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呆気ない幕切れ

 翌朝、段々体が馴染んで歩ける様になったクロエは、台所へ行きイザークの朝食の準備を始めた。自分でも驚くほど違和感無く体が動く。ただ、空腹を感じない。喉も渇かない。飲食自体は出来る様に作ったはずなのだが、所詮はただの人形ということなのかもしれない。


「イザーク様、イザーク様、朝食の用意が出来ましたよ。起きて顔を洗って下さい」


 クロエの声に反応して、毛布を頭から被りいつもの文句を言う。


「クロエ、もう少し寝かせてくれ。あと10分……」

「イザーク様、そんな所でお休みになって疲れが取れなかったでしょうが、今日は魔法省へ行くのですよね? 早めに出なくては受付が混み合ってしまいますよ?」

「まほう省……? なぜ魔法省に……」


 寝ぼけたイザークはクロエの言葉を理解するのに時間がかかった。そして昨日の出来事を思い出すとバッと勢いよく起き上がり、クロエを探して室内を見渡すがそこに彼女の姿は無い。


「クロエ! どこに居る!」

「お洗濯、済ませてしまいますから着替えたら脱いだ物持って来て下さいね」


 声のした台所へ向うと湯気の立つ朝食が一人分用意されている。勝手口のドアが開いている事に気付き外へ出ると、見慣れぬ少女が盥に水を溜め洗濯していた。

 後ろ姿しか見えないが、その髪は見慣れたクロエの物だ。一年で髪は伸び、クロエ人形と変わらぬ長さになっていたが、背中の大きさが全然違う。捲り上げた袖からのぞく腕は細く、少し捻れば折れてしまいそうなほどだ。

 クロエは背後の気配に気付き、振り返った。


「おはようございます、イザーク様。顔を洗って着替えたら、朝食を召し上がって下さいね。私は天気が良いのでシーツを洗ってしまいます。ついでに今着ている物も洗いますから、持って来て下さると助かります」


 まるで昨日の出来事が無かったかのように、クロエはいつも通りに仕事していた。テキパキと働くその姿は、体の質量こそ違うが、見慣れたクロエの動きで間違いない。見慣れないのはその美しすぎる容姿だ。昨夜も散々見せてもらったが、太陽の下で見る彼女は透き通るような白い肌と風に揺れる銀髪が光り輝き、女神のような美しさだ。イザークはその姿に見惚れてしまい暫くその場に立ち尽くした。

 シーツを洗い終えたクロエはそれを物干しに掛けようと小さな台に乗った。イザークは昨夜のクロエを思い出し、駆け寄って手伝う。


「無理して動くな。またバランスを崩して倒れたらどうするのだ。貸しなさい、俺がやってやる」


 台に乗ったクロエと、背後で背中を支えるイザークの目線は一緒だ。礼を言おうと振り返ったクロエは目の前にあるイザークの顔に驚き足を踏み外した。


「ぅあっ?」


 色気の無い悲鳴を上げるクロエをイザークは片手で抱きとめシーツを奪い、腰に腕を回して抱き上げて台から下ろした。


「ほら、まだ危ないだろう。洗い終えたら置いておけ、俺が干してやるから」


 イザークはバサッとシーツを広げ、物干しに掛けた。クロエはシーツが風で飛ばぬよう端をピンチで留める。


「ありがとうございます。あの、後は大丈夫ですからイザーク様は出かける準備をして下さい」


 イザークは頷き、私室へ向った。

 クロエは、いつもなら赤面してしまう場面だったのに顔に熱が集まらない事に気付いた。感情の起伏で起きる現象が起こらない。もしかしたら、顔の表情も変わっていないのではないだろうか? 慌てて私室へ行き、鏡を見る。ニッと笑ってみるが、表情が乏しい。目が笑っていない感じだ。意識して笑顔を作れば出来ないことは無いが、これは暫くリハビリが必要そうだ。


「と言う事は、涙も出ない可能性があるわね。眼球が乾かないように水分が分泌されるようにしてあるけれど、泣くのはまた別よね」


 自分がこんな事になっていても、研究者の視点で改善点を考え始めたクロエはブツブツと考えを口にしながら洗濯を再開する。着替えて戻ったイザークは脱いだ物を洗濯カゴに入れ、何か真剣にひとり言を呟くクロエを見て声を掛けるのを躊躇った。聞こえる単語から魔道具の改善を考えている事がわかり、普段ここで家事や簡単な工房の手伝いをするクロエとは別の顔を垣間見た気がした。




 魔法省へは乗り合い馬車で向った。徒歩でも一時間ほどで着くのだが、クロエの体が心配だとイザークが譲らなかった。あまりに目立つ容姿を気にして深くフードを被せられ、30分ほど馬車に揺られて王城近くの魔法省に到着した。クロエは一年ぶりに戻ったこの場所に過去を思い出し緊張したが、イザークが手を引いて中の受付へ足を進めた。

 受付にはサラが居た。思いがけぬ弟との再会に目を潤ませて駆け寄ってきた。


「イザーク! まぁ、どうしたの? あなたがここへ来るなんて。ああ、会えて嬉しいわ。手紙のやり取りだけじゃなく、ちゃんと顔を見せに来なさいよ」


 サラは勢いよく抱きついて、イザークとの再会を喜んだ。しかし隣に立つフードを被った怪しい人物に気付き顔色を変える。


「そちらの方は、あなたのお知り合い?」


 クロエはフードをちょっと上げてサラに顔を見せた。


「え? クロ……もがっ」


 イザークに口をふさがれ最後まで言えなかったが、クロエである事は分かったらしい。


「サラ様、お久しぶりです。お聞きしたいことがあって来ました。アリアかレオ達の研究室に入れませんか? ここでは話せない内容なので」

「何かあったの? もしかして……わかった、ちょっと待ってて」


 サラはアリアの研究室に連絡を入れ、入室許可証を用意させた。サラに案内されてアリアの研究室に着くと、事情の分からないアリアはイザークと、隣に立つフードを被ったクロエを見て怪訝な表情を浮かべた。


「サラ様、そちらはどなたですか? 私の研究室に入りたいと突然言われましても困ってしまうのですが」

「ごめんなさいね。彼は私の弟で、人形工房のイザークよ。とにかく中に入れてちょうだい」


 アリアは入室許可証を手渡し、三人を室内に招き入れた。ドアを閉めた瞬間にクロエはマントを脱ぎ、アリアに抱きついた。


「アリア! 大変な事が起きたの!」

「クロエ? あなたダイエット成功したのね!」


 抱きつくクロエを引き剥がし、全身を確認したアリアは一瞬でその異変に気付く。無遠慮に頭から胸、腰、足までベタベタと触り、叫ぶ。


「何でこんな事になってるのよ!! だって有り得ないでしょ!? これが動いているって事は、つまり……つまりクロエが!」


 失神しそうになるのを懸命に耐え、アリアはクロエを抱きしめる。もしかしたら、既にこの世に存在しないかもしれない親友の一大事だ。とにかく話を聞こうと、休憩スペースに三人を促す。


 クロエはソファに座ると、サラとアリアに昨日の出来事を話した。アリアはクロエ人形の事をよく知っていたので、理解できなくも無い様子だが、サラはこんな物を作っていた事すら知らなかったのだ、ただ信じられない物を見る目でクロエを見ていた。


「サラ、ダミヤンは取調べを受けていたのだろう? どうやってうちへ来た? あいつはまだ逃亡中なのか?」

「結果から言うと、ダミヤンは一昨日の朝逃亡して、昨夜死んでいるのが見付かったわ」

「ダミヤンは死んだのか? 間違い無いのか?」

「一昨日、取調べの合間に居なくなったそうよ。担当した役人がちょっと席を離れて目を離した隙に窓から飛び降りたみたい。兵士や騎士団が探しに出たけど見付からず、昨夜、下町にある宿の主人から厩で死んでる男が居ると通報があったの。どうやら探しに来た兵士から隠れようと、馬の後ろへまわってしまったのね。馬に蹴られて頭を壁と蹄に挟まれて、頭半分が無い状態で倒れていたって」


 その状況を思い浮かべ、アリアは吐きそうになる。クロエは半狂乱で部屋から出て行ったダミヤンを思い出していた。


「本人確認はしたのか? その遺体はダミヤンで間違い無いんだな?」

「ええ、間違いないわ。それにしても、ここを抜け出した後、クロエを襲っていたなんて……悪いのは全て自分だと言うのに、取調べでも絶対に非を認めなかったらしいわ。それでも調べたらすぐに嘘だとわかった物を、一年も放置するなんて……国王様の指示が無ければ、今でも監察は動いていなかったと思うわ」

「相手が宰相の息子では、動くに動けなかったという事だろうが、これでは宰相も責任を問われるだろうな」




 イザークの時の盗作騒ぎもダミヤンの嘘であることは既に証明されていた。同じ男がまた同じ騒ぎを起こしたのに、クロエが平民であった為に簡単に切り捨て、問題を解決させたつもりだった監察課の者は全員クビになり、第二王子の指揮で権力に媚びない新たな組織が組まれる事となった。



 その後、ダミヤンが亡くなった事で、アリアは気兼ね無くクロエに会いに工房へ訪れる様になっていた。


「クロエ、国王様が研究所に戻るよう言っているけれど、どうするつもり? あなたの魔道具は流通を再開させたけれど、研究所に籍を置くだけで研究室に戻る気は無いの?」


 クロエの無実が証明され、魔法省にクロエの名は戻された。封鎖されていた研究室もクロエの物となり、工房へ運び入れていたファイルや細かな試作品などは元のように研究室に納まっている。


「今はまだ戻るつもりは無いわ。やりたい研究も無いし、国王様もいつでも良いと仰ってくれたし、暫くここでのんびり暮らしたいの」

「そんな事言って、あのイザークという人と一緒に居たいだけなんじゃないの? 彼とっても素敵ね。サラ様の弟なのでしょう? でも相手はお貴族様よ? レオならすぐにでもお嫁さんに……ごめん、無神経な事言ったわね。今のあなたにする話じゃなかったわ」


 あれから一週間が経ち、クロエの体はかなり馴染んで、リハビリの効果か、微笑みくらいは出るようになった。


 しかしアリアに向けた微笑は、とても悲しいものだった。

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