令嬢は婚約破棄される
「アンセルマ・ダイスラー、貴様との婚約を破棄する。そして僕はユルシュル・ケーニヒと婚約をする」
「ネーポムク様。私、嬉しいです」
この国の王太子殿下であるネーポムク・トレッチェルが私に婚約破棄をしてきた。
その側に付き従っていた男爵令嬢、ユルシュル・ケーニヒは、王子の言葉に喜色満面の笑みを浮かべ彼に抱きついた。
私は学園の卒業式終了後、裏庭に一人で来いと言われたから目に見える範囲では連れていないのに。
王子になんで付いてきたのかと疑問だったのですが…。
婚約破棄した直後に別の方と婚約。私、あなたになめられているのかしら。
「わかりました。その婚約破棄、お受けいたします。お受けしたからには、私と私の家族に今後一切、関わらないことを約束してくださいませ」
私は殿下との婚約など、どうでもよかった。別に好いてもいなかったから。
ただ私と家族にこれ以上、関わって欲しくないと思っていた。
「わかった。君達、家族に関わらないと約束しよう」
ユルシュルに抱きつかれて、王子はとても嬉しそうだ。長い付き合いだったからわかる。これは、私の言葉をちゃんと聞いていたのかさえ怪しい返事だ。
約束を後から聞いていなかったとでも言われるのは、とても困る。
ちらりと茂みに目を向ける。小さくガサッと音がした。我が家の使用人達がいるので、この場面をしっかり記録しているでしょう。
茂みが揺れたことには、どうやら殿下達は気づかなかったよう。二人で見つめ合って、甘い世界を繰り広げようとしている。
「では、御用がそれだけなら私は帰らせていただきます」
軽くお辞儀をし、暇を告げる。
「待て。君には、彼女を虐めたというのが――」
殿下が彼女を腕から少し離し、私に強い口調で言ってくる。
彼女は、殿下の腕の中で私を涙目で睨みふるふると震える。でも、その口元に嘲りの笑みが浮かんでいるのを隠しきれていない。
殿下の視線が彼女に向くと、上手に隠すのだから名演技だと思う。
「失礼を承知で発言させていただきます。殿下、先程私は婚約破棄を受け入れました。その際に約束したのをもうお忘れですか?私と殿下を関わらせたいのなら、王命でお願いします」
返事を待たずに、踵を返す。
後ろで殿下と令嬢がまだわめいていたが、私は聞く耳を持たなかった。
これでやっと殿下から解放される。
一つ疑問なのは私、ユルシュル・ケーニヒ嬢と今日が初対面のはずですが……。どうやって、虐めたというのでしょうね。
それに殿下は、知っているのかしら。
彼女は長い茶髪、黒曜石の瞳と同性から見ても羨ましい豊満な胸とその体。かかった獲物を除いて、この学園の全員が彼女のことを女狐と呼んでいることを。
王太子殿下は8歳、私は6歳のときに婚約をした。国王陛下の希望だった。
お父様から聞いたが、我が家との結びつきを強くするためという理由だそうだ。
そんなことをしなくても私達家族は、陛下に忠誠を誓っているというのに……。
彼とはじめて対面したとき日の光を溜めたような金髪、透き通るような碧い瞳で物語の王子様のようだと思った。
「はじめまして。ネーポムク・トレッチェルです」
こちらを恥ずかしそうに見下ろしていて、変声前の高い声をしていた。
もしかしたら、彼との間に恋が芽生えるかもしれない。そんな淡い期待があった。
そんな期待は、木っ端微塵に砕け散る。
婚約をした当初、殿下は侯爵令嬢である私の屋敷に遊びに来ることが多かった。
当然、私に会いに来たと思っていた。だが、彼がお茶を出しに来た侍女や応対に出るお母様や妹の体をいやらしい目でじっくりと見ているのに気づいてしまった。気づいてからは、もうダメだった。
気づいたことをお父様に報告し、極力殿下の前に女性を出さないようにした。
お父様は静かに黒い笑みを、お母様は口に手を当てて笑っていたが、二人共目は笑っていなかった。
王太子殿下じゃなければ、すぐに婚約破棄をするのにと悔しそうにしていた。
私は、彼の行動がすべて鳥肌ものになった。
話している途中で突然、手を握ってきてやんわり拒否をしても指の腹で楽しむように撫でたり、パーティーの途中に胸や太ももを触ってきたり。
何度、その手を叩き落としたかったか。
私は、彼の行動のせいで男性恐怖症になっていたんだろう。
お父様や執事、使用人の男性に話しかけられると、必要以上に驚いてしまうことが多くなった。触れようとすれば、体が拒否反応を起こすこともしばしばだった。
お父様達は、そんな私を邪険に扱うこともなく少しずつ慣れるようにしてくれた。妹やお母様も話し相手になってくれて、随分と気が楽になった。
お父様は、私の状態をみて殿下を近づけないようにした。私に会いに来ても、我が家の男性陣によって阻止されまくった。
そのうち、彼は国内唯一の次世代を育成するキューネ学園に入学した。私は、彼と一緒の学園に通うことになっても会わないよう避けた。彼が常に男爵令嬢と共にいると噂で聞いてからようやく肩の荷が下りた気がした。
そして、国王陛下が病に伏せるようになり王太子殿下は好き勝手するようになった。
お父様から王城では、彼の言うことを聞く者しかまわりに置かず、諌めてくる者達をクビにしていったそうだ。
私は王太子殿下の婚約破棄の後、我が家の馬車に乗り込み、学園を去った。
かつて栄華を誇っていた大国ユンカースは、地図上から姿を消した。
国王とその王妃、ネーポムクとユルシュルが金遣い荒く民の反乱が起きたといわれているのが表向きである。実際は、国の裏の犯罪を取り締まるとある侯爵家を敵にまわしたからだという。
一夜にして王城の人達が消えたといわれている。
大国ユンカースの民達は、隣国バルテルに併合された。