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この、変態河童。
この、エロ河童。
この、お騒がせ河童。
この、腹黒河童。
あたしが口パクでそう言うのを、出島さんはにこにこして見つめていた。わかってる? あたし、誉めてないんだよ? 尚も笑顔を崩さない出島さんが、その顔があんまりにも嬉しそうで、気圧された形であたしは口を閉じた。
あらかじめそう台本にでも書いてあったのか、そうなることがまったく自然な成り行きなのか、出島さんの顔がどんどん近付いてくる。明らかにひとの口唇を狙っている。両手でそのこめかみのあたりをがっしりと掴んで、寸でのところでまた不意打ちキスをされるのを防ぐと、あたしは出島さんのおでこに頭突きをかましてやった。
鈍い音がして、さすがの出島さんもくらくらしているらしい。思わずあたしの腰から手を離してしまうと、今度はあたしがバランスを失いそうになって、不本意ながら、出島さんの胸元に抱きつく羽目になってしまった。
「うららさ〜ん」
なによ、と呼びかけに応えるように、あたしが顔を見ると、ちょっと涙目の出島さんの姿があった。この分だと、目から火花でも出ているのかもしれない。
「うららさん、これからもずっと言葉を封じられたままでいいんですか?」
良くないけど。それとどう関係するっていうの。
「あのね。さっき、僕は力を使ったって言ったじゃないですか。ハンカチを見えなくするのは、まあ初歩的なものなので良いんですけど、うららさんの言葉と俊希さんのはすごおおおおおおおおおおく、疲れるんですよ。万全な状態ならまだしもね?皿もちょっと乾き気味だし、ストックしてあった尻小玉も底をつきかけてるし、あんな、スイカと俊希さんからのでは回復にすら至らないってわけですよ」
すごい、恩着せがましい言い方。その力だのを使ったのって、出島さんの勝手じゃない。だから何だっていうのよ。
「あ、ひどいなあ。これというのも、うららさんと一緒にいたいが為の行動なんですからね」
一緒にいてくれなんて、あたしは頼んだつもりはないけどね。
「でも、うららさん、さっき気持ち良いって思ってましたよね? 僕にキスされて、気持ち良いって思われたでしょう?」
あまりに唐突で、しかも正鵠を得た出島さんの発言に、あたしは力の限り、首を左右に振った。
出島さんに抱き上げられたのも、指に触れられたのも、すごく気持ちが良かった。髪を撫でられると、安心した。腰に手を回されると、すべてを任せてしまいたくなった。おでこから順繰りにキスをされて、初めて、あたしから出島さんに抱きつきたいと思った。
でも、全部それは隠していた筈だったのに!
だって、そんなの、おかしすぎるよね? そんなの、女の子がするものじゃないよね? まるで、ねだるみたいな行為、あたしには出来ない。あたしの理性が許すわけないじゃない。
「別に構いませんよ、僕は。うららさんが抱きついてきても。現にほら、頭突きされても平気じゃないですか、僕」
それとこれとは、話が違うんじゃない?
「それもそうですね」
頭突きのダメージから立ち直ったのか、出島さんは声を上げて笑いながら、あたしの体を抱え直した。あたしの手は胸元に添えられていて、出島さんに支えられている今は、その手には何の意味もなく、下手をすればあたしが彼に甘えているように見える。
いっつもそうだ。出島さんといると、恥ずかしい思いばっかりする。泣いてばっかりになる。あたしはもっと、平穏な日々が送りたいっていうのに、それを出島さんは根底から揺さぶりをかけてくるのだ。あたしが今までに培ってきた、価値観や倫理観をぶち壊しにして、出島さんはあたしに近付いてくる。パーソナルテリトリーって言葉を知らないのか。戸惑うあたしを、出島さんは半ば強引に抱き締めるのだ。何が一番厄介って、そうやって近付いてきた出島さんを、拒否出来ないあたしがいるってこと。何でこうなっちゃってるんだろう。あたし、NOと言える日本人の筈なんだけどな。
「良いんですよ」
子守歌を歌う声量で、出島さんがあたしに囁いた。そうしながら、そっとあたしの髪の生え際にキスを落とす。たったそれだけで、あたしは眠りにつきたくなるくらい心地が良い。
「気持ちよくなって欲しくてしたんですから。泣きやんで欲しくてしたんですから。僕のことで傷付いたり、がっかりしてしまったりしたでしょうけど、それを挽回するチャンスを与えて欲しくて、もう一度僕を頼りにして欲しくてしたんですから」
出島さんの言葉が、 祝詞のりと のようにあたしの心に染み入ってくる。
そういうことなのかな? 認めたくなかっただけで、本当は出島さんを信頼していて、それをあんな形で裏切られたから悲しくて、それを見抜けなかっただけならそんな自分が悔しくて。あの優しい手に包まれていると、すごくホッとした。あたしの知っている出島さんが戻ってきたんだと思った。どんなに変態で変人で、行動言動のほぼ全てが奇々怪々だったとしても、出島さんの屈託のない態度を、あたしは好きだった。いや、だった、じゃないな。あでも、そうすると、現在進行形であたしが出島さんを好きということに……。いや、それはありえない。だから、その、嫌いなわけではないんだけど、好きという言葉を使うのには躊躇われるというか。だって、出島さんだもん。何か、出島さんを好きって、何か、何だか、すごく恥ずかしい。
そんな、明らかに柄でもないことを考えていると、ふいに頭をつかまれていた。不審に思って目線を上げると、妙にぎらついた出島さんの瞳がこちらを見据えていて、そこはかとなくホラー風味だ。その野生肉食動物な出島さんの顔が、性懲りもなくあたしに近付いてくる。
だから。すぐそうやって調子に乗るなってことを……、いい加減学びなさい!
両手をクロスさせて、出島さんの首を締め上げる。ぐ、ぐ、ぐるじ、うららしゃん、と出島さんは虫の息だ。
まったく。油断も隙もあったもんじゃないじゃない。
手を外すと、げほげほと咳き込む出島さんを尻目に、あたしは自分もいつかあんな野生動物みたいになったらどうしようと心配していた。
「だ、だから、大丈夫ですって。うららさん。僕はこう見えても度量の大きい河童ですからね。うららさんにキスをねだられるなんて、むしろ大歓迎ですよ」
致命的な失言に顔を赤くしたあたしの鉄拳が、出島さんの顔にめりこむ。
絶対、絶対、そんなことしないんだから! あたしは自分の理性と固く契りをかわした。