清洲平定後日
清洲平定から数日後、織田信友は正式に隠居を表明して織田大和守家の家督を信秀に譲ることになった。
信友には子はなく織田大和守家を途絶えさせるのが忍びないということもあり、いずれは織田一族から織田大和守家を存続させると信秀は確約したらしい。
そして信秀は守護代の役職を継いで、清洲に自らの居城を移した。
信友は頃合いを見計らい出家するらしいけど、信秀は信友が出家したのちに相談役として召し抱えることを名目として、元守護代の体裁に恥じぬ程度の所領を残すことにしたみたい。
無血開城なんて言えば少し大袈裟だけど、元々信秀は主家である大和守家に配慮していたし、御家乗っとりとの評判を少しでも減らしたいんだろうね。
「一馬。此度の働き見事であった。そなたに禄の加増と与力を付けることにした」
「加増ですか? 銭の鋳造で儲かってますけど」
「それは表には出せぬのだ。領地は要らぬのであろう? ならば銭で禄を増やすしかあるまい」
そして信秀に呼ばれて清洲城に初めて入ったけど、結構広いね。
今回の一連の清洲の件で、オレの禄が二百貫から五百貫に上るみたい。
一般的に一貫で二石らしいから、米に直すと千石くらいの禄になるのかぁ。
そんなに働いたつもりはないけど、討ち取りはしなかったが一騎討ちに勝ったのと、大砲の一撃で戦にも勝っちゃったからな。
それなりに褒美を与えないとだめなんだろう。
「それで与力とは、どなた様で?」
「河尻与一だ」
「河尻様と私では立場が逆ではありませんか? 領地もかなりあるのでしょう?」
「本人の希望だ。負けた以上は腹を切ると言うのを、信友が宥めたのだ。ワシに仕えるよりは、負けたお前ならばと言うことらしい」
それはいいとしてオレに与力が付けられるって、しかもこの前一騎討ちした河尻与一ってどういうことよ。
「領地は一旦安堵したのだがな。仕えるならば主家を守れなかった、責任を取りたいと言われたのだ。お前が領地を持つ気がないことを教えたのだが。ならば禄は銭にしても、いくらでも構わんとも言うのだ。駄目だとは言えぬ」
清洲四家老と言われた他の織田三位と坂井大膳と坂井甚介については、領地は一部は血縁者に与えられたが大部分は召し上げられてしまった。
ただ河尻与一だけは堂々とした一騎討ちと、その後オレを庇った事を評価され所領安堵されたはずだったのに。
なんでそれを捨てちゃうの?
「一旦決めたからには裏切るような男ではないし、問題無かろう。使いにくいだろうが、滝川資清や五郎左衛門も居るのでなんとかなろう」
「はあ。幻滅されませんかね?」
「駄目ならば改めて考えれば良かろう。それと船を増やす件は許可する。好きにやるがよい。佐治水軍はともかく服部水軍の方は何をするか分からん。貴重な南蛮船を戦に使う訳にもいかぬし、いずれは水軍は必要なものだからな」
うーん。家は武家らしくないから、河尻与一だと合わない気もするんだけどね。
信秀も現状だと清洲側の最後の家老の河尻与一は、扱いが難しいんだろう。
それと南蛮船だけでは足りないのと津島の防衛の為に、安宅船での水軍を作りたいと相談していたことは許可してくれた。
名目上は織田水軍にしておくけど、実際には家が船を用意して人を集めることで、南蛮船までは必要ない津島近海の防衛と伊勢湾の交易くらいなら出来るだろうしね。




