宗久の話と津島の今後
その後宗久は信長に求められるがままに、畿内や諸国の情報や商売の話までしていた。
今日は平手政秀ばかりではなく、オレも同席して聞いているけど何処も戦ばかりであるし、特に畿内の情勢は複雑怪奇としか思えない。
幕府や将軍の権威が中途半端にあるもんだから、いつまでも戦が無くならないんだよね。
でも今年は将軍の足利義輝とその父である足利義晴が、ようやく官領の細川晴元と和解して京に戻ったらしい。
ただ歴史通りならば、今度は三好が細川晴元とそれに味方する将軍と対立して戦になるはずだ。
商売は火縄銃が堺や紀州の根来や近江の国友村で造られて以降、やはり火薬の需要が高まってるみたい。
ただ大名や寺社を含めて火縄銃はまだ手探り状態らしく、特に高い火薬が必要なのがネックになり、現状では少数を求める者は居ても本格的に揃える勢力はあまりないのだとか。
ああ、宗久は那古野城に飾ってある、こきたないフルプレートの南蛮鎧を見て驚いてた。
そのうちもっと綺麗なやつを贈ろうと思っていた程度の物だけど、家の船が外国で襲われた際に押収した物だと教えると感心されたよ。
少し話を聞くと国内でも、海賊に襲われることが時々あるらしい。
まあ海賊というか船があって襲える戦力があれば、理由をつけて金をタカるか襲うのだろう。
戦国時代に来て気付いたが、上下関係や指揮命令系統も曖昧なんだよね。
しかもやったもん勝ちなところがあるから、この時代の商船なんかは普通に武装してるらしいが。
そういえば尾張の知多半島にも、佐治水軍って水軍があると割と最近聞いたわ。
今のところ津島の辺りは織田家に遠慮して手を出してないらしいけど、水軍としてはかなりの勢力があるみたい。
史実だと桶狭間の後くらいに織田家に臣従したらしいけど、津島も船や人が増えてるからな。
町を拡張するし、小規模でもいいから独自の織田水軍を早く作るべきかもしれない。
この時代は本当武力がないと、何されるか分からない。
津島を海運で経済の中心にするなら水軍は史実より早く必要か。
将来的には佐治水軍とか志摩水軍とか吸収するにしても、他の海賊みたいに好き勝手されても困るしさ。
織田家で水軍と言えば九鬼嘉隆だけど、彼が織田家に来るまでまだ十年以上あるんだよね。
近代的な海軍とまでは行かなくても、水軍の主導権はこちらで握りたい。
ただ水軍って作るのに、また人も銭も大変そうだな。
最初は船はうちで用意して人だけ集めて、うちで訓練させてしばらく運用するのもアリだな。
うん。エルに話して具体的な検討をしてもらおう。
今回宗久が来て改めて気づいたけど、最早歴史が役に立たなくなる可能性がある。
津島が大きくなって佐治水軍や伊勢志摩の水軍が割りを食うと、どうなるかわからないからな。
家の南蛮船を津島の警備に使うのも勿体ないし。
それとも知多半島を臣従させる策を考えるべきか?
どちらにしろやることはまだまだ多いね。
清洲を手に入れても、ひと安心してる場合ではないかも。




