ダミヤン
ドアの向こうに立つ男は、見覚えのある薄汚れた巾着袋を指先に引っ掛け、それを得意気に笑いながら顔の横でゆらゆらと揺らしている。そして徐々に笑顔は消えた。
「おい、嘘だろ。あのカミラと英雄エドモンドの娘が、今じゃこんな……? ギャハハハハハハハッ何だよ、さぞ美少女に成長してるかと期待して来たのに……あ~あ期待外れも良いとこだな。クククク……」
忘れもしない、あの日9歳のクロエを絶望させ、家をめちゃくちゃにした男、ダミヤンだった。
ダミヤンの突然の登場に恐怖と怒りが蘇り、スゥっと血の気が引くのを感じた。
「俺のこと、覚えてるみたいだな。あの後すぐに引越しやがって、探したぞ。お前があの時金を出さなかったせいで、俺は苦労したんだ。カミラが持参した金じゃ足りなくてわざわざ取りに行ったのによ。あの後、俺のこと調べただろ? あの馬鹿女、あの時俺の名前言いやがって。お陰で家に役人が来て、父上に全部ばれて勘当されたじゃないか。お前のせいだ、絶対に責任取ってもらうからな」
ダミヤンは室内の奥に人の気配を感じ、パーテーションの向こうを覗き込むような動きをした。すると誰かがこちらに来る靴音を聞き、チッと舌打ちしてクロエを睨み付け、言いたい事を言って踵を返し去って行った。
「クロエ? 何だか物騒な話が聞こえたけど。大丈夫なのか?」
レオが心配そうにパーテーションの向こうから声をかけ、様子を見に来た。が、既にダミヤンの姿は無かった。顔面蒼白のクロエを見て休憩用のソファに座らせると、アリアとカールも心配そうに集まって来てクロエを囲んだ。
「クロエ、ごめんなさい。声が大きかったから聞こえてしまったわ。今来た人は誰なの?」
アリアは隣に腰掛け、心配そうに顔を覗き込む。
徐々に冷静さを取り戻したクロエは、ぽつりぽつりとあの日の出来事を話始めた。
「どこから話せば良いのかな、あの男は貴族で、ダミヤンと言うの。母の話だと、この研究所に在籍しているらしいわ。今まで顔を見たことが無かったから、あれは嘘だと思っていたけど……きっと別棟に研究室を持ってたのね」
話を聞く3人は先を促すように相槌を打つ。
それから父が腕を失った後、母が家の金半分を持って出て行ったこと、ある日家に帰ると母とダミヤンが残りの金を探していたことを話した。
「何よそれ、最低じゃないのっ」
「そのダミヤンとかいう貴族、研究費が足りないということは研究成果も出せずに3年以上過ぎた者なんだな。5年で何も出来なければ研究員から強制的に補助職員へ降格だ。初めの3年は無条件で研究費が出されるけど、期限が切れて外から金を集め始めたのか。クロエの母親がパトロンになっていたのかもしれないな。という事は、当時18から19だったダミヤンとクロエの母親が……」
「カール! 余計な事は言わなくて良いわ」
アリアは発言を遮り、今後の事に話を変える。クロエの母がその青年とどんな関係であったかなど、娘であるクロエに聞かせる事では無い。
「逆恨みでクロエに何かしてくるかも知れないわ。研究所内には私達をよく思わない人が大半だし、相談出来る人が居ないのが痛いわね」
そこへ、フランツが資料を抱えて戻って来た。
「あれ? どうしたんだ皆難しい顔して。クロエ、顔色が悪いな。具合が悪いのかい?」
重い空気を吹き飛ばす、軽いノリのフランツの登場で、クロエも思わず笑顔になる。
「具合が悪い訳じゃないわ。フランツ、資料ありがとう」
「あなたどこまで資料探しに行ってたのよ? 時間がかかり過ぎだわ」
アリアは行き場の無い苛立ちをフランツにぶつけた。完全に八つ当たりなのだが、彼は状況を掴めず、弱ったなという顔をして、とりあえずこの場は謝った。
「ごめんごめん、資料室で面白い話聞いて来たんだ。ハリス侯爵の次男が研究費を打ち切られてもまだ自費で研究室借りて粘ってるって。補助職員になっても空いた時間に研究をしてる人はいるけど、働きに来てるのに自腹で研究室借りる人なんてこれまで居なかったらしいよ。しかもそこまでしておいて、まだ一度も成果を出した事が無いらしい」
フランツの話に皆目を合わせる。
「ふぅん。で、そのハリス家の次男の名前は聞いてきたの?」
「ダミヤン・ハリスだよアリア。どうして?」
先ほど現れたダミヤンの事を知らないフランツは、何故名前まで? という顔で問う。
「ダミヤンって……さっきカールの言った通りみたいね。クロエ、フランツにも話して構わない? 貴族女性との交流がある彼に情報を集めてもらいましょう。相手の出方を知ったほうが良いわ」
クロエが頷くと、アリアは先ほどクロエに聞いた話と、ダミヤンが言っていた事をフランツに話した。
「はぁ? 何だよそれ? 完全に逆恨みじゃないか! クロエがそんな事に巻き込まれていたなんてな……とりあえず研究室の外ではクロエを一人にしないよう必ず誰かが一緒に居れば大丈夫なんじゃないかな? 問題は僕達の研修期間がもうすぐ終わりってことだ」
皆押し黙ってしまった。
しばらく沈黙したあと、クロエは口を開いた。
「心配してくれて有難う。でも大丈夫よ。まだ何かされると決まった訳じゃないもの。皆はこれから自分の研究に励まなきゃならないのに、私の事で手を煩わせる訳に行かないわ。この話は終わりにしましょう。少し休憩したら作業再開するわよ」
皆にあの時の事言わない方が良かったかな? 少しでも味方が欲しくて全部話してしまったけど。あれ? 私何歳の時って言ったっけ? もしかして9歳ってそのまま言ったんじゃない? でも、もう本当の事話しても大丈夫だよね。
「ねぇクロエ、そういえばさっきの話だと年齢がおかしいわね。気のせいかしら」
「俺もそう思ってたけど、言い間違いだろ?」
「だよね、僕も気になってたけど」
「…………」
皆一斉にクロエを見て、その真偽を問う。
「ごめん、私皆より2歳年下なの。来月14歳になるわ」
「えぇぇぇぇぇぇ?」
「はぁぁぁぁぁぁ?」
「なっ……」
「え……」
前代未聞の未成年者の魔法省入りに、ここに居た全員が驚き、学園に入ることになった経緯から全て説明させられる羽目になった。




