医者と患者
信長はよく那古屋城下近くの川で水練をしている。
遊ぶのではなく本当に訓練であり、着物を着て入るのは当たり前で時々は鎧を着て入ることもあった。
オレはあんまり参加しないけど。
泳げるけどあんまり好きじゃない。
日頃ジュリアが鍛えてる訓練も、オレだけは見てる方が多いかもしれないね。
やれば出来るからなのか、期待されてないのかは分からないけど、参加しなくても信長に怒られることはない。
時々誘われたら参加するくらいだ。
「先生。おらの子が……」
「任せて」
「若様。私はケティと一緒に少し行ってきます」
「まて。犬を連れていけ」
この日もオレは信長達の水練を眺めて昼食の支度をエルとケティとしていたけど、そんなオレ達の元にぐったりしている子供を抱き抱えた、近くの農民が申し訳なさげにやって来た。
信長達に衛生の指導をしたことやケティ自身が町で出会った病人に薬をあげたりした影響で、ケティの元には治療を頼みに来る人が最近増えている。
最初はケティが一人で治療や往診にと出歩いていたが、信長と信秀から危ないからそれだけは止めろと言われてる。
ケティも自分の身くらいは守れるんだけどね。
今ではオレか一益に加えて、可能ならばもう一人護衛に付けることになっていた。
家は那古屋城に近いから、夜とかでないなら那古屋城に居る人間が護衛に付くこともある。
実は平手政秀が信長の筆頭家老になった影響で、那古屋城はかなり変わったんだ。
信長の服装や態度に苦言を呈することは未だにあるが、少なくとも嫡男として疑う者は消えた。
はっきり言えば林秀貞は信長の態度から嫡男として相応しくないのではと考えていたようで、那古屋城でさえ反信長とまでは言わないが信長に非協力的な者は居た。
ただ平手政秀が那古屋城を掌握したら、信長に非協力的な者は居なくなった。
どうも平手政秀と林秀貞は、信長のこと以外でも以前から小さな対立がいろいろあったみたいなんだよね。
所領の大きさや立場は林秀貞の方が上だったらしいが、信秀の信任が厚いのは平手政秀なのも影響したようで政治的なライバルだったみたい。
林家は津々木蔵人の件で食うに困らない程度には残されたが所領は減らされたし、前田利家の前田家なんかは林家の与力だったが現在は信長の直臣に変わった。
文官としてはそれなりに優秀みたいだけど、平手政秀には叶わないんだよね。
うちのやってる貿易とか津島や熱田の商人にやらせてる絹や醤油作りなんかを、取りまとめて上手くやってるのは平手政秀だからさ。
エルもかなり手伝ってるらしいけど、平手政秀の実力がなくばここまですんなりとはいかなかったのは明らかなんだ。
「なんでもっと早く連れて来なかったの?」
「すいません。銭がなくて」
「あと少し遅かったら危なかった。お金はいいから、今度からは早く連れて来て」
「へい。申し訳ありません」
農民とその子供はうちの屋敷に連れていき、最近はケティの診察室として使ってる部屋で診察と治療をしていく。
どうやら子供は風邪を拗らせた肺炎になりかけているらしい。
この時代の人は医者にかかるお金がなく本当にギリギリまで連れてこないので、ケティは毎回そこを患者や家族に注意してる。
まあ農民からしたら領主に仕える武士の嫁だからね。
おいそれと頼れないのも分かるけど、医療型のケティは病気を甘く見る人間には厳しい。
「今夜はうちで預かるから明日また来て」
「へい。あの銭を……」
「お金はいい」
「ありがとうございます。本当にありがとうございます」
子供の容態は決して楽観視出来ないようでケティは子供を預かることにすると、鐚銭ばかりのお金を握り締めた農民からの治療費を断った。
農民は泣きそうになりながら何度も頭を下げて帰っていくのを、オレと犬千代は見送っていた。
「近くに医者は居ないの?」
「清洲か熱田か津島まで行けば居ますよ。でも農民なんかは銭が無いのでいけませんよ。タダで診てるのケティ様くらいで」
「なんとかしないとダメ」
「若様に相談するか」
うちに来る患者は半分以上が、この時代の医療技術では助からないほど悪化してからくる。
ケティは薬や最悪ナノマシーン治療で治してるけど、医者に来ない習慣から変えないといけないと最近口にしてる。
まあそもそも那古屋城下には医者が居なかったんだから、話にならないんだが。
それとあんまり関係ないけど、ケティが無料で治療してる影響で那古屋城下での信長の評価が急上昇してる。
元々親しみやすく鷹狩りの獲物を分けてやったりと那古屋城下では人気あったんだけどね。
家臣の嫁の人気は信長の人気に繋がっていた。




