丸くしたがすぐに嬉しそうに笑みを浮かべて自己紹介し、もう一人若いメイドと共にセシリアを部屋へと案内する。

 メイド頭を務めるナタリーと名乗った初老のメイドは、侯爵家の使用人にしては随分と気さくで、メイド服がキツキツなぽっちゃり体形に目尻の下がったニコニコ笑顔と頭頂部にコロンと結い上げた茶色のお団子ヘアーが可愛らしいおばちゃまだ。

 彼女の独特なほんわかオーラによってカッチカチに凝り固まっていたセシリアの緊張は、部屋につくまでの僅かな時間にほんの少し解きほぐされた。


「さあ、こちらが奥様のお部屋ですよ」

「わぁ…」


 開けられたドアの向こうは、驚くほどに広い、深紅と金の色彩で統一された豪華な部屋だった。

 すべての家具は最高級品で揃えられ、足元は蔓バラをモチーフにした柄の絨毯が敷き詰められ、天井には美しいシャンデリア。壁には絵画が掛けられており、大きな漆器の花瓶には真っ赤なバラが生けられているせいか、馨しい花の香りが部屋中に満ちていて噎せ返りそうだ。


「…」


 やや気後れしつつ足を踏み入れたセシリアは、室内をぐるりと見まわし、なんとなく違和感を覚えた。

 勧められるままに猫足のお洒落な長椅子に腰を下ろす。バラの彫刻が施された可愛らしいテーブルの上には、異国風の陶器の入れ物に砂糖菓子が入れられている。


「急なご結婚でしたからきちんとお部屋のご用意ができておりませんが、ご希望がございましたら出来得る限り叶えてあげてほしいとおぼっ…旦那様に言いつかっております。何なりとお申し付けくださいね」


 お茶を淹れながら告げられたナタリーの言葉に、やっとセシリアは違和感の正体に思い至った。たぶんこの部屋は前の婚約者に合わせて用意されたままなのだ。派手なデザインの家具や赤を基調にした装飾の数々は、その女性の好みに合わせた品々なのだろう。

 ぱっと見ただけでもかなりお金が掛けられている。きっと彼女が嫁いでくるのをオルフェンス家の者たちは心待ちにしていたに違いない。

 待ち焦がれていた花嫁ではなく、自分のような身分の低い家の娘がやってきたことで家人たちをガッカリさせてしまったと思うと、居た堪れなさでセシリアの胸は痛んだ。

 喉の奥の凝り固まった何かを、香り高いお茶と共にお腹の奥へと押しやっていると、奥のクローゼットからレースとドレープがたっぷりの華やかな青いドレスを抱えた別のメイドが現れた。


「まったく! どれもこれもお嬢様の好みとは懸け離れているではありませんかっ」

「ライナ!」


 気心の知れたメイドの姿に、セシリアの気持ちは一気に上昇した。


「お帰りなさいませ。お嬢さ…いえ、奥様」


 唯一レスト子爵の邸からついてきてくれた彼女は、セシリアの荷物と共に一足先にオルフェンス家へと到着し、既にこちらの制服を纏って早速仕事をしているようだ。


「ライナに奥様なんて呼ばれると、少し恥ずかしいわ」


 慣れない呼称にセシリアが頬を染めてそう言うと、ライナはそんな主人の様子を微笑まし気に見つめながら抱えていたドレスを広げて見せた。


「奥様。旦那様がご用意くださった衣装の中で、一番マシ…ゴホン! いえ、一番お好みに沿うものを選んでまいりました。ドレスはこれ、飾り物はこちらでよろしいでしょうか?」

「ええ。それでお願いするわ」 


 セシリアに一番似合う一組を見繕うライアの向こうでは、もう一人のメイドがナタリーの指示に従って風呂の用意をしていた。


「では先に湯浴みをいたしましょうね」


 風呂の準備が整ったと声を掛けたナタリーに連れられ、部屋の浴室へと案内されたセシリアは、入浴を手伝うと告げられ驚いた。手際よくドレスを脱がせにかかるナタリーに、生家では一人で入浴していたから大丈夫だと訴えてみるが、彼女は手を止めることなくニコニコ笑顔のまま首を横に振った。


「戸惑われるかもしれませんが、人の手を借りるのも侯爵夫人となられた奥様の務めですので、慣れてくださいね。はい、後ろを向いてください」


 狼狽えるセシリアをくるりと後ろ向かせると、コルセットの紐をツルツルと解いてゆく。結局抵抗する間もなく裸にされたセシリアは、広々とした浴室に押し込まれ、ナタリーの手によって体中隅々までピカピカに磨かれてしまった。

 目を白黒させているうちに入浴は終わり、水気を拭って下着を付けられ、ガウンを肩に掛けらたセシリアが次に連れて行かれたのはドレッサーの前だ。

 椅子に座らされた彼女に、今度はもう一人のメイドが鏡越しに挨拶する。


「コルネと申します。奥様付きとなりましたので、今日から宜しくお願いします」

「え、ええ。よろしくね」


 年の頃はセシリアと同じくらいだろうか。黒髪を後ろで一つに束ねたコルネは、顔立ちこそ普通で不愛想だが、瞳は初夏の若葉のような鮮やかな緑で、思わず見惚れてしまった。

 後ろから柔らかな乾いた布で丁寧に丁寧に髪の水気を拭っている無表情のコルネが、じっと見つめてくるセシリアの視線に耐えかねたように、居心地の悪そうな低い声で「なにか?」と訊ねてきた。


「え?」


 無意識にコルネの瞳を見ていたセシリアは訊ねられた意図がわからず黙り込んでしまうと、ブラシを手に取ったコルネが少しだけ眉間にシワを寄せて口を開いた。


「さっきからずっとわたしを見てますけど、何か言いたいことがあるのですか?」


 彼女の言葉に漸く自分がコルネを見ていたことを知り、恥ずかしくなり慌てて下を向いた。


「ご、ごめんなさい! その、あんまりコルネさんの瞳が綺麗だったから。つい…」

「!」


 俯いたセシリアは見ていなかったが、その途端コルネの頬はぼわっと赤く染まったらしい。


「なっなななにを仰って…っ」


 急にわたわたとし出したコルネを不思議に思いそろ~っと鏡越しに彼女を見上げると、バチっと視線が合ってしまった。すると彼女は顔を赤らめたままムスッと唇を尖らせ、セシリアの頭をやや乱暴に手挟んだ。


「し、下を向いたままではきちんと髪が結えないではないですかっ。シャンと背筋を伸ばして前を向いててくださいませ!」

「は、はい!」


 初々しい主従のそんなやり取りを、靴を選んでクローゼットから戻ってきたナタリーがライナと共に生暖かい眼差しで見守っていたのだが、二人は気が付くことはなかった。






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