暗がりに潜むもの
「クロエ、今夜俺の食事は必要ない。アリアと二人で済ませてくれ」
「またお出かけですか?」
「ああ、エドモンドと外で会う約束をしている」
エドモンドがシイラを連れて来た日から五日後。昼に届いた手紙を読んだイザークはニヤリと笑ってそう告げた。クロエは父親とイザークの仲が良い事を密かに喜んでいた。
「最近父さんと頻繁に会っているようですね。この辺りの見回りも強化されて、店も通常営業に戻れて良かったです」
「エドモンドが手を回してくれたからな。だがお前はまだ暫く表には出るな。そうだな、あと一週間は我慢しろ」
「わかってます。本当にイザーク様は心配性ですね。二ヶ月は隠れて過ごす約束ですもの、きちんと守りますよ」
クロエは工房で作業を始めながらニコニコと笑っていた。アリアはそんな二人を生温かい目で眺めていた。
「クロエ、私の休暇も残りあと一週間よ。外に出られるようになったら研究所にも顔を出しなさいね。カール達が寂しがっているわ。中でも特にレオはあなたに会いたがっているわよ」
アリアの言葉にイザークが反応する。それを面白そうに笑っているとイザークに呼ばれた。
「アリア、ちょっといいか、話がある」
「はい……? なんでしょう」
イザークはアリアを連れて工房を出てダイニングへ向った。アリアはレオの事を聞かれるのかとドキドキして付いて行く。
「アリア、俺は今夜エドモンドを連れてドミニク伯爵の屋敷に行く。そこにアードラー子爵と連れの女性を呼んでもらったのだ。あの二人と話をしてくる。ここを留守にする間、クロエを守ってくれるか? 俺の留守中、別の誰かの手を使って攫いにくる事も考えられる。今夜はランスとグレンを呼んでもいいから、くれぐれも注意してくれ」
イザークは真剣な表情でアリアにクロエを託した。アリアは先ほど自分が考えていた事が恥ずかしくなった。マリエラが来たあの日から何事もなく過ごしていたせいで、完全に緊張感が抜けていた。気を引き締めて返事を返す。
「はい、任せて下さい。クロエの事を諦めてくれるといいのだけど」
「使える力は最大限に使わせてもらうさ。ところで、レオとクロエはどの様な関係なのだ? 以前ここへ来た時は恋人なのかと思ったが、クロエには否定された。しかしただの友人という感じでもなかった気がしてな」
アリアはキョトンとしてイザークを見た。自信満々なのかと思えば普通の青年の様に好きな女の子の事で不安にもなるらしい。誰がどう見てもクロエはイザークの事しか見ていないのだが、ここは一つクロエの為に一肌脱ごうと考えた。
「レオは研究所にいた頃、周囲にはクロエと恋人同士だと噂されていましたよ。レオはクロエの事が大好きですから、毎日クロエの研究室に通っていましたね。もう、これでもかって位に可愛がって、クロエもそんなレオには甘えていました。あのままダミヤンの件が無ければ、今頃どうなっていたでしょうね」
恋人だったとは断言しなかったが、事実を伝えた。これでイザークが危機感を持って、早くクロエをつかまえてくれたら良いと思った。イザークならば、身分の差など乗り越えてくれると信じている。
それでなくともクロエがモテる事を知っているイザークは焦りを感じた。アリアの思う壺だった。ふくよかな頃ですらモテていたのだから、今の姿で外に出る事を解禁したらどうなってしまうのか。クロエの性格の良さは十分知れ渡っているのだ。交際の申し込みを通り越して、プロポーズをしにくる男の列ができるだろう。
「そうか、おかしな事を聞いたが、この事クロエには言わないように」
「承知しました」
仲良さ気に工房に戻った二人を見てクロエは少し気落ちしていた。アリアとイザークが急激に親しくなっている事に不安を感じ始めていたのだ。自分に内緒の話をする事が増えて、何気なく二人が会話している所に入っていくと会話がピタっと止まる事もしばしば。もしや二人は隠れて付き合っているのではと言う考えにまで発展していた。
夜になり、イザークはエドモンドと出かけて行った。昼の内にランスとグレンには今晩一緒に食事をしようと話をしてあり、仕事を終えたグレンが来るのを待って、三人で食事の用意をいていた。
しかしグレンは仕事が終わらないのか予定の時間になっても現れず、心配になったランスが通りを見に出て行った。
「ランス君ったらどこまで見に行ったのかしら? 戻って来ないわね」
「グレンさんが来るまで外で待つつもりなのかもしれないわ。呼んでくるから、アリアはスープを温め直しておいてくれる?」
「駄目よ、私が行くからクロエはここに居てちょうだい」
アリアは勝手口のドアを少し開けて外の様子を見た。いつもなら街灯で照らされているはずの裏通りが何故か暗く、各家からもれる明かりでぼんやり道が見えているだけだった。
「ランス君? グレンさんの分は取っておいて、先に夕食にしましょう。あの後お仕事が入ったのかもしれないわ。もう一時間待ったんだし、あなたもお腹がすいたでしょ?」
月明かりも当たらないような暗い場所に人の気配はするのにランスは返事をしなかった。
「ランス君、よね?」
アリアは目を凝らして暗がりに立つ人影を見るが、動いているのはわかるのにそれが誰なのかまではハッキリしなかった。




