二日目の夕食
「今井殿は肉が大丈夫なようですので、今夜は肉も使ってみました」
夕食のメニューは、肉じゃが・鯛の煮付け・アジの南蛮漬け・椎茸のバター醤油焼き・醤油で味付けしたすまし汁にしてみた。
米も地味にうちで食べてる物だから、この時代の物とは別物だ。
「これはまた……」
「煮付け以外は初めてだな」
宗久の反応は悪くなく、見知らぬ料理に驚いてるみたい。
肉じゃがのジャガイモと玉ねぎは、昨日のカレーにも入っていたんだけど気付くかね?
「よく味が染みてますな。特にこの芋が美味い」
ホクホクとしたジャガイモと肉としらたきに、醤油や砂糖やみりんで味付けしたタレが染み込み美味い。
しらたきはこの時代にはないみたいだけどこんにゃくは似たのがあるみたいだから、馴染みはあるのだろう。
でもこの肉じゃがはこの時代避けられてる肉と、高級品の砂糖がないと美味しくないんだよね。
「この煮付けも美味しいです。しかしこの芋といい鯛といい、何故これほどの味になるのか……」
「明や南蛮の調理法を用いたりしてるのですよ。一つお教えすると隠し味に砂糖も少量入れてます」
「砂糖を煮付けに?」
「味に深みが出るんですよ」
当然ながらご飯がよく進むので、信長も宗久も平手政秀も早くもお代わりしてる。
途中宗久は肉じゃがや煮付けの味に疑問を抱いたんで、味付けの秘密を一つ教えてあげた。
料理のさしすせそなんて未来では言うけど、この時代砂糖自体が高価で簡単に使えないからね。
別に美味しくない訳じゃないけど、三百年以上の時を日本人が積み重ねた未来の味は格別だろう。
「この椎茸はまた凄いな」
「美味い。なんだこの椎茸は!?」
「それはバターという南蛮の調味料を使ってます。原料は牛の乳ですね」
肉じゃがと煮付けと続き、次は椎茸のバター醤油焼きだ。
牛は昔から居るし、日本でもかつては乳製品はあったみたいだけど、戦国時代の現在は一般的にはない。
一説には武士が台頭して廃れたとも言われてるけど、この時代の人に聞いても、よほど歴史を学んでる公家にでも聞かないと理由は分からないだろうね。
「この甘酸っぱい鯵も、美味しゅうございますな」
「うむ。あとこの汁はさっぱりしていていい」
残る鯵の南蛮漬けとすまし汁だけど、鯵の南蛮漬けは甘酸っぱいタレが揚げた鯵によく絡みご飯が進む。
すまし汁はおかずを少し複雑な味にしたので、その分シンプルにしたんだけどダシや醤油の味が素直に楽しめるから、こちらも評価は上々だ。
お腹いっぱい食べたのだろう。
白湯を飲みしばらく夕食の余韻に浸る信長達と宗久を見てると、最低限の仕事はこなしたかと安堵するね。
ここで煎茶でも出せば完璧だったんだろうけどね。
流石に次から次へと新しいモノを出すのもね。
料理で宗久を味方に出来るなんて都合がいいことは考えてないけど、一緒に美味しいご飯を食べたことは必ず将来役に立つだろう。
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信長公記にはこの年の秋に、今井宗久が訪れたことが書かれている。
宗久の尾張来訪目的ははっきりしていないが、信秀や信長は宗久を手厚く歓迎したことは記されている。
那古野城では久遠家が料理番を勤め、当時南蛮と言われていた海外の料理や、海外の調味料や調理法を使った日本料理を振る舞っていたようである。
宗久自身は日本で有数の開かれた都市である堺の会合衆だったこともあり、明や南蛮人と会ったことがあるようだが、尾張での出会いと体験は彼の人生や茶道にも強い影響を与えたようだった。
なお宗久がこの旅で書いたとされる、旅日記が後世に発見されて話題となる。
そこには信秀や信長に平手政秀や久遠一馬などの言動や様子から、久遠家がもてなした料理まで克明に記されていて、その内容が大きな議論を呼ぶことにもなる。
現代では当たり前となったラーメンやカレーや肉じゃがに、バター醤油での味付けなど、日本の料理の中興の祖となった物を久遠家が伝えたとされる大きな証拠ともなった。
その日記には最後にいつか織田家が天下を左右する日が来るかもしれないと締め括られていて、宗久が若き日の信長と久遠一馬の可能性に気付いていたとされることになる。




