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雨もしたたる良い河童(旧)  作者: 卯ノ花実華子
第一章 大雨とバス停
8/38

7

  河原の上、一本道の方から聞こえてきたそれの方角に、あたしは深くも考えず首を反転させた。


 「おお、ほんとに黄本だ。何やってんの、お前。そんなとこで」


 気さくに声をかけてくるのは、同じ高校のクラスメイト、岡崎俊希。過疎化が進んでいる村では、高校生になると殆どの子供が村の外の学校に通う。あたしと岡崎も、そういう子供のひとりだ。同じ村で育って来たから、腐れ縁も腐り果てるくらいの腐り縁。しかも名字が黄本と岡崎と近いもんだから、何かと一緒に行動を取る羽目になって、今ではあたしの良い悪友だ。悪友が良いものなのかは別として。


 岡崎の明るい質問に答えようとして口を開きかけて、あたしは文字通り真っ青になった。


 何やってんのって。雨で跳ね上がった泥で汚れた脚を、自称河童と言い張る怪しげな美青年に拭かせているところ。そんなこと言えるか!


 「いや、何だろ、何だろうね。ああああ、ほら、さっきの雨で河に虹がかかってて、それで、あ、ああああ、あれええええ? 虹、見えないなあ、おっっかしいなあ、さっきまでは本当にかかってたんだけどなあ。いやああ、不思議だねえ、虹っていうのは。そ、それよりも、岡崎こそ、何してんの、こんなとこで。宿題しなよ、宿題、家に籠もってさ!」


 誰が見てもばればれの狼狽ぶりで、あたしは無意味なことをわめき散らすと、慌てて椅子から立とうとした。その拍子にまだ裸足だった足が河原のぬかるみに滑り、急にバランスを崩しかける。それを助けてくれたのは、あたしのすぐ側にいた出島さんだった。文楽の黒子のように、さっと手を出してあたしの腰を支えてくれる。


 は! これはチャンスかも! 今なら、岡崎のいる位置からは、出島さんはあたしの真後ろにいて、見えないはずだ!


 まだバランスが戻せたわけではないのだけど、あたしは無理矢理自分の体をひねって、出島さんの姿を隠そうとした。ラジオ体操で、こういう姿勢しないといけないのあったよねって体勢になる。こうすると、ますます黒子のような位置に出島さんがやってくるわけだけど……。


 「何やってんの、お前。まじでさ。腰、反ってんぞ」

 「え? あああ、これね。も~年かな~なんてね。定期的に腰を反らさないと、背中が痛んでくるんだよね。やっぱ運動は継続してこそなんぼだよね」

 「お前が年喰おうと関係ないんだけどさ、その後ろにいる奴、誰? 村のひとじゃなくね?」

 「だ、誰のことかしら」

 「見えてるから、始めっから。俺、視力良いから」

 「誰? 誰のこと話してるの?霊感あるんじゃないの、岡崎」

 「とぼけんなよ。俺に霊感ないのも、俺が妖怪とか幽霊とか信じないのも、お前、知ってるだろ。誰なんだよ、そいつ。何で隠すんだよ。犯罪者か?」

 「そんなわけないでしょ」

 「お、認めたな。誰かいるって」


 しまった。崖っぷちのままここまで言い逃れてきたけれど、やっぱり無理だったか。一向に、呆れた顔を崩そうとしない岡崎をばつの悪い思いで見上げて、あたしはそっとため息をついた。ぬかるみに踏み入れたままの足を引っこ抜くと、静かに横に体をずらす。黒子状態の出島さんは、黒子姿勢のまま、岡崎の前に姿を現した。


 岡崎は乗っていた自転車から降りると、出島さんの顔をよく見ようと体を前に傾ける。対して出島さんは、頑なに黒子体勢のまま、顔をあげようともしない。明らかに変人な現れ方をした出島さんをどうしていいのか、扱いに困ったあたしは、いっそこのまま出島さんがロダンの考えるひとのように固まってしまえばいいと物騒なことを願ったりした。


 「お~い」

 岡崎が出島さんに呼びかける。無反応。しばし待ってはみたものの、まったく反応を示さない出島さんを顎でしゃくると、岡崎は不審な目つきを隠そうともせず、


 「黄本、こいつ、ほんとにひと? 彫刻とかじゃなくて?」


 河童、です。とは言えないけど。


 「は!! 僕としたことが! 今、僕寝てました? 寝てましたよね?? あああああ、お昼寝をするのはもうやめようって決めたのにいぃぃ。あああ、うららさん、そんなところに。僕、寝てましたか? 寝てなかったって言ってください、寝てなかったって。ここでうららさんを支えていたら、何だか後ろから太陽がぽかぽかと後頭部に当たって、皿が少し乾いてきちゃって、あ、結構デリケートなんですよ、皿って。それで、ちょっとうつらうつらしちゃって。でも、寝てなかったですよね、僕。寝てなかったですよね?」 


 ああああ、もう、最悪。黒子になっていたほんの数分で、普通寝るかな? 寝てないのか寝てたのか、はっきりしてよ。あたしが目の前から横に移動しただけで、そんなところにってどんなところだ! それより何より、岡崎の前で、あたし以外の人間の前で、皿皿言うって、どんな神経しているのまったく! それでなくても変人な初対面なのに、言動まで変人だと思われちゃうよ? 実際、変人だろうけどさ。


 憤懣やるかたないあたしは無言で出島さんに詰め寄ると、彼の手にあった濡れたハンカチを皿だと主張してやまない後頭部に乗っけてやった。もちろん、岡崎がどんな顔をしてこっちを見ているかなんて、今のところ避けたい現実ナンバーワンなので、意識的に視界から外してみる。


 「これでちょっとは皿も湿りますか!」


 押し殺した声でそう皮肉を言ってやった。


 つもりなのに。


 「う~ららさんは優しいなあ!!」

と、ゴマアザラシの赤ちゃんに酷似した瞳をこちらに向けると、ぐぁば!とあたしに抱きついてきた。ぎゃあ!


 「出島さん! 離してください、ただのハンカチでしょ! っていうか、ハンカチを後頭部に乗っけた間抜けな姿でしがみつかないでくださいってば!」

 「いいんです、このハンカチはうららさんの優しさのシンボル……。お望みとあらば、一生ここに乗っけたままで過ごしましょう」

 「そんなこと、誰も望んでない!」


 岡崎が。岡崎が見てる。同じ村で、同じ高校で、同じクラスメイトの岡崎が。あたしのことをただの幼なじみだと、たまに馬鹿はやるけれど、基本的には真面目で、恋愛関係は奥手だなとからかわれる、ごくごく普通の女の子だと認識しているはずの岡崎があたしを見ている。このちょっと頭の配線位置がおかしい自称河童に抱きつかれているあたしを見ている! やばい、何とかして誤解を解かなければ。でないと、でないと、あたしの、あたしのアイデンティティーが!


 何がどうやばくて、あたしのアイデンティティーがどうだというのか、具体的なことは見えてこぬまま、ただひたすらこの場を切り抜けたくて、あたしは出島さんから離れようともがいた。そんなあたしの混乱も何のその、出島さんはハンカチ河童と化して、あたしを抱き締めたまま力を弱めるようなこともしてくれない。その内、あたしの耳元でいやに甘い声でこう囁いた。


 「あのね、うららさん。ちょっとお願いがあるんですけど。皿が乾いてきちゃったって言ったじゃないですか。龍神様にお会いする前に尻小玉の補給をしても構いませんか?」

 「はああ? し、尻小玉? じゃ、そこのスイカでやっちゃって」

 「でも、あのスイカはうららさんのお父様のものなんでしょう? どなたかからのプレゼントなんでしょう? もう、ひとつをダメにしてしまってますから、遠慮しておきます」

 「遠慮って……。じゃあ、出島さん何で尻小玉を補給する……」


 とろけるような小声で囁く出島さんにつられて小声で応対していたあたしだったが、そこまでいって嫌な予感がして口籠もった。ちょっと。まさか。違うよね? ぶるぶると無意識にあたしは首を振り始めていたのだが、そこに情け容赦ない出島さんの一言が。


 「うららさん、尻小玉を少し頂いても構いませんか?」


 尻小玉を抜く=キスをする、ということだからして。あまりにシンプルな公式がそこにはあった。ばたばたと暴れていたので体は熱く、恥ずかしさのせいで顔は真っ赤になっているというのに、あたしからはさっと血の気が引いた。が、絶望している場合じゃないと己を奮い立たせる。背中に回していた手を腰に回そうと、出島さんが力を抜いたその瞬間を狙って、あたしは渾身の力で出島さんの胸を両手で突き飛ばした。


 「だめに決まってるでしょ!」


 はぁはぁと息が乱れるのを整えるひまもなく、岡崎を見上げると、あんぐりと口を開けたまま瞬きを繰り返している彼の姿が見えた。ほら、やっぱり!


 両手を胸の前で広げて、ストップのサインを出しながら、あたしは何とか岡崎の誤解してしまったであろう今のシチュエーションを説明しようとした。


 「岡崎。ちょっと、びっくりしただろうけど、ちゃんと話を聞いてくれればわかるはずだから。ね? と、とりあえずさ、話をしよう。ね。話を、」


 本能的に逃げたかったのか、言いながらあたしは後退していたらしい。気付けば河原のふちまで来ていて、それに気付いたあたしはまたしても慌ててそこから離れようと妙な足裁きをしてしまい、そして。


 どぼん。


 いかにも地味な音を立てて、河に落ちてしまった。


 「うららさん!」

と、悲壮な出島さんの声が聞こえた気がする。言えなかったけど。出島さん、言えなかったんだけどね。


 これ、全部出島さんのせいなんだからね!


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