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雨もしたたる良い河童(旧)  作者: 卯ノ花実華子
第一章 大雨とバス停
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9

 明らかに頭のボタンが二、三個掛け違われてて、変態で変人で、マイペースの上に空気が読めず、素直で純真なら極度の奇行も許されると思っているのか!な出島さんだが。自称河童という、痛々しいことこの上ないプロフィールの持ち主で、尚かつ手がぬめったり体が緑色に変色したりする出島さんであるが。


 そんな、色々な意味で相手を疲労困憊させる出島さんの容姿が、絵画のごとき美しさであることもまた、抗いがたい事実なのだ。


 ぱらぱらと断続的に降り注いでいた小雨も、今やすっかりそのなりを顰め、太陽が雲のすき間から不敵な笑みを浮かべ始めている。出島さんの、不思議だねでは済ませられない緑色の肌は、人間と同じ色味に戻っており、手も乾いてきているであろうに、未だに岡崎にそのぬめりを指摘されたことを根に持っていた。


 スラックスが泥で汚れるのも構わずに長い脚を器用に折り畳んで体育座りをすると、自身の膝小僧を両腕で抱く。音楽家の指をした出島さんの手は、両膝の真ん中でいじいじと指を合わせていて、そのすぐ後ろにはこれまたいじけた表情の出島さんの顔がある。出会った時と同じ、さらさらの髪を前後に揺らせながら、出島さんは無駄に長い睫毛を伏せると、誰にともなく文句を言い続ける。台詞さえ聞かなければ、まるで詩人が黄昏れているみたいに見える。


 「だから、このぬめりは、別に僕が望んで手に入れたものじゃないんですよ。河童なら誰だって、大なり小なり持っているものなんです。そりゃあ、個人差はありますけど……。でも、それが個性ってもんじゃないですか、何ですか、個々の個性を認めてこその現代社会じゃないですか。それを、そんな、ちょっと手がぬめりやすいからって、まるで僕を犯罪者みたいに……。差別だと思うんですよね、そういうのって。だって、僕だって好きでこんなぬめってるわけじゃないんですもん」


 自分のことを時代遅れも甚だしい河童だと言い張るひとが、現代社会を口にするのは何ともシュールな光景だわ。また、同じこと繰り返してるし。壊れたレコードか。


 体育座りのまま、起き上がりこぼしのように前後運動を続ける出島さんを放っておいて、あたしはさっと立ち上がった。起き上がってみれば、寝っ転がっていたあたしの頭があったところには出島さんのハンカチが敷いてある。うーん。こういうところは、本当に可愛いんだけどなあ。いかんせん、人格破綻がひどすぎる。


 あたしにつられて立ち上がった岡崎を見て、やっとこっちの世界に戻ってきたらしい出島さんが口を開いた。


 「うららさん」

 「なあに」


 抱え込んだ膝に顎をのっけて、あたしを上目遣いに見やる。うっ。何という破壊的な可愛さ! そこはそれ、岡崎の前だって手前もあるから、あたしはぐっと真顔のまま出島さんのミス・ユニバースもかくやという顔を見つめた。ぐら、とバランスを崩したかと思うと、出島さんの体が後ろ向きに傾いで倒れそうになる。ちょ、ちょっと!


 慌ててその背中に手を回して出島さんを支えると、息も絶え絶え、といった風に情けない声で、

 「お、おひさまのせいで……。ち、力が……」


 どっかで聞いた台詞だな。子供向けの番組にでもありそうな。


 「う、うららさん……、後生です……、少しで構いませんから、し、尻小玉を……」

 「やだ!」


 誰が友達の前でキスなんぞさせるか! 自称乙女をなめんなよ!


 門前払いをくらった出島さんは、雷光にでも打たれたのか、一度痙攣を起こすと青白い顔になって黙りこくった。が、しかし、打たれ強い出島さんは、更にしっとりと涙らしきもので濡れた睫毛をしばたかせると、


 「だって、尻小玉がないと、僕、死んじゃいますよ……」

と、例の齧歯類の瞳で訴えかけてきた。姑息な!


 「だめなものはだめなんです。あ、じゃあ、そのスイカから抜いちゃってください。もう、この際ですから、スイカの一個や二個、良いですよ。その代わり、あとで八百屋さんに行って弁償してくださいね」

 「スイカじゃ僕の空腹は満たされませんよ~。うららさんの、うららさんのが良いんです。しかも、弁償って、やっぱりスイカのこと、根に持ってるんじゃないですか~」

 「うるさい!」


 スイカのことが図星だったので、あたしは少し顔を赤くする。あたしの強固な態度に、出島さんは、いよいよ背中を支えるあたしに全体重をかけてくると、プリマドンナの仕草で瀕死の白鳥を演じると、消え入りそうな声量で、お願いします……とだけ言った。


 「出島さん、大丈夫なの? 黄本」


 出島さんのことを本気で心配しているらしい岡崎が、膝を折ってしゃがむと、あたしにそう尋ねた。渡りに船、とばかりに出島さんは悲劇の主人公ぶると、


 「と、俊希さん……。お願いします、うららさんを説得してください。僕たち河童は尻小玉がないと生きていけないのです。このままでは僕は、げほっげほっ……」


 わざとらしい咳にほだされた岡崎が、あたしの目を見る。あたしは頑固に首を振って応えた。


 「何だよ、黄本。河からお前を助けて疲れてるんだろ、出島さん。尻小玉って、何のことだかわかんないけど、ちょっとくらいやっても良いんじゃねえの」

 「そんなに言うんだったら、岡崎があげればいいじゃない、出島さんに。別に、あたしでないといけないってわけじゃないんだから」


 どうしてあたしがそう言ってしまったのかは、わからない。いわゆる、売り言葉に買い言葉ってやつなのかもしれない。ともあれ、口から出てしまった言葉は取り戻せないものだ。不穏な空気を感じつつも後には引けず、あたしは岡崎の次の言葉を待った。


 「は? 何だよ、それ。出島さん、黄本でないといけないんすよね?」

 「げほっげふっ、そ、そうですね……うららさんの方が良いですけど、それはもちろん。でも、この緊急事態、うららさんの仰る通り、うららさんでなくても大丈夫かもしれません」

 「ほ、ほーら。別にあたしでなくてもいいんじゃない。だったら、岡崎、あんたが出島さんを助けてあげれば?」

 「え、俺……?」


 不安げに眉根を寄せた岡崎が出島さんを見ると、出島さんはげほげほと再度咳き込んだ。その瞳が期待で輝いていたのを見逃さなかったのは、多分あたしだけだったのだろう。その証拠に、岡崎はぽり、と後ろ頭を掻くと、まあ、非常事態なんだったら、と言ったからだ。


 途端、先程までの元気のなさはどこへやら、出島さんは飛び起きるようにして岡崎に迫ると、


 「本当ですか!」

と、いっそ魔力的なものさえ感じられる瞳で念押しした。


 ごめん、岡崎。あんたをスケープゴートにするつもりはないんだって。本当だよ? でも、でも、どうやっても、どう考えても、あたしはあんたの前で出島さんに尻小玉を抜かれることは出来ないの。だから、ごめん。岡崎、本当にごめん。あそこに転がってる巨大スイカ、あげるから。何だったら、それに完熟トマト、一ケースもつけるから。大人しく、今日は出島さんの犠牲になってあげて。言ったら聞かない出島さんの犠牲に……。願わくば、岡崎が苦しみませんように。トラウマになりませんように。


 あたしの祈りは通じたのだろうか。


 何か見てはいけない気がして、出島さんの動く気配がしたと同時にあたしは目を瞑ってしまった。むっ!?という岡崎の困惑した声がしたと思ったら、妙な沈黙が辺りを訪れて、ますますあたしは目を開けるタイミングを逸した。ただ、ずっとこのまま、というわけにもいかないので、あたしはおそるおそる薄目を開けてみる。


 そこには肌をつやつやと光らせて満足げに微笑む出島さんの姿と、対照的に魂を抜かれたみたいに凝固してしまっている岡崎の姿があった。うああ、やっぱり。


 すまん、岡崎! あんたの死は無駄にはしない!


 「さ、うららさん。元気になったことですし、龍神様のところへ参りましょう。俊希さんも来られますか?」


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