クロエを守るために
イザークがドアの鍵を開けるが、ご婦人は店に入っては来なかった。どうやら店内を覗きたかっただけなのか、イザークを通り越してその奥をキョロキョロと見て帰って行ってしまった。
「一時間以上も外で待って、中を見たかっただけなのか? 変な女だ」
「イザーク様、何か手伝う事ありますか?」
クロエは洗濯と昼食の下ごしらえを済ませ、ランスに掃除を頼むと工房に顔を出す。イザークはドアを開け外を見ていた。
「ん? ああ、そこの出来上がった人形にそれぞれの服を着せて箱詰めしてくれ。午前中のうちにグレンが取りに来る事になっている」
「はい、わかりました。どうかしたんですか? 外を見ていた様ですけど」
「おかしなご婦人が開店前からずっとドアの前に立っていたのだ。俺が鍵を開けても中に入らず店内を覗いて帰ってしまった」
クロエは首をかしげながら「ふぅん」と相槌を打ってイザークに指示された仕事を始めた。ドレスや帽子などの装飾品は仕立て屋で作ってもらい、それを着せて完成となる。
クロエの提案で、人形のサイズはどれも同じなら着せ替え用のドレスや装飾品を安く仕入れて店内で売ろうという事になり、今実験的に店のショーウィンドウから見える場所に陳列して販売している。店内に入らず外から見て行く人も多く、クロエはそのご婦人もその類の人だろうと予想した。
グレンが来る前に箱詰めと宛名書きを終えたクロエは昼食の準備の為、一旦台所へ行った。
カラン、とドアの開く音がして、朝来たご婦人が現れた。イザークは顔を上げ無愛想に挨拶する。
「いらっしゃいませ」
ご婦人は店内に入るなり店の奥に続くドアを気にし始め、イザークに話し掛けた。
「お兄さん、ここにクロエって娘が居ると聞いて来たんだけど、居るなら呼んでくれない?」
イザークは怪訝な表情でそのご婦人を見た。身形は良さそうに見えたが貴族という感じでは無いし話し方も横柄で品が無い。どこかの豪商や貴族の愛人か、商売女のようだ。クロエとどの様な関係かは分からないが、関わって良い事は無いだろうと思い、どこでその名を聞いたのか尋ねてみた。
「まず先に名を名乗れ」
「はぁ? なにその偉そうな態度。お兄さんには関係ないでしょ。ここに居るの? 居ないの?」
「どこで聞いて来たのだ?」
「ドミニク伯爵のお嬢さんがこの人形工房にクロエって綺麗な娘が居て、恋人を取られたって騒いでいたから……どんな容姿かまでは聞いてないけど、てっきりあの子の事だと思って確認しに来たのよ。じゃあさ、お兄さん、私に似た16歳位の綺麗な銀髪に青い目の女の子見たこと無い? この辺で聞いたら確かにこの店にクロエって子は居るって聞いたんだけど、でもどうも容姿が違うのよね。太ったクロエは私が探してるクロエじゃないのよ」
この女が言っているのは間違いなくクロエの事だとわかったイザークは女を追い帰す事にした。
「悪いがうちで働いているのはふくよかなクロエだ。どうやら人違いのようだな。もう来ないでくれ」
「ふん、言われなくてももう来る事は無いだろうさ。邪魔したね」
女は結局名乗りもしないで店を出て行った。
イザークは昼食時にクロエの母親について聞いてみた。
「クロエは母親が今どこで何をしているのか知っているのか?」
「何ですか、急に? 知りませんけど、イザーク様は何か知っているんですか?」
「いや、ダミヤンが居なくなって、お前達親子の元に帰ろうと行方を捜している可能性を考えただけだ。特に意味は無い。もしまた一緒に暮らしたいと言って来たらどうするつもりだ?」
クロエは一瞬考えて、きっぱり断言した。
「私は母さんは居ないものと思って暮らして来ました。これからもそうします。父も流石に許さないと思います」
「まぁ、当然だな。お前がこうなった原因は全て母親にある。その事を父親に話しておいた方が良いのではないか?」
「駄目です。父さんは母さんが戻って来るかもとすぐにあの家を引っ越さなかった事を未だに後悔しているんです。話せばまた自分を責めてしまいますから、話すつもりはありません」
「俺は話しておくべきだと思うがな。母親がどんな容姿なのか聞いても良いか?」
「母さんは私と顔立ちは似ていると思います。髪はプラチナブロンドで目は青です」
「お前のその見事な銀髪は父親ゆずりなのだな。俺は顔も父親似だと思っていたが、そうか、母親似か」
クロエは初めて父親に似ていると言われ、嬉しくなった。
「イザーク様はどちらに似ているのですか?」
「俺は母親に似ている」
「へぇ、お母様は美人なんですね。ではサラ様はお父様に似ているんですね。タイプの違うキリッとした美人ですもの。イザーク様と雰囲気は似ているけど、顔立ちは違いますよね」
「姉は半々といった所だな。間に兄がいるのだが、兄はどちらかと言えば父寄りだな。フッ、こんな話を誰かとするのは初めてだ」
「私はもっとイザーク様の話を聞きたいです。ご家族の事はサラ様しか知りませんから」
「そうか、ではそのうち話そう」
ランスが居ないからこそ話せる内容だ。グレンが昼前に集荷に来た時にそちらの手伝いをする為に一緒に出たのだ。そうでなければお喋り小僧の前でこんな話は出来ない。
「クロエ、午後は店を閉める事にする。ちょっと用が出来たのでな。帰りに食料も買って帰るからお前は戸締りをしっかりして家にいろ。店に客が来ても対応するなよ」
「はい、わかりました。ではこれ、買い物リストです。よろしくお願いします」
イザークはクロエからメモと袋を受け取り、店を閉めてどこかへ出かけてしまった。
「さて、それじゃ工房の掃除を済ませちゃいますか」
クロエはいつも通り、工房の掃除を始め、伝票整理や注文書の確認などをして夕食の支度に向った。
イザークはクロエの父、エドモンドに会いに兵士の詰め所に来ていた。兵士長に昇進したエドモンドは忙しく、中々詰め所に居る事はないらしい。魔物討伐で数日前から隣国との境にある森に出ているというのだ。
「クロエの父に会いたかったのだが、仕方がない、出直すか。エドモンドはいつ頃戻る予定なのだ?」
「エドモンド兵士長は本日、日が暮れる前までには戻る予定です。何か伝言があればお伝えしますが」
「では、この店に来るよう伝えてくれ」
イザークは食堂の名前を書いたメモを渡し、詰め所を出ると今度は魔法省に向った。サラにアリアの研究室に案内してもらい、工房に現れたクロエの母親の事を相談した。
「イザーク様がお一人で私の所へ来るだなんて、クロエに何かあったのですか?」
「実は今朝クロエの母親が工房を訪ねて来た。いまさら何の目的があって来たのかわからないが、彼女を傷つける様なマネはさせたくない。もう十分に傷つけられたクロエを母親から守りたいのだ。協力してはもらえないか」
「勿論です。何をすれば良いですか?」
「クロエには暫く工房を離れて欲しいのだが、何か研究の手伝いが必要だとか理由をつけてこちらに呼び寄せる事は可能か?」
アリアは答えに困った。たとえ数日でもクロエはイザークの元を離れたがらないだろう。今クロエの助けが必要な研究もしていないし、レオ達も同様だ。
「それは難しいです。イザーク様も一緒にこちらに来るなら話は別でしょうけど……こうしている間、クロエは一人でいるのですか? それなら私が暫くそちらに居させていただいて、クロエを守ります。研究は一段落ついて休暇に入ろうと思っていたところです。それでは駄目ですか?」
「いや、助かる。母親と一対一で対峙するのが一番避けたい事なのだ。他人の目があるところでなら、下手な事はしてこないだろう。いつから来る事ができる?」
「今日にでも。休暇申請を出し次第そちらに向います。知らせて頂いてありがとうございました」
アリアの研究所を出たイザークは市場で買い物を済ませると、急いで工房へ戻った。
「お帰りなさいませ、イザーク様」
「クロエ、俺の居ない間に誰か尋ねて来なかったか?」
「いいえ? 買出しありがとうございました。重かったでしょう? 直ぐに冷たいお茶をお出しますね」
クロエはササッとお茶の用意を始めた。イザークが帰って来たら飲ませようと、冷やして準備しておいたのだ。
「クロエ、今日サラに会いに行って偶然アリアにも会ったのだが、休暇をクロエと過ごしたいから今晩からうちに泊まりたいと言っていた。お前の部屋に簡易ベッドを入れてやるから、迎える準備をしておきなさい。それから、俺はまた出かけるから夕食はアリアと二人で済ませてくれ」
「アリアが来るのですか? それならお布団も出して少しでも干さなくちゃ。イザーク様、お茶どうぞ! 私アリアを迎える準備をしてきますね!」
クロエがウキウキと台所を出て行く姿をイザークは黙って見ていた。お茶を飲み干し、地下倉庫に向う。簡易ベッドは倉庫の奥にあり、なかなかの重労働だった。
「フフ、嬉しそうだったな。母親の事さえ無ければ幸せに暮らせるのだが。後はエドモンドと話し合うしか無いな」
日が暮れ始めた頃アリアは大荷物を持ってやって来た。二人はキャッキャと楽しそうにクロエの部屋に入っていき、それと入れ替わるようにイザークは夜の街に出た。




