8
「質問があるんだけどさ、黄本」
きた!
あたしは心の中でファイティングポーズを取る。
「このひと、黄本の彼氏?」
「……は?」
まったくのカウンターパンチをくらったあたしは、あえなくダウンしてしまう。彼氏? 誰が? 出島さんが? 誰の? あたしの? 何でそんなことに……?
金魚の要領で口をぱくぱくさせるあたしに、様々な光景が浮かび上がる。あたしの脚を拭く出島さん。あたしの精気をくれとキスを迫ってきた出島さん。あたしを助けると言って飛び込んだ出島さん。あたしを抱えて河から上がってきた出島さん。あたしがいなくなったら、と泣き叫ぶ出島さん。とどめに、あたしに抱きつく出島さん。
いかん。恋人だと思われるには充分過ぎる言動が!
「ち、違う! 違うよ、出島さんは彼氏とかじゃなくて」
と、ここで絶妙のタイミングで出島さんはあたしの首筋から顔を上げると、蠱惑的な笑みを浮かべ、
「うららさんは、僕の大事なひとです」
「あ、やっぱり」
「違う! 違うの、岡崎! そういう意味じゃなくて」
「何、二叉? 不倫?」
「そういうんでもない!」
「うららさんは巫女さんで、僕は河童で、僕たち二人とも、龍神様にお仕えする身なんです。ねー、うららさん」
この、空気を読もうともしないうっかり河童が! 何が、ねー、だ。この整った顔をぼこぼこにしてやりたい。
あたしが暗い殺意を出島さんに抱いていると、岡崎はあっけらかんと、
「へー、河童」
「はい。河童です。ご存知ですか? 河童。えーと」
「あ、俺? 岡崎俊希」
「俊希さんですか。僕は出島浩平と申します」
「出島さんね。河童だろ、知ってるよ。つっても、聞いたことくらいしかないけど。あれだろ? 頭に皿があって、キュウリ囓ってる」
「はい! その通りです! よくご存知ですねー俊希さん。きっとこの村は龍神様の教育が、きちんとなされているのですね」
「それは意味わかんねーけど。で、だからなの? 出島さんが河で溺れなかったのも、河からジャンプ出来たのも、全身緑色になってたのも」
「そうです、そうです。僕たちはさすがに水の眷属ですからね、あれくらいの河の荒れ模様なら、ほぼないと同じですよ。それから、僕たちは普段は人間のふりといいますか、人間社会に適応出来るように進化しましたので、水の中でだけ、本来の姿を取り戻すんです。皿と同じく、太陽には弱いので、こうして徐々に乾いていくと、肌なんかも人間のものに戻っていくんですよ」
「成る程ね、よく出来てんなあ。水掻きとか、あんの?」
「はい、ありますよ。ほら!」
「お、すげー。まじで水掻きだ。これも、乾くと人間のになるわけ?」
「そうですね。普段は人間の手と、ほぼ同様の形状をしています。濡れたりすると水掻きが出てくるんですけど、個人によって程度の差はあるみたいです」
「あ、あの!」
やっとのことで小さく挙手をして会話に入り込む、あたし。いまだに首に腕を回したままの変人出島さんと、その変人とにこやかに河童談義を進める岡崎が、あたしを見て、ん?と首を傾げた。
「お、岡崎。何で、河童って前提で話を進めていってるの? 信じないんでしょ、幽霊とか妖怪とか」
おそるおそる発したあたしの問いに、岡崎はひとあたりの良い笑みのままでばっさりと切り捨てる。
「うん、信じないよ。でも俺、自分の目でみたものは信じる派だから」
「意味わかんない! 散々、幽霊とか妖怪とかは現実的じゃないって言ってたくせに」
「だって、目の前に緑色して水掻きつけた奴がいるんだぜ? 信じるだろ。それとも何、お前は出島さんが河童だって信じないの」
「だから、それは、その…」
「お前、頭固いなあ。つーか、お前が見てるもんなんだぞ、お前が信じなくて誰が信じるんだよ。河童にせよ何にせよさ、自分が見ている現実がお前にとっての現実だ」
反論出来なくてたじろいだあたしとは反対に、出島さんは感動したらしく、左手はあたしの首にかけたまま、右手を岡崎の方に向けて伸ばすと、岡崎の手をぎゅうと握った。
「何てことでしょう! うららさんという素敵なひとに出逢えたかと思ったら、俊希さんという素晴らしいひとにまで! あああああ、龍神様。僕は、世界一幸せな河童です。これからも、よろしくお願いいたしますね、俊希さん。貴方のような理解力に優れた方を、僕たちは必要としているのです」
手を握られた岡崎は、出島さんの政治家ばりに熱い論弁に、一言だけ答えた。
「結構、手、ぬるぬるしてるんすね」
その後の出島さんの落ち込みは、語るまでもない。