滝川さんと信秀
side・滝川資清
「クククッ。それほど清洲は慌てておるか」
「はっ。何が起きても不思議ではないので、警備は増やしておりまする」
「医者一人にこうも振り回されるとはな」
尾張の虎の噂は近江でも聞いたことがある。
私などはよく知らぬので勝手に守護代くらいなのかと勘違いしていたが、まさかその下だったとは。
悪いが織田信友など聞いたこともない。
それなりの地位の者は知っていようが、下手をすれば大殿が尾張の国主だと考えてる者も諸国には居よう。
小さな国人衆から見たら、隣国以外の家などその程度の認識しかない。
「大殿。一つ伺っても宜しゅうございますか?」
「なんだ?」
「清洲方はまだ当家に勝てるつもりなのでしょうか?」
尾張は事実上の分割されたまま統治されていて、家と家の関係など意外に覚えることが多くて大変だ。
現状では我が殿の南蛮船と津島と熱田の町の力が大きく、弾正忠家の力は抜きん出ている。
正直清洲方は権威以外では勝負にならぬのだが、外に漏れるほど騒いでいいことがあるとは思えぬ。
某には清洲方が何を考えてるか分からぬのだ。
「ワシが潰す気がないと向こうは思っていよう。清洲に緊張感がないのはそのせいだな。今までも争いはしたが和睦をして終わっておる」
「なるほど」
「一馬を召し抱えるまではそれで良かったのだ。だがこれ以上銭を集めるならば相応に領地と兵が無くば危険だ」
「確かに……」
「本来は向こうが主筋。よほどの理由が無くば討てぬ。されどそうも言っておれんからな」
未だに権威で人が従うと思っている者は多い。
その最たる者が将軍家なのだが。
上はどう考えてるかなど某には分からぬが、某のような立場からすれば誰が将軍でも誰が官領でも、あまり関係ないのが本音だろう。
無論口に出して言う者は居るまいが。
「尾張には慣れたか?」
「はっ。若様や平手様には、大変よくして頂いておりまする」
「そうか。一馬達はこの国の者ではない故に苦労も多かろう。だがその方の一族、決して粗末に扱わぬ。尽くしてやってくれ」
「有りがたき幸せ。我が一族、誠心誠意お仕えいたしまする」
「一馬の奥方は少し前まで、一人で町を出歩いておってな。武芸が出来るのは知っておるが、それにしても不用心で困っておったのだ」
大殿に某が仕官する前の話を教えて頂くが、確かに困るだろう。
農民や商人とて村の中ならともかく、女を一人で出歩かせるなどしない。
そもそも久遠家は異質なのだ。
武家でも無ければ商家でもない。
南蛮流なのか知らぬが戸惑いも多いのも事実。
されど家を飛び出した一益が、わざわざ何人でもいいので人を寄越して欲しいと、手紙を寄越した訳はよく分かった。
明らかに人手が足りてない。
殿達がこの国に慣れてないこと。
南蛮船と貿易の方だけで精一杯なのは、考えなくても分かる。
殿や奥方とこの国の武士や領民の間に入る人が、久遠家には必要なのだ。
仕事自体は簡単ではないがキツくもない。
最初は領地がないのが少し不安だったが、慣れてみれば年貢の量や米の相場に左右されないのは意外に楽だった。
それに近江では見たこともない酒や食べ物を、頻繁に頂けていて禄以上の生活が出来てる。
そもそも某と一益と益氏の三人も召し抱えて頂いたのに、禄も決して低くはないのだ。
恐らく織田弾正忠家の家臣より、かなりいい生活が出来てるだろう。
禄に関しては世間一般と比較して高すぎると一度申し上げたのだが、それだけ仕事があると言われると要らぬとは言えなんだ。
実質的な仕事の大半は牧場の管理と警備だが、領内の村を管理するよりは遥かに楽だ。
人は全て銭で雇ったので、働かねばクビになるだけであり皆よく働く。
それに周囲には田畑があまりないので、村と村のつまらぬ争いもない。
問題は何処とも知れぬ間者が多いことか。
人を増やし素性を暴きたいところだが、あまり深追いして余計な争いの種を掘り起こしても不味いので対応が難しい。
とはいえ清洲さえ落とせば那古屋は落ち着くであろう。
この分では清洲が落ちるのは、遠い未来ではないだろうしな。
某は某の仕事をせねば。




