花婿は、
私は結婚式場でアルバイトとして働いていたことがあります。
式の進行や設定などは全てプロの社員さん達が取り仕切っていたので、やったことは主に配膳や雑用などですが、たまに花の飾りつけについて意見を求められて、それが採用されたりすると嬉しかったのを覚えています。
結婚式と言うのは殆どの人が一生のうちに一回しか経験しないものだとは思いますが、式場で働いていると毎日が結婚式です。
結婚式というのは名前の通り儀式なものですから、退屈な取り決めや冗長な演出が多いのです。
しかし、それでも結婚式というのは人生の一大転機には違いありません。
どれだけ平凡でありふれた結婚式でも、本人には並々ならぬ思い入れがあってもおかしくはないのです。
その日は2組の結婚式が同時に行われる予定で、片方はチャペルで式をした後に大きめの会場で披露宴、もう片方はソロ婚でした。
ソロ婚とは一人だけで挙げる結婚式で、一人だけでウェディングドレスを着てチャペルで式をあげ写真をとるというものです。
神前式であげた既婚者や、若いうちにドレスを着ておきたいという人からの申し込みがそれなりにあり、主に女性から人気のあるプランでした。
一人だけで参列者もいないので準備も簡単で、披露宴も必要が無いのでスタッフも少なくて済みます。
とは言っても本当に一人だけと言う人は少なく、旦那さんだったりお友達同士だったりで参加されるのが多いのは、気恥ずかしさが多少はあるからなのかもしれません。
私はソロ婚の方に割り振られていたので、いつものように準備をしようとしていると社員(派遣)さんから話しかけられました。
「今日の花嫁さん、ソロ婚だけど普通の結婚式みたいにやるから」
「普通の?」
ソロ婚では普通の式とは違い、重々しくバージンロードを歩いたり外国人の神父様の前で神に誓ったりはしません。
カメラマンが付きっ切りで横に張り付いて、チャペルには入りますが大体はモデルの撮影会のようになります。
ウェディングドレス姿を残したいという要望が多いので、写真に残す方に重きを置いてあるのです。
それが、今日は普通の式と同じように進行するというので思わず聞き返してしまいました。
「あのね今日のプランはソロ婚だけど、花嫁さん最初は普通に結婚式を挙げたいって言ってたのよ」
「どうしてですか?」
お話し好きの社員さんから聞くには、最初の申し込みから花嫁さん一人で「この日に式を挙げたい」と現金で費用を持ってやってというのです。
あまりに唐突だったので社員さんも慌ててしまい、落ち着いて話を聞いてみても「どうしても式を挙げたい」の一点張りで詳しく話してくれなかったそうです。
結局、ソロ婚のプランで進行だけ普通の結婚式っぽくしてはどうか、というところで納得してもらえたようです。
「ずいぶん、変わったことをする方ですね」
「でも私ね、他の式場で似たような経験があるのよ」
「その時はどうしてだったんですか」
似たような経験があるという社員さんに、興味本位で尋ねてみました。
「その人は旦那さんになる人が病気で亡くなっちゃってね、でもどうしても結婚式を挙げたいからって」
「じゃあ今日の人も」
「もしかしたらね」
思いのほか、悲しい事情でした。
「あまり事情は関係ないから」と言って社員さんが去ってくのを見送って、私は気持ちを引き締め待合室に入ります。
今の話からすると恋人を亡くしているかもしれないので、あまり笑顔でいるのも考え物です。
でも無表情でいるわけにもいかないので、軽い微笑みを保つような表情で接します。
待合室にした花嫁さんは、可愛らしい感じの顔をした人で、笑顔で「よろしくお願いします」とあいさつをしてくれました。
感じのいい人だな、と思いながら式の進め方や、着替えるとトイレには行けなくなるので今のうちに言っておいてくださいね、などと伝えておきます。
花嫁さんは明るくお話をしてくれる人でしたが、どこか考え事をしているような、気にかかっていることがあるような暗い影が顔に浮かんでいることが気になりました。
悲しい過去を引きずっているのかもしれませんが、それでも表面上では笑顔で私の話に相槌を打ち、滞りなく結婚式の準備が進んでいきました。
ウェディングドレスというのは裾がずどーんと長いので、引きずってしまわないように上げ底の靴で身長の上げ底をしています。
花嫁さんはただでさえ重いドレスを着ているのに、足元は舞妓さんのぽっくりのような靴を履いているので、一人で歩こうとするとどうしても転んでしまうのです。
女性スタッフが横に立ち、体を支えながらゆっくりと歩いてチャペルまで案内して、普段であれば新婦の父親に入れ替わってもらうのですが、今日は一人で歩いてもらいます。
「ゆっくりと、しっかり足をつけて歩いてください」
「ありがとうございます、ごめんなさいね。変な式で」
「いえ、おひとりの方も珍しくは無いので」
「一人じゃないわ」
「え?」
花嫁さんは何もない廊下の方を見つめ「すぐに横にいるのよ」と微笑みました。
当たり前のように言う花嫁さんに、私はその方向を二度見してしまいましたが、やはり誰もいません。
私は何も言えず「はい」と軽く頷くことしかできませんでした。
花嫁さんは一人で歩きだし、バージンロードをゆっくりと踏みしめて奥まで進みます。
写真もいらない、というので撮影するカメラマンもおらず、本当にひとりしかいません。
しかし、花嫁さんはすぐ横に新郎がいると言っていました。
社員さんが言っていたように、恋人を亡くして幽霊が見えたりしているのでしょうか。
一人きりでバージンロードを中ほどまで歩き、ぴたりと足が止まりました。
父親から、新郎へと花嫁を受けわす場所です。
花嫁はチャペルの壁に向かって笑顔を向け、再び歩き出します。
その動きはまるで本当に新郎がいるかのようで、神父の前で自分で指輪をはめる花嫁さんの横に新郎の姿を幻視してしまいそうでした。
指輪をはめた花嫁さんが、またゆっくりとバージンロードを戻りチャペルを出ます。
私が横に立って「お疲れ様でした」と声をかけると花嫁さんが「ありがとう」と微笑みました。
それから「少し休んでから戻ってもいいかしら」と言うので「もちろんです」と答えて椅子を差し出します。
少しの距離を歩くだけでも足がとても疲れてしまうのは、今までにも経験のあることなので慣れたものですが、この花嫁さんは何もないところを見つめながらじっと黙ったままでした。
私も何も言えず、ただじっと二人で黙っていると他の披露宴の音楽が聞こえてきたりします。
恋人が生きていたら、披露宴もしたかったのかな、と思っていると花嫁さんが「もう行きましょうか」と腕を引いてきました。
花嫁さんを支えながら控室まで戻る途中で披露宴会場の前をさしかかると、ちょうど他の式をあげていたカップルがお色直しで出てくるところでした。
こちらの式はいつも通り、何も問題がなく進んでいた式でした。
この時までは。
「ゆーくん」
突如、私の横に立っていた花嫁さんが一人で歩きだしました。
先ほどまでバージンロードを歩いていたゆっくりした歩みではなく、するすると滑るように披露宴会場から出てきた花婿へと話しかけています。
可愛らしかった顔は喜色に歪み、相手の新婦さんとの間に入るように体を滑り込ませました。
「ゆーくんも、今日結婚式だったんだ」
この人たちに何があったのかは今を以ても分かりません。
でも状況が分からず混乱しながら微笑んでいる相手の花嫁と、驚愕と憎悪に染まった花婿の顔を見て、ようやく悟りました。
チャペルの横は披露宴会場。花嫁さんの見ていた方向。廊下を通るタイミング。
花婿は、この人だ。