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お仕事はなんですか。警察官です。
お仕事はなんですか。村長です。
お仕事はなんですか。銀行員です。
お仕事はなんですか。今は学生ですが、そろそろ巫女になる予定です。
答えづらい質問ではないはず。理解しにくい解答でもなかったはず。
お仕事はなんですか。河童です。
未だ雨は降りしきる。
そんな中で、沈黙。
ややあってから、
「あはははは」
「あはははは」
あたしと彼はお互いの顔を視界に捕らえたまま笑い合う。違うのは、あたしの笑い声が乾ききっていることくらいだ。
今、何て言った? 河童? 河童って、あの緑色をした生臭そうな、肛門が何の因果か三つもあって、キュウリが大好きで頭頂部に皿をのっけてるっていう、あの河童? 妖怪の? 一説では宇宙人とか言われてる? あの河童?
弟が怪奇現象だとか妖怪だとか宇宙人だとかが大好きなせいで、そういった知識があたしの中にも着々と積もってきているらしい。瞬時に、弟の見せてくれた色々な河童の挿絵やら文献やらが脳裏によぎる。
「へ、へ~」
色々考えた挙げ句、都会の冗談だと受け取ることにしたあたしは、精々興味がある風に頷くばかり。もしかしたら頭の回線が上手いこと繋がっていないひとなのかもしれない、とは思いたくなかったから。どう聞いてもその可能性が高いけれど。ともかくあたしは、都会の冗談も判らない田舎娘だと思われたくないのと、会話を何とかして繋げなくてはという必死の思いのもと、出来るだけ中立的な言葉を選ぶと、
「あ、だからこの河が気に入って…」
あたしが言い終える前に、河童さんは大きく首を前後に振る。顔には満面の笑顔。気のせいかもしれないけど、目がきらきら光ってます。か、かわいい……。
「そうなんです! こういう大きくて、村全体にアクセス出来る河が流れている地形なんて、探しても見つからないですからね。僕は幸せ者です。河童にとって、水は最重要事項ですからね~。水なくして河童あらんとする、なんていう文献も発見されちゃうくらい、僕たちと水との関係は古いと言いますか……。いやあもう、この勤務地に決まるまで色々あったんですけどね。同期からは茶化されるわ、馬鹿にされるわ、上層部からは呆れられるわだったんですけど。でもほら、待てば回路の日和ありって言うじゃないですか。僕、本当にここに決まって嬉しくってですね。今日も朝から最低二十人には電話しちゃいましたよ~。自慢話なんてしない方が良いってわかってるんですけどね、も~う、とにかく嬉しくって。僕は幸せ者です……。河童っていうのは、原則として水のない場所では生息出来ない生きものなんですよ。だからね、この河がここに流れているってことがどれほど素晴らしいかと言うとですね、水なくして河童あるんとする、なんていう文献が昔からあるくらい…」
やばい、何か異常に興奮して、同じ事繰り返し始めてる!
「あああああの! さ、皿ってついてるんですか?」
きらきら光っていた瞳は今や爛々としていて、ここだけの話、ちょっと怖い。河童さんの、あまりにもあけっぴろげな「僕河童ですけど何か?」的態度に、そこに乗っからなければならないみたいな気持ちになってくる。絡みにくいゲストを迎えた司会者のような心持ちだ。しかも、何が厄介って、河童さんの笑顔があまりにも可愛いってことだ。ついつい喜んでもらえるような話題を選んでしまう。
「ついてますよ。ほら」
と、河童さんが身を屈めてくれる。頭頂部はしとどに濡れていて、それを指して、「ね」と言うのだけれど、これは単に雨に濡れただけなんじゃ?あたしの髪なんてまだびしょびしょだもの。凝った冗談だなと冷静に思ったけれど、いかにも純粋に再度「ね」と頷きかける河童さんに、思わず、
「あー、本当だ。濡れてる濡れてる」
あたしのリアクションに満足したのか、河童さんはにこにこと相好を崩してあたしにその魅惑的な視線を向けてくる。またしても、顔表面温度の上昇を察知したあたしは、慌てて次の話題を口にした。
「インターンシップって、期間はどれくらいなんですか」
「一応、一年間の契約なんですけど、もし良い成果を上げて認めてもらえれば、ここに永住出来ると思います」
「誰に認めてもらうんですか?」
「全日本河童委員会本部の方々です」
何だそれ。
「へ、へ~。成果って、何をするんですか?」
「それはもちろん、尻小玉を抜いたり、肝を抜いたりするんです。数が多ければ多いほど、委員会幹部の方々は喜びます。そういう意味では、営業職に似ているかもしれませんね」
もちろんって。
整った顔立ちで、尻小玉だの肝だのという単語を聞くと、何というかミスマッチ過ぎて非現実的に聞こえる。もしかしたら、シリコダマ、という言葉が違う言語にもあるのかもしれない、と楽観的に捕らえたくなる。とかいう乙女的発想のままにしておけばいいのに、あたしは気付けば引きつった顔のまま、尚も、
「尻小玉っていうのは、水死したひとの、その、こ、肛門がゆるんでいるのを見た昔の人が、それは河童が手を突っ込んで内臓を抜いたからだと……。ただの迷信だって聞いたんですけど」
そして、あたしは十七歳のうら若き身で、こんな美形のお兄さんの前で肛門とか言うんだ……。世も末だわ。
「でも、僕たちは内臓には興味はないですよ? 肝っていうのは、まあ確かに肛門の近くにありますけど、内臓とはまた別物です。尻小玉を抜いた人間は、僕たちの従者として使うことが出来ますし、尻小玉と肝もまた、別物ですね」
ああ、こんな麗しい口唇が堂々と肛門なんていう単語をさらっと……。そして沈黙。何か言わないと、と焦るあたしの横で河童さんは、はたとその長い指を四本そろえて口元に当てると、何故か慌てて、
「僕としたことが。まだ自己紹介もしていませんでしたね。ごめんなさい。出島浩平と申します」
と、ぺこりとおじぎをした。こんな小さな村だから自己紹介なんてしないもんな。新鮮だ。顔を上げて、何かを期待するようにあたしを見る河童さん。え?何?あああ、名前ね。
「あたしは、黄本うららと言います」
「かわいい名前ですね」
そんなこと言われたの、初めてなんですけど。そして、どうやってリアクション返していいかわからないんですけど! 一瞬ひるんだあたしを見ても、河童さんは変わらずきらきらの微笑みを浮かべたままだ。えっと、こういう時、小説とかだと女の子が可愛くありがとうって御礼を言うんだよね。可愛く、かわいく……。
「あ、どうも……」
可愛くない! あたし、全然可愛くない!
そんなあたしの内面の葛藤などは露ほども知らず、河童さん、もとい出島さんが明るく話しかけてくる。
「どうでしょう、うららさん」
「何がですか」
「僕の初めてのひとになっていただけないでしょうか」
「……は?」
は、初めてのひと……?
乙女としてはあるまじき言葉や行為が、出島さんの言う「初めてのひと」からマッハの勢いで連想、もしくは妄想されていく。いやいやいや。そんなわけない! いやいやいや。でも。…………。わあああああ、何考えてるの、あたし! そんなこと想像するのもはしたない! いやでも、冷静に考えてそれくらいしか思いつかないっていうか、それ以上の意味なんて…。いやでも! 全部が全部、そっちの方面に繋がってると思うこと自体、あたしが頭おかしいっていうか…。いやでも! でもでもでも……。
あたしのだんまりをどう受け取ったのか、 出島さんは、花が咲きほころぶような微笑みをふりまくと、
「ええと、つまりですね。今日が、僕のインターンシップ初日なんですよ。話が長くなるので省きますが、勤務地を決めるのに手間取ったりしてしまいまして。普通は春始まりですから。同期には、会社の人間全員の尻小玉を抜いてその会社の会長に成り上がってセレブになったひともいたりするんですけどね。僕はスロースターターなものでして」
セレブって。尻小玉抜いて、セレブ? 何かギャップがありますが。しかも同期ってことは、他にもいるんだ、河童だって自称するひとたちが。職業:河童って書くひとたちが。将来の夢は河童です、って言うひとたちが。ていうか、河童って、本気で言ってるのかな。まあ、いるかもだけどさ。自分は魔女の生まれ変わりだって信じているひとが、世界にはいるって聞いたこともあるし。
色々突っ込みたいところはあるんだけど、何分出島さんがあまりにも真剣に話しているので、茶化す気になれない。と、いうわけであたしはおとなしく話を聞くのみだ。
「僕は、尻小玉を完全に抜いてしまって、人間を腑抜け状態にするのに、どうも抵抗を感じるんです。だからね。僕はここを拠点にして、尻小玉を抜きつつ、それでも人間と共存していける河童というものが存在するんだということを証明したいんです!」
「あ、えっと、それは中々高尚な目標ですね……」
あたしの苦し紛れの相槌に、出島さんは嬉々としてこちらに向き直るとがっしりとあたしの両手を自身のそれで包み込んだ。びっくりしすぎて、ひい、という小さい悲鳴があたしの口から漏れるが、出島さんはそんなことなどまったく気にもせずに、
「ああああああありがとうございます! うららさん、良いひとだなあ。さっきも僕は幸せ者だと申しましたけど、うららさんに出逢えて更に幸せになった気がしますよ。何ていうんですか? 運命? そう、運命を感じます! ここで会ったのも何かの縁だと思うんです。ていうか、縁ですよ、縁にしか思えません!縁に違いありません! どうでしょう。僕の初めてのひとになっていただけないでしょうか」
と熱っぽくまくし立てた。ゆっくりと二、三回まばたきをして、あたしは出島さんの瞳を覗き込む。停留所の外から差し込む太陽の光で、薄い茶色と薄いグリーンの色を行ったり来たりする瞳。あたしはそこに一片の嘘や冗談は見つけられず、代わりに純粋な期待があたしを真っ直ぐに見つめ返すばかりだった。
一度目を閉じて、大きく息を吸って、あたしは頭の中に浮かび上がった文章を舌でなぞるように口に出した。
「つまり、出島さんはあたしの尻小玉を抜きたいとおっしゃる?」