死にかけた話
こんにちは 紫雀です。
今を去る事20年程前 私死にかけました。
出産を終えて、放置される事、4時間
いつまでたっても出血が止まらない。
時々様子を見に来ていた看護婦さんが
血液を吸い取るためのパットを頻繁に取り換えながら言った。
「困ったわ。まだ出血が止まらない」
やっぱりね。
出産時から続いている体の痛みと
内股を伝って、とめどなく流れる続ける血液を感じて
『このまま放置されたら絶対死ぬな』と確信した。
だんだんと手に力が入らなくなり、意識が濁っていく。
「朝までこのまんまなんでしょうか」
私のかけた言葉が重大な意味を含んでいることを悟ったのか。
看護婦さんは、慌てて処置室から出て行った。
程なく、ばらばらと数人の看護婦さんに取り囲まれた。
年配の女性が開き切った手のひらを握って状態を確認し一言呟いた。
「ショック症状が出てるわね」
出血性ショック症状って、脳・心臓へ優先的に血液が送られて
その他の皮膚や臓器に血がめぐってない状態?
躰に必要な血液量が足りてない証拠。
めっちゃあかんやつや。
やっぱ放置されたらそのまま死ぬしかない。
看護婦さんがいなくなり数分遅れてドクターが到着した。
子宮口を確認して言う。
「あーっ、中裂けてるわ。仕方ない。このまま縫ちゃおう」
えーっ、麻酔なしで縫うとか。
マジか。出産だけでもすごく痛かったのにー(ノДT)
まな板の鯉状態なので
有無を言わさず針を突き立てられ傷口を縫われた。
一針縫うごとに激痛が走り、診察台をずり上がる始末、
その動きに合わせて医師も一緒にずり上がる。
もう、あんな体験こりごりだ。
手術の痛みを和らげ、患者の命を救いたいという思いから
麻酔薬の開発をはじめ、世界で初めて全身麻酔を用いた手術を
成功させた華岡青洲は凄い人だなと思った。
病室に戻された私に医師言った。
「君はこれから子供を育てないかんから、輸血しましょう」
「えっ、輸血ですか。いや、いいです。」
病気じゃないのに輸血とか……。
「大丈夫、エイズもB型肝炎も今はちゃんと検査してるから」
これも、有無を言わさぬ勢いで二日間かけて
大袋2つ小さい袋2つ輸血された。
どんだけ血が抜けてたんだ自分。
普通分娩は異常分娩扱いとなり
退院が二週間遅れたのは言うまでもなかった。
医療の無かった時代、出産は命がけだった。
そういうリスクを身を持って実感した
以上、紫雀の体験談でした。