守護と守護代
side・平手政秀
わしが清洲に来ただけで多くの領民に声をかけられるわい。
清洲の領民はすでに殿が清洲を治めることを望んでおる。
長年目の上のたんこぶだった大和守家が、こうもあっさり衰退するとはな。
「守護様。お久しゅうございます」
「五郎左衛門は元気そうじゃな」
清洲城は少し微妙な雰囲気じゃ。
元々亡くなった坂井大膳が、家老として良くも悪くも重臣達を纏めていた家なだけに、坂井大膳が居なくなるとなかなか纏まらぬのであろう。
平時ならばすぐに立て直せるのであろうが、今の状況ではの。
わしは尾張の守護であらせられる斯波義統様に挨拶に来たが、守護様の機嫌はすこぶるよい。
実権は大和守家に奪われていた守護様様からすると、大和守家の混乱は喜ばしいことなのであろう。
「弾正忠殿の評判は凄いの。今やわしの耳にまで入っておる。それを妬み南蛮から運んだ馬を襲撃させたばかりか、医者に刺客を向けるなど信友は愚かなことを」
ご機嫌なのか随分と饒舌に話す守護様は、殿を官位で呼び守護代殿を呼び捨てにした。
つまり自分は無関係だと言いたいのであろうな。
「本日は守護様に献上品を持参しました」
「ほう。それはありがたい。わざわざ済まぬな」
今後の事もあるので、ここでしっかりと守護様には大和守家から距離を取って頂かねば。
献上品は蜂蜜酒に鮭や椎茸などの食べ物と絹織物じゃからな。
今の守護様では初めて見る物もあろう。
献上品で力を見せるのは一馬殿の得意のやり方。されどこの品々があれば交渉が捗るはずじゃ。
「五郎左衛門殿。多くは望まぬ。ただ斯波の家を粗末にだけは扱ってくれるなよ。さればわしは弾正忠殿を支持しよう」
「はっ。胆に命じまする」
大和守家の混乱で、守護様は実権を取り戻す色気でも見せるかと思うたが、その気はないようじゃ。
まあわしが守護様の立場でも今は動かぬがな。
領民がみな殿を望んでおるのに、しゃしゃり出て良いことなどないのは明らか。
流石に苦労した御方なだけに時勢は読めるのは幸いか。
「五郎左衛門よ。よう来た」
「お久しゅうございます。守護代様」
そのままわしは形式的に守護代殿の元にも挨拶に来たが、こちらは疲れた表情をしておるな。
元々悪い御方ではないのだ。今回の件もほとんど知らぬのであろう。
「五郎左衛門よ。弾正忠殿に取り成してくれぬか? わしは馬の襲撃も久遠殿の奥方への刺客も本当に知らぬのだ」
守護代殿は人払いをして二人になると、小さな声で殿への取り成しを向こうから頼んで来るとは。
よほど困っていると見える。
「某も守護代様がそのようなことをするとは、思うておりませぬ。されど領民と家中には、疑念を抱く者も多くおりますれば。それに今も自ら危険に身を晒しながら、領民の為に医術を施すケティ殿のことを思えば、某もけじめは必要かと存じます」
「けじめか。如何すればよい? 重臣達は戦をしての和睦を考えておるが、それは可能なのか?」
「恐れながら今戦になれば、清洲の領民に医術を施すことは止めねばなりませぬ。さすれば領民の恨みは守護代様に」
「そうであろうな。わしは今回の件でよく分かった。大膳も重臣達も守りたいのは自らの家と権力であって、大和守家ではないのだ。わしがこれ以上領民に恨まれれば、あやつらがわしを討つ大義名分にするのではと怖くてならん」
「守護代様……」
「五郎左衛門。助けてくれ」
少し風向きが変わって来たの。守護代殿はすでに戦意を喪失しておる。
このままでは守護代殿は本当に重臣達に殺されるやもしれぬ。
「守護代様。何処までの覚悟がおありで?」
「清洲は弾正忠殿に明け渡す。それでどうじゃ?」
「……本当に宜しいのですか?」
「逆に問いたい。今のわしの立場で他に取れる策はあるか? わしは出家する。それで織田大和守家の名誉は、最低限守れよう。こそこそと女に刺客を放ち、領民に見捨てられて滅んだなどと言われとうないわ」
「ならばこれから某の言う通りに成されませ。守護代様のお命と大和守家の名誉は必ず守りまする」
「頼んだぞ。五郎左衛門。敵ながら、そなたほど誠実な男はおらん。信じておるからな!」
皮肉なことだが坂井大膳を失い領民にそっぽを向かれて、ようやく守護代殿は目を覚まされたか。
この状況を打開するには最早守護代殿の隠居しかないが、それではこちらに利がないのを悟り清洲の明け渡しまで自ら言い出すとは。
少し可哀想な気もするの。
太平の世であれば悪くない御方であったろうに。
残る問題は強硬論を唱える重臣達か。
それにしてもエル殿の予測は怖いくらいに当たるの。
守護代殿がこうなった場合に備えて、話を詰めてきて良かったわい。




