美食家の戸惑い
気になりだした男性に手作りのお弁当を頂いたらどんな反応を返せばいいのかしら?
オレンジ色の保冷バックの中から同じくオレンジ色の二段のお弁当箱が目の前に差し出されていて、それを私に差し出しているのは先輩であり直属の部下となった彼。
おそらく、というか確実に昨日の卵焼きを味見させてもらったことがきっかけだとは思うけれど、何故彼が私にお弁当を差し出すのかが理解できずに受け取ることもできず固まってしまったわ。確かに今は昼休みで、ほとんどの人が外のお店や社員食堂で食事をしているため彼と私しかいないから、誰かに渡して欲しいと差し出されている訳ではないと思う。
でも、私がお弁当をもらう理由もないじゃない。
いつもと変わらない態度で近付いてくるのを見ていた。昼食を食べてくると言うと思ったのよ?
「今日はまだ買い物行ってないよね?これ、作ってきたからどうぞ」
そう私に言ってきたということは、お弁当を作ってきたのが彼で、私が今日の昼食を買いに行く前に届けたってことでしょう?
彼の真意を計りかねていると彼はお弁当箱をまたオレンジ色の保冷バックに入れて、今度は私の手を引き立ち上がらせた。ちょっと、何するつもり!?と声を出す前に左手に保冷バック、右手に彼の左手と両手を塞がれ移動し始めていた。
「もう午前中の仕事が終わってるのは知ってるよ。部下と一緒にお昼食べてくれてもいいでしょ?」
昨日使った休憩室まで連れて行かれながら、そんなことを言われた。そもそも昨日がたまたま食べただけで、今まで昼食を一緒に食べたことないじゃない!と抗議をする前に椅子に座らされていた。
ひどい脱力感に文句も言えず、落ち着くためにも目の前で広げられていくオレンジ色のお弁当箱を眺める。
真っ先に目に入ったのが昨日味見させてくれた卵焼き。ほんのりキツネ色の焼き目があるそれは今日もとっても美味しそう。ブロッコリーにプチトマトが入っていて、隣にはポテトサラダ。ポテトサラダの中身は人参ときゅうりと玉ねぎかしら。小さいハンバーグにほうれん草とベーコンの炒めもの。どれも全部美味しそう。二段目には茶色の炊き込みご飯が入っていて、こちらはきのこと鶏肉と人参と油揚げが綺麗に混ざっている。
この状況への理解が追いついていれば、余計なことを考えることなくこの素敵なお弁当を味わえたのにと思ってしまったほど魅力的なのよ。
「ちょっと多めの量だから、無理そうだったら残して」
「残すなんてとんでもない!美味しく食べるわ!」
反射的に返してしまった言葉を自分で理解した瞬間、顔から火がでるかと思ったわ。
彼はポカンと口を開けてから2秒程度で大笑いし始めた。ええ、大爆笑と形容できるわね。
仕方ないじゃない!人一倍美味しいものに執着している自覚がある、そんな私にこんな美味しそうなものを差し出して残すと思っているの?多少食べ過ぎだろうと食べるし、そもそも食べれないほど多くないわよ!量に不満があるとかじゃなくて!!ちょうどいいくらいの量だし、ちょっと多くても美味しそうってだけで食べきれるっていうか!
口に出したら出した分だけ笑われそうな彼を目の前に、心の中で叫び倒したわよ。
「…くくくっ…あー、笑った笑った!悩んでるから、食べたくないのかなぁ?なんて思ったけど美味しく食べてくれるんだ?」
はっ!しっかり食べるって言ってしまったわ!
そんな内心もしっかり顔に出ていたらしく、またくくくと抑えてるけど隠しきれない、隠す気もない笑いがこぼれる。
「…いただきます」
多分反応を返せばまた笑われるから、開き直っていただいてしまおう。
卵焼きは後からのお楽しみ、とほうれん草とベーコンの炒めものを口にすればバターの甘味とほうれん草のほんのりとした苦味、そしてベーコンのわずかなしょっぱさと油の旨味にため息が出た。それぞれをはっきり味わえるけど、バラバラではなくて調和してるこの味。味付けは母とは違うはずなのに卵焼きと同じように懐かしさと満たされる感じがする。
ポテトサラダもじゃがいもの食感を潰しきらない程度の加減で、少なめのマヨネーズに素朴な塩こしょうが中の野菜の甘味を邪魔しない。ハンバーグは豆腐も混ぜてあったようで、僅かながら一緒に練り込んだらしい味噌の味が引き立つし、炊き込みご飯ともとても相性がよく箸が進んでしまうわ。
先程まで強ばっていた頬がだらしなく緩んでいるのがよくわかる。でも美味しいものを食べている幸せ以外の表情なんて作れるはずもなくて…。
美味しさに感動してた私は彼が私より幸せそうにこちらを眺めていたなんて知らなかった。
「…ごちそうさまでした」
大満足の美味しいお弁当をすべてお腹におさめてから、手を合わせて呟くと彼が緑茶を入れてくれていた。綺麗な色の緑茶にそういえば何の飲み物も準備せず食べていたのだと気付き、少し気まずく思う。だって、彼はお弁当を作ってきてくれて広げてくれたのに、私は食べただけでお茶を出したりもしなかったもの。私にお茶が入れられるかは別問題として…。
「本当に美味しそうに食べるよね。作ってきたこっちの方が見てて幸せになるくらい」
ニヤニヤ、ではなくふんわりといつもと違う笑い方をする彼にドキリと胸が高鳴った。
「とても美味しかった…。けれど、アナタにお弁当をいただく理由もないんだけど」
ちょっと小声になりながら彼がお弁当を作ってきてくれた理由を聞いてみた。
あ、あの柔らかい笑い方じゃなくてニヤニヤに戻ってるわ…。
「んー?好きな人を落とすにはまず胃袋からって言うでしょ?」
「それは好きな男性へアピールする女性の話でしょう?」
これは、好きだと言われている、のかしら?
からかわれているような気もするけど、こんなことのためにお弁当作ってくるような人じゃなかったわよね、彼。
「キミに作ってもらえるのも楽しそうだけど、まずは美味しく食べてる笑顔を僕の料理で見たいかな」
「えっ?」
「美味しい弁当を作ってきて食べさせてあげるから、僕と付き合おう」
冗談めかした言い方だけど、真剣な瞳で見つめられて。
昨日と今日で知らない彼をたくさん見た気がして。
美味しいお弁当はすごく幸せで、彼の顔を見ていると胸が高鳴って、つまり。
「美味しいご飯本当にありがとうございました。あと、これからの美味しいお弁当とお付き合いよろしくお願いします…」
思わず入社当初くらいの固い敬語が出てしまうくらい、照れくさくて嬉しかったのよ!
美食家の外面翌日の話。
彼が自重という言葉を放り投げた。
炊き込みご飯を炊いたが、油揚げを切らしていてちょっと物足りなかった。