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雨もしたたる良い河童(旧)  作者: 卯ノ花実華子
第二章 お風呂と涙と居候
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 お風呂場から出て、後ろ手にドアを閉めたところでお母さんに遭遇した。肩をいからせているあたしを見て、お母さんが怪訝そうに首を傾げる。


 「何やってんの、うらら。今までかかったの? お風呂いれるのに? 顔も真っ赤じゃない」

 「浴槽、洗ってたから……」


 そう答えると、お母さんはいやににやにやして、そ〜う、と言った。


 「面倒臭がりのあんたが、お風呂場の掃除ねえ。あら、そう。それはそれは」

 「だって、汚れてたから!」

 「はいはい。そうね、汚れてたわね」

 「本当だってば!」

 「そうね、本当よね。すんごい汚れてたわよね、そうだったわあ」


 さらに顔を赤くしたあたしの頭をぽんぽんと叩くと、お母さんは、


 「それにしても、あんたも汚れてるわね。河で溺れたんだったら、当たり前か。出島さんが上がってきたら、あんたも入ってらっしゃいな。そんな身なりで居間に座られたら、畳が泥だらけになっちゃうわ。あ、それとも、一緒に入ってくる? 出島さんと」


 出島さんと同じ事言わないで!


 とは、流石に言えず。あたしは更に顔を赤くして、入らない! と叫んだ。はいはい、と真面目に受け取ろうともしないお母さんは、あたしの手に何かを手渡す。見れば、それは浴衣だった。


 「一応、洋装も探したんだけどね。出島さん、背が高いから。ズボンとかつんつるてんになりそうじゃない? だったら浴衣の方が丈も調節しやすいかと思って。渡してあげてね。お母さん、お父さん呼んでくるから」

 「え、なんで」

 「何でって、お母さんが言い出しちゃったことだけど、もし本当に出島さんがうちに住まわれるんなら、お父さんの承諾も得ないといけないでしょう? 俊希くんの持ってきてくれたスイカも、井戸につけておいたから大分冷えただろうし、みんなでお茶にしましょう。そういや、俊希くん、やけにぼうっとしているみたいだけど、大丈夫? いっつも元気なあのこがあんな風に大人しいのを見ると、何か変なものでも食べたのかと心配になるわね」


 言うだけ言って、お母さんはさっさとその場をあとにしてしまう。その後ろ姿を縋るように見つめるあたしの視線にはまったく気付かず、玄関のドアが開いてお母さんの足音は遠ざかってしまった。は〜あ、やっぱりこれ、この浴衣、あたしが渡さないといけないの?


 お風呂場から出るのに、あたしがどれだけの苦労を強いられたか。出来ることなら、戻りたくないんだけど。




 

 あたしが自分から抱きついたのが嬉しかったのか、出島さんはあれから随分とあたしを離してくれようとはしなかった。お得意の、いやに舞台がかった口調で、


 「嗚呼! うららさんが、うららさんが、うららさんが! うららさんの方から! 僕に抱きついてきてくれるなんて! 天にも昇る気持ちとは、まさにこのこと。龍神様、改めて感謝いたします。尻小玉が切れかけて瀕死の状態に陥った僕を助けてくれたのが、うららさんであったこと。そのうららさんが僕の無事を、このように喜んで下さっていること! これは、是非とも記念石碑を建てて、末代まで語り継がねばなりません!」


と言いながら、更にあたしを強く抱き締めた。痛い、痛い、痛いってば!


 「は! 僕としたことが! 大丈夫ですか? うららさんの華奢な体を傷付けてしまいましたか?」


 いや、どっちかっていうと、あたし、華奢じゃなくて頑丈な方だと思うよ?


 いつものペースに戻った出島さんを呆れた目で見つつも、あたしはやっぱりちょっとは嬉しかった。怖い出島さんも嫌だし、元気のない出島さんも嫌だ。それって、あたしのわがままなんだろうか。


 あたしの体の無事を確認するように、両肩に手を置いてしげしげと見つめる出島さんが、何だか無性にかわいくて、ついあたしは微笑んでしまう。それに敏感に反応した出島さんは、同じく、っていうかあたしのより数百倍破壊力のある微笑みを浮かべると、電光石火の早さであたしの口唇に触れた。


 「ちょっと!」


 自分の口から音が聞こえて、久しくそういう状態になかったあたしは、それにびっくりして目を丸くした。もしかして、今ので直ったってこと? でも、あたしの言葉を封じたときには触れないでも良かったわけだから、直すのにもあたしに触れなくても良いんじゃないの? とも思うんだけど……。疑わしそうに見上げたあたしに向かって、出島さんが満面の笑みを浮かべる。片手であたしの頬を撫でると、優しい目をして言うのだ。


 「怖い思いをさせてしまって、本当にごめんなさい」


 怖い思い、というのはあたしの言葉を奪ったことを言っているんだろうか。それとも、そんな無理矢理な行動に出た自分のことを言っているんだろうか。どちらにせよ、どうやらあたしはまた、普通に話せるようになったみたいだし。出島さんも、少しは懲りているみたいだし。……やっぱり、甘いのかな、あたし。


 「もう、いいですよ」


 言うと、出島さんは雪の女王をも陥落させるであろう笑顔を見せ、ひとつ頷く。そして、世にも怖ろしいことを口にした。


 「じゃ、うららさんもお風呂に入りましょう」

 「も?」

 「はい! だって、僕だけじゃなくて、うららさんも河で汚れてしまったでしょう? 折角ですから、ね。ええと、脱衣所は外ですよね? さ、行きましょう!」

 「いやいやいや。あの、出島さん、何を言っているのか、あたしには今いち…」

 「えー? 一緒にお風呂に入りましょう、と言っているんですよ」

 「無理!」

 「どうしてですか?」


 詰め寄ってくる出島さん。こいつ、わざとしているんじゃないだろうか。赤面している、と自覚しているときに、こうやって間近で見つめられるのがそれはそれは恥ずかしい、ということに気付かないふりをしているだけなんじゃ?


 「どうしてもです!」


 振り切って、というより 寧むし ろ、出島さんを足蹴にして、あたしは立ち上がる。あう、としりもちをついた筈の出島さんは、しかし、異様な早さで立ち上がると、脱衣所に逃げようとするあたしの前に立ちふさがった。お前はぬりかべか!


 「何でですか!」

 「何ででもです! そこ、どいてください」

 「え〜、僕、うららさんとお風呂入りたかったのに」

 「あたしは入りたくありません!」

 「でも、僕は入りたいんです!」

 「あたしは入りたくないと言っているんです! 出島さん、ここは田舎ですが、それでも民主主義の国なんですよ。そうやって無理強いするのは良くないと思います」


 何のことだか。自分でそう突っ込みを入れたのに、出島さんはきょとんとすると、驚くほどあっさりと、


 「そうですね。無理強いは良くありません」


 そのまま、さっさと自分はお風呂場から脱衣所へと移動する。ひとり残されたあたしは、ぽかんと口を開けているのに気付いて、この好機を逃してはいけないと、慌てて出島さんの後を追った。


 脱衣所では、洗濯機の上においてあるタオルの柔らかさを確かめている出島さんがいた。柔軟剤のCMのようにそれに顔をくるませて、あたしを振り返ると、ふわふわ〜と夢見心地に言う。このひと、一体いくつなんだろう。図体だけでかいけど、実は五歳とかだったりして……。


 あたしが脱衣所のドアを開けて廊下に出ようとすると、ノブにかけた手に出島さんの手が重なった。体を強張らせたあたしの耳元で、出島さんが囁く。


 「いつか、一緒に入りましょうね、お風呂」


 で、廊下に出た瞬間にお母さんに会ったのだ。





 これで、脱衣所に戻ってきたくなかったあたしの心情を察していただけるかと。そうっとノブを回してドアを開ける。視線を左右に配らせると、そこには出島さんの姿はない。お風呂に入ったのか。だったら今の内、さっさと浴衣をタオルの側にでも置いて……。


 一歩ずつ、慎重に足を踏み入れて、音がなるべくしないようにドアを開ける。押し戸になっているから、右手にあるお風呂場からはあたしの姿は見えない筈。そうしてあたしが洗濯機の上に、手を伸ばそうとしたときだった。


 「あれ、うららさん?」


 ふいに背後から声が聞こえたかと思うと、あたしに覆い被さるものがある。パニックの中でその腕らしきものを見ると、それは服を着ておらず、濡れているらしいそれの感触に嫌な予感がして目を上げた洗濯機の上にまだタオルがあるのを確認してしまうと、あたしはそれっきり動けなくなってしまった。


 だって、ちょっと考えてみて? あたしの視界に、出島さんの服も、タオルも見えているんだよ? そして、あたしにおんぶおばけごっこをしているのは、まず間違いなく出島さんなんだよ? と、いうことはさ。出島さんは、今、いま……。


 全裸。


 ということになるじゃない! 絶対に振り向けない! 何があっても振り向けない! すでに痴女のような行いに手を出してしまったあたしが、今振り向いてしまっては、それであたしの乙女デイズが終わってしまう。永遠に。永久に。それだけは! 何としてでも阻止しなくては!


 「で、出島さん? あの、これ、浴衣です。お母さんが、出島さんのサイズに合う洋服が見つけられなかったら、これを着てくださいって。えっと、洗濯機の上に置いておきますね」


 目を固く閉じて、それだけを言うと、あたしは言葉通り、手探りに浴衣を洗濯機の上にのっけて、そろそろと脱衣所から退散しようとした。


 「わあ! 浴衣ですか、良いですね、風流ですね! 流石、龍神様ですね! でも、うららさん。僕、浴衣の着方がわかりません」

 「知りません、そんなこと!」


 おんぶおばけを背中にはりつけたまま、あたしは反転してドアの方らしき方向に向かおうとする。まだ目を閉じたままなので、何がどうなっているのかはわからないが、ここはあたしの家、感覚が覚えてくれているだろう。出島さんが引きずられるようにして、あたしにくっついてくる。もう! 何で諦めてくれないの?


 「何やってんの、姉ちゃん」


 廊下だと思われる場所から声をかけられて、あたしは目を開く。目の前には、棒アイスを口にくわえた弟の姿があった。言葉もないあたしを、弟が見つめる。そして、


 「誰、その後ろのひと」


 いまだに泥だらけで、全裸で水をしたたらせているぱっと見好青年で、その実変態な出島さんを背後にしたあたしは、この五つ下の弟の目にどう写っているのか。


 「ぴーんち」


 出島さんが呟いた。


 それは、あたしの台詞だろう!

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