第3話
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そこはまるで洞窟のようなところだった。
迷宮自体、地面に口を開けた洞窟のようなものであるが、迷宮とは趣が異なる。
迷宮は自然発生的に生まれたものでありながら、人工的な作りをしている。何か特別な力が働いているとしか思えないが、今はその話は横に置いておく。
今言っている洞窟とは、世間一般の印象そのものに当てはまるもののことだ。
暗く、ジメジメと湿っていて鼻の奥を刺激する臭いがする。壁は凸凹していて、地面など歩けたものではない。柳のように垂れ下がった岩から水滴が滴り、ピチャリピチャリと音を立てている。
それが目の前に広がっている。
内心、驚きでいっぱいではあるが、それを表情には出さない。何事にも動じないと決めたばかりであるのが大きい。
腹の底で魔力を練り上げ、腕を経由して手のひらまで流す。
「〈光球〉」
小さく呟くと、手のひらの上に光の球体が現れた。辺りを照らして闇をかき消す。
後ろを振り返り、通り抜けた壁を確認する。
手で触れても先程のように通り抜けることはない。
しっかりと岩の壁があることが感触からわかる。
つまり、帰り道を断たれてしまった。
だが、ドーグに動揺はない。
あらかじめこうなるだろうと予想していたのだ。通り抜ける壁はなかったが、扉がしまって退路を断たれてしまうようなことは何回か経験したことがある。
その対処法もわかっているため、落ち着いていられる。
では、その対処法とは何か。
「前へ進むしかない」
ドーグはそう言って、今度は一度も後ろを振り返ることなく、ただひたすらに前へと進んで行った。
途中何度か休憩を挟んだ。〈異次元収納〉から保存の効く食料と水を取り出して腹ごしらえをして、体を休めるのは最低限に、足を動かした。
迷宮での探索を含めて、かなりの時間潜り続けているため、ドーグの疲労はかなりのものだ。故に休憩は必要なのだが、あまり悠長にしていられない理由があった。
(人には、太陽の日差しが必要だ)
(太陽を浴び、太陽を見ることで体の体調を整え、時間を知り、自らを調整することができる)
(今は地上に出ることが、なによりも大事だ)
そんな腹積もりがあって、ドーグは強行軍を続けていた。
そして、ある程度進んだ時、〈生命反応感知〉と〈魔力反応感知〉の両方に反応があった。
ドーグは即座に近くの岩に身を隠し、〈光球〉の魔法をかき消した。
すぐに洞窟に響き渡る、ヒタヒタという音が聞こえてきた。まるで素足で歩いているような音だ。
さらに視界の隅に光が見えた。
ドーグはなおも隠れ続ける。さっきよりも警戒心を強めて。
それは考えればすぐにわかることだ。
こんな洞窟に人がいるわけがない。いたとしてもやましい事があるに違いない。
そして、こんな不安定な足場の洞窟で、靴をせずに歩く人間などいるだろうか。
これらから、その存在が何であるかが察せられる。
松明を掲げ、洞窟を歩いていたのは、人型で小柄、緑色の肌が特徴的な魔獣、小鬼だった。
〈技能〉から、その数は一匹であることがわかる。
魔獣がいるからといってここが迷宮であるとは断言できない。地上においても繁殖した魔獣が蔓延っているし、この洞窟を巣穴としているだけかもしれない。
ちなみに『知図』を使って確認したところ、この洞窟の地図は記されなかった。つまり、ここは迷宮ではないということがわかった。
いずれにしろ、魔獣であるならば倒すほかない。通り道を塞いでいるならば尚更だ。
小鬼が横を通り過ぎようとしたところで、首を斬り落とした。この程度の魔獣ならば魔石をとるほどでもない。
(しかし、面倒なことになった)
(小鬼が一匹いたということは、他にもいるに違いない)
(しかも、さっきの小鬼は巡回のような真似をしていた)
(多少頭の回る上位種がいるかもしれない)
小鬼が一匹いたら三十匹いると思え。
これは迷宮に潜る者だけでなく、一般の常識として言われている言葉だ。
一匹一匹の力は脆弱でも、数は力という言葉がある。さらに小鬼の繁殖力は侮れない。
(できるだけ出会わないように洞窟を出るのが無難だな)
そう思って洞窟を進んでいると、数多の反応が確認された。
もしかすると、と思い、感知範囲を広げたところ、その数は百を優に超えているとわかった。
鬱陶しいことこの上ないが、流石に相手をするのは手間なので、可能な限り避け、やむを得ない場合には斬って捨てることにした。
途中、他よりも生命反応、魔力反応ともに強力な、おそらく上位種だと思われる個体を発見したが放っておいた。触らぬ神に祟りなし、だ。
そうして進んでいると、感知圏内に反応が現れた。それは通常の小鬼よりも強い反応で、なおかつ小鬼よりもまとまった動きをしている。
その正体を知るため、若干早足でそれらが通るであろうと思われる通路まで移動し、〈異次元収納〉からとある外套を取り出す。
この外套は纏ったものの気配や臭い、音を隠蔽し、頭まで覆うことで他者から見えない存在となることができる優れものだ。
魔力の放出も抑えてわからないようにする。これならば高位の魔獣や魔法使いでない限り気づくことはないだろう。
息を潜めて待つこと数分、奥からそれらは現れた。
(人間、それも俺と同業の者達か?)
彼らは人間だった。男三人に女一人の計四人。彼らは一様にその手に武器を握り、革製の鎧を着込んでいる。
それらの道具はまだまだ新しいものであり、質が高くないことは一目でわかる。
(なんだ、まだまだ駆け出しか)
ドーグは人の質、特に強さを測ることに関してはそれなりに高い精度を持っていると自負している。それは経験に裏打ちされたものであり、特殊な技能ではない。
松明によって照らし出された彼らの顔はまだまだ若い。十代半ばといったところだろう。だが、若いからといって侮ってはいけない。若くても老練の猛者のような強さを持つ者もいる。
注目すべきはその仕草だ。
目線や手足の運び、重心の位置などで推し量り、その人物を見定める。
それらを考慮した結果、彼らは素人だと言える。
暗く見通しの悪い洞窟であるために、必要以上に警戒しすぎて、気を張りすぎている。これではいざという時に咄嗟に動くことができない。また、視線が足元ばかりに行き周りを見ることができていない。
なにより、この広さの限られた洞窟において、長剣のような長い武器を持ってくるなど論外。
(勝算は二割弱というところか)
ドーグはここに来るまでに幾らか始末したとはいえまだ相当数が残ったままだ。上位種がいることも考えると、生存確率は極めて低い。
だが、だからといってドーグが自ら彼らに歩み寄り、力を貸すなんてことはない。
彼らはここに来た以上、最悪の状況を覚悟しているはずだ。故に、すべては自己責任。少なくともドーグはそう認識していた。
彼らは現在、ドーグの真横を通過している。こちらには全く気づいていない。水滴が落ちた音にさえビクビクしているのに。
それと、ひとつ気づいたことがある。
現在地を特定するための情報収集を兼ねて、彼らの会話を聞こうとしたのだが、音は聞こえても内容を理解できなかった。
どうやら別の言語のようだ。
(大陸共通語でないとなると、この言葉は一体何だ?)
(ドワーフ語、エルフ語、獣人語……どれにも当てはまらない)
(ここは、どこなんだ?)
〈異次元収納〉からとある指輪を取り出す。これには〈言語翻訳〉という加護が付いていて、装備者の言語を相手の言語に翻訳し、相手の言語を装備者の言語に翻訳してくれる。他種族との交渉時に頻繁に用いる。
指輪をはめて会話に耳を傾ける。
「……だから言っただろ! 背伸びしても危険が増すだけだって! 俺は何度も言ったからな!」
「おい! 責任を俺だけに押し付けるなよ! 最後はみんな納得しただろ? これが銅級冒険者になるための近道だって」
「でも、やっぱり危険よ! 小鬼の群れの討伐なんて鉄級上位でもできないほどの難易度じゃない!」
「今からでも遅くない。巣穴の場所を報告しに組合に戻ろう」
「何言ってんだよ! そんなことしたら小鬼なんか根こそぎ狩られて俺達はお零れすらありつけなくなっちまうぞ!」
その後も洞窟を進みながら言い合いを続けていた。
(魔獣がいるとわかっていながら、あんな声量で喋り続けるとは呆れてものも言えん)
(低位の魔獣とはいえ、人よりも鋭敏な五感を持つ小鬼に気づかれるとは考えないのか?)
こういう仕事を始める時は、決まって先達が教訓などを教え込むはずだ。そういったことを忘れてしまったのか、それとも教えられていないのか。ドーグには関係ないことだが、心にあるのは純粋な憐憫の気持ちだ。
(銅級冒険者、鉄級、組合)
(これらの言葉が何を示すのか、調べる必要があるな)
彼らは十中八九死ぬことになるだろう。だが、ドーグは彼らのことをすぐに忘れ、出口へ向かって進み始めた。
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