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星空の煌めきと道しるべ

作者: きな

初めて書いたので微妙な出来かもしれません。長めなのでお暇な時に読んでください。




暗い暗い、このトンネルの中をいつまで走り続ければいいんだろう。


 「あんたみたいな子、どうして生まれてきたのよ。」

 

冷たい冷たい、この水の中をどれだけ泳ぎ続ければいいんだろう。

 

「今日も生きてたのね。早く死ねばいいのに。」


 たった一度でいい。誰だって構わない。私のことを受けとめてくれて、ほんのちょっとのわがままを聞いてくれて、甘えるってどういうことなのかを温もりと一緒に教えてほしい。この世に神様なんかいないって、もう嫌というほど知ったけど、だけど他に何にすがればいいか分からないから…

 ―お願いします。どうか私に…。―


 ―居場所をください― 



 ガシャン。周りを石の壁に囲まれた小さな部屋を満たしたのは、耳を刺す無機質な音。少女の足元には今しがた飛んできたグラスの残骸が無残に散らばっている。ここまで砕けてしまうと片づけるのに苦労するだろう。落としただけならこんなことにはならなかっただろうに。

 「ほんとに愚図な子。まともにできることはないの。」

 切れてしまった頬を庇いながら、少女は頭を下げる。掃除、洗濯、料理。こんな簡単なこともできないなんて。だから、お母さんは自分のことを好きになってくれない。

 「―っ。」

 「目障りなのよ。早く片付けて私の目の前からいなくなって。」

 せめて、これくらいは。ガラスの散らばる床を少女は必死に掃除していく。少女が生まれて以来、こんな生活が少女が生まれて以来ずっと続いていた。母親は外にふらっと出ていき、帰って来るや否や、少女に手をあげる日々。

彼女の両足が今、新たな痛みを訴え、血を流していた。


 

 いつか好きな人に、同じだけの好きを返してもらえる。…知らないでしょう。普通の人たちが夢見る、いつか叶って当然の月並みな願いが絶対に叶わない人の気持ちなんて。

「子供一人作ったからって、まるで夫婦や恋人のように振る舞うのはやめてくれないか。僕に必要なのは男の跡継ぎなんだ。それが出来なかった君にはもう何の価値も感じないんだよ。」

 好きな人から自分のことを見てもらうためには資格が必要だった。私がどんな外見をしていて、どんな中身をもっていて、一緒にいる時間がどんな風に過ぎていくのかなんて彼からすればなんの価値も持っていない。見ようとすらしてもらえなかった。私だって、ううん、私の方がずっと彼を好きで、好きになってもらえるように努力だってしたのに。努力ではどうしようもないことを持ち出されて終わりだなんて、運命は本当に残酷なのね。私だって叶うんだったら、自分を殺してでも他人として人生をやり直せるのなら、迷わずこの手で終わらせて、せめてスタートラインに立てるところに行きたかった。それでも好きになってもらえなかったそのときは、全力でぶつかれた分も次の未来に憧れなんか抱いたりできたのかもしれない。少なくとも、失意しか知らない今よりはずっとましな考えをもって過ごすのだろう。数えることを諦めるくらいには、同じことを思い続けた。


 気づいたときには、男は他の女を作って私の前からいなくなった。理解できなかった。彼にあげられるものはなんだって捧げた。心も、身体も、財産も。すべてを失った私に残ったのは、彼にそっくりな、綺麗な顔立ちの女の子供一人だけ。あれの空色の瞳を見ると、彼との記憶がよみがえってきて私を苦しめる。私のことなんか決して映そうとしなかったあの瞳。今は他の誰かに愛情を浮かべて見つめているのだろうか。お前には絶対に訪れない未来だ。そう言われているみたいでひどくイライラした。何もかもが壊れてしまえばいい。何の穢れもない澄んだ空が、曇天に覆われて荒れ果ててくれればいい。こんな生活、もうどこかに捨ててしまいたい。

 でも、どうすればいいの。貧民で、しかも女が働く場所なんてこの国には多くない。だからといって、もう想いの届かない人間に依存する生き方なんて辛すぎる。お金さえあれば、きっと今よりもっと豊かになれば、この状況を抜け出して私は幸せになれるはずなのに。


 ……。一つだけ、たった一つだけあった。あれはいつも私に好かれたがっていた。それなら喜んでやってくれるわよね。やっと大好きな私のために、ほんのわずか程度の価値を持つことが出来るんだから。親にだって幸せになる権利がある。子供に尽くして、一生を無駄にするなんてバカなことは、絶対にしない。


 母はそっと立ち上がって、外へ向かう。幸せになる方法を確信した彼女がドア越しのわが子に向かって囁いた言葉は、これまで少女にかけたどんな言葉よりも優しい音で紡がれていた。

「一生の不幸を背負って生きて。今まで苦しんできた私のために。」



 朝の日差しが空を明るく照らすよりも、ずっと早い時間に少女は目を覚ました。普段も怪我が絶えないのにまともな手当をしないから、痛みで起きてしまうことはよくあったがこんなに早く眠りから覚めることは珍しいことだった。人の声がする。少女はそっと寝床を後にした。お母さんの声と、男の人の声。この家に人が来ることなんて今までなかったのにどうしたんだろう。

「あれだけの上玉ならそれなりにするだろう。」

「当然ね。金貨200枚はもらってもおかしくないでしょう。」

 期待にはずんだ母の声。どこか不穏な装いをした男はそっけなく答える。

「それは無理だな。顔は良いが、なにぶん身体がひどい傷物だ。あそこまでいくと、労働の足しとしてじゃないと買い手がつかない。そうなると女手なんか男と比べりゃ安物にしかならない。」

 何の話をしてるんだろう。一日一回の食べるものを買うこともやっとなのに、そんな金貨200枚なんて手に入ることなんてあるんだろうか。疑問に思った少女は、母親に問いかけるために部屋に入っていく。

「お目覚めか。それじゃ、これが約束の金貨だ。50枚だが、お前程度の薄汚い貧民が暮らすには十分すぎるだろう。」

 男に突然腕を捕まれる。思わぬ痛みに、腕を振り払おうとするも、男は全く意に介さない。

「暴れるなよ。こんな細い腕1本くらいへし折ることなんて造作もないんだ。」

 そう言って、さらに力を込めてくる。そのまま外に連れ出そうとする男に、全身が恐怖を駆け巡る。いや、離して。お母さんと離れたくない。

「何度も言わせんな。殺すぞこのくそガキ。」

 激昂する男に顔面を殴られ、すかさずお腹にも蹴りが入る。口の中に今まで何度も感じてきた鉄の味が広がる気がした。どうしてなの。お手伝いもできない役に立たない子だから。勉強ができない頭の悪い子だから。お母さんはいつか私を好きになってくれるって、ずっと思ってた。なのに、もう家にいることも許されないの。涙があふれ、視界が霞んでいく。お願い、助けて。私、もっといい子になるから。お母さんのためなら、何でもするから。


 必死に、最後の希望を託して目を向けたお母さんは、

 笑顔で私を見つめていた。



 光の届かない暗い森の中に牧場がある。街の人間達から、決して近づいてはならないと忌み嫌われているその場所。周りを有刺鉄線に囲まれた敷地の中には、この世の中で誰からも必要とされない人達が飼われているのだった。

 「つ、疲れた…。」

 「おら、ゴミの分際で勝手に休むな。」

 男の背中に容赦なく鞭が振り下ろされる。ほぼ丸一日、肉体労働を強いられている彼らにとって休息を求めることは、ごく自然なことに違いない。

 「貴様らも勝手に手を止めて見てるんじゃない。いつ処分場に送ってやってもいいんだからな。」

 しかし、それもやむを得ないのかもしれない。そうやって、命を削って働くことでしか彼らの価値は生まれてこないのだから。その奴隷たちの中に、母に捨てられた少女も飼育されていた。ここでは女も男も、大人も子供も関係なく労働力として扱われる。身分の差で差別される街の中と、誰もが平等に労働力として扱われる牧場の中。幸せなのはどちらだろうか。

 

 どさっ。疲れから、思わず運んでいた木材を落としてしまう。傷だらけの腕じゃ物を持つだけでもつらいのに、こんな重い物を運ぶなんて。

「手を止めるなとあれほど言ったのに、まだわからないのか。このゴミ女。」

 今日、何度振り下ろされたかわからない鞭が私の背中を打つ。私ってどこにいてもダメなんだ。お母さんのとこにいたときも、毎日ぶたれたりしていた。よくわからないこの場所で働いている今だって、毎日鞭でたたかれてる。違いをあげるんだったら、食事は街で捨てられている残飯を食べるようになったことくらいなんじゃないかと思う。街にいたときに前世って言葉を聞いたことがあった。生まれる前に悪いことをすると、生まれた時代は不幸になるんだって。きっと、私の前世はすごく悪いことをして死んだんじゃないかな。でもその分、次に生まれたときは幸せになれるって信じてる。そう信じていなきゃ、何のために今までこんな暮らしを耐えてきたか分からなくなっちゃうから。私は、十分頑張ったと思う。そろそろいいよね。周りからも早く死んじゃえって言われてきたんだから。そのお願いを叶えてあげる日が来たんだと思う。でも、こんな怖い人たちしかいない場所で死ぬのは嫌だ。誰にも見つからない森の中でそっといなくなろう。


 静まり返った真夜中に、女の子が一人駆け出す姿が見える。

「脱走だ。捕まえて拷問にかけろ。」

 一斉に見張りが動き出す。幸いにも、気づかれるのが遅かったのか、少女に追いつくまでにはしばらく時間がかかりそうだ。

「馬鹿なガキだ。この先を通り抜けるなんてできないことくらいわかるだろうに。」

 しかし、見張りの予想は大きく外れた。有刺鉄線の張り巡らされた柵を目の前にしても少女は全くひるむことなく、その間から抜け出そうと体を差し込んでいく。今更、怪我なんてなにも怖くない。傷だらけで血が止まらなくなったって、どうせ死ぬのに関係ないもの。覚悟を決めた女の子の小さい身体はついに脱走を成功させた。


 降りしきる雨の中、少女は当てもなく歩き回る。なんか、すごく疲れた。頭もぼーっとする。ここは見通しが良さそうだから、もう少し人目に付かない奥の方で死にたかったけど。場所、選んでられないかな。

「無礼者。王子殿下の前に立つなど切られる覚悟はあるのか。」

誰。確かめようと声のする方に顔を向ける。一瞬、綺麗な金色が映ったような気がした瞬間、私は意識を失ったのだった。


 

 「何事だ。」

 「レオン王子。大変申し訳ありません。突然目の前に女が出てきまして馬車を止めた次第です。」

 目をやれば、傷だらけで血を流す少女が見える。声に気付いたのだろうか。ゆっくりと顔をこちらに向けると目が合った。印象的なまでの美しい空色だった。しかし、その青は同時に海よりも深い悲しみを抱えているように見え、何も写していないような死んだ目をしていた。

「すぐにでも処理いたします。王子はどうか馬車にお戻りくださいませ。」

 「不要だ。その女はこちらで預かることにする。」

 「レオン王子、一体何をおっしゃるのですか。あのような貧民の女子供に慈悲を傾ける必要などございません。」

 「その子供はこちらで預かり使用人とする。二度、同じことを言わせるな。」

 「…仰せのままにいたします。王子。」

 その傷だらけの小さい身体は一体何を背負っているのか。あの目に映るべきは幸せであって欲しいと、なぜか思わずにはいられなかった。



 あったかい。背中に何か柔らかいものがあたっている。ふと目を開けると、見慣れない天井があった。すごく綺麗な模様がいっぱいに広がっている。ここはどこなんだろう。

 「ああ、やっと目が覚めたのかい。三日も目を覚まさないから心配したんだからね。」

 突然目の前に、大きな女の人が出てきた。すごい勢いで話す人なんだな。

 「ほら、紅茶を入れてあげたからゆっくりお飲みよ。あたしの紅茶を飲んで、ご飯をしっかり食べればすぐにでも元気になるからね。」

 差し出された紅茶をゆっくり飲む。おいしいな。こんな風にあったかい場所でゆっくりできる時が来るなんて思ってもいなかった。

 「それで、あんたの名前は何だい。ずっと知りたかったけど、寝てたんじゃどうしようもないからね。」

 名前…。首をかしげると女の人は何かに気付いたかのような顔をする。

 「人の名前を聞くのに、あたしから言わないのはルール違反だったね。あたしはレイン。こう見えてもメイド長だから偉いんだよ。さ、あたしも名乗ったんだからあんたの名前も教えておくれ。」

 名前…。そうか、街の人たちは決まった呼ばれ方をしていたけど、あれが名前なのかな。私の名前は、何だろう。確かお母さんは、ずっと私のことを「グズ」って呼んでたから、それが名前なのかな。でも、お母さんと離れてからは「ゴミ」だったから、今はこっちが名前なのかもしれない。名前って途中で変わるのかな。また首をかしげると、レインは不思議そうな顔をして私のことを見る。

 「なんで、首をかしげるんだい。名前を知らないわけないだろうし。あたしのことを警戒してるのかい。」

 怒らせちゃっただろうか。レインに向けて、そんなことないよって教えるために首を横に振る。

 「そうかい。それならいいんだけどね。それじゃ、名前を教えておくれ。」

 どうしよう。私、自分の名前わからないや。それを伝えるためにもう一度レインに向けて首を傾けてみる。私をじっと見つめるレインが、突然はっとしたように私に問いかけてくる。

 「あんた、まさか…。ねえ、あんた。おはようって言ってみな。」

 おはようって、どんな意味の言葉なんだろう。聞いたことないな。

 「聞いてたかい。おはようって言ってみるんだ。」

 首を横に振る。お母さんは私が何もしゃべれないことを本当に嫌っていた。私のことを生まれたときから欠陥品だったって、毎日そう言いながら私のことを叩いたりしていた。ふと、家にいたころの記憶がよみがえってくるようで涙が出てきてしまう。

 

 急にレインが私のことを腕の中に引きよせてきた。レイン、どうしたんだろう。レインもすごく悲しそうな顔をしている。

 「そういうことだったのかい。あんた今までよく頑張ってきたね。」

 私の頭を優しく撫でてくれるレインに、泣くのを我慢できなくなってしまった。

 「思いっきり泣くといいさ。あんたはそれだけつらい目にあってきたんだろう。でも、泣き終わったその時には、元気な顔を見せてくれなきゃ嫌だからね。止まない雨はないんだ。いつか絶対お日様がでてきて、大地を照らすんだ。あんただって同じさ。ずっと不幸が続くなんてそんなことありはしないんだ。いいかい。あんたはこれから自分でもびっくりするくらい幸せになる。あたしが保障するからね。」

 レインはそう言っている間もずっと、私の髪を優しく触り続けてくれている。こんな風に誰かに優しくしてもらえるなんて、私に触れてくれる日が来るなんて考えたこともなかった。

 「よし。この後はいっぱいご飯を食べるよ。幸せになるためには体力がいるんだ。あんたみたいな細い身体じゃ、たくさん押し寄せる幸運の波にさらわれちまうよ。」

 そういって、レインが持ってきてくれたご飯は、いままでで食べたこともないくらいおいしいものでいっぱいだった。

 


 コンコン。重厚な扉を控えめにノックする音が聞こえてくる。

 「レインでございます。」

 「ああ、入っていい。」

 失礼します、といって入ってきたのはメイド長で俺の乳母であるレインだった。俺が生まれて以来の付き合いの彼女は、俺が信頼できる人間の内の一人だ。

 「あの子供の様子はどうだ。」

 「その件についてお願いがあって参りました。」

 珍しくレインが、かしこまった口調で俺に相対する。

 「レオン王子は確か、あの子を使用人としてこの城に置く予定でしたね。」

 「ああ、そのつもりでいるが。なにか問題でもあるのか。」 

 レインからしたら、新参者が来るということで余計な手間がかかってしまうに違いない。迷惑になってしまうだろうか。しかし、この城でいきなり他人を保護して、なんの名目もなく置くとかなり面倒なことになりかねない。とはいえ、メイドを統括するレインが拒否するのであれば違う手立てが必要になる。

 「ええ、大きな問題がございます。……彼女はまず、失語症です。次に、彼女にはおそらく名前がありません。私が名前を聞いたときに不思議そうな顔を向けていたので、おそらく名前という概念すらなかったものと考えていいかと思います。」

 予想以上の言葉になにも返すことが出来なかった。あの日、少女の傷ついた目を見れば何かつらい状況にあったことは容易に想像できる。それでも、そこまでのものをあの小さな体が抱えていたとは思いもしなかったのだ。

 「ですので、レオン王子に申しあげます。彼女を使用人にすることはなりません。彼女がまず知るべきは、労働ではなく、一人の人間としての暖かい暮らしです。彼女は私の養子として、この城に身を寄せているという形で処理していただきます。」

 「王子の決定を覆す形での申入れがどんな意味を持つか分かっているのか。」

 「当然でございます。そして、私が愛し、育ててきた王子が私の申入れを聞き入れてくださることももちろん存じております。」

 自信満々の笑みをたたえ、こちらを見つめるレイン。彼女には全くかなわない。

 「そういうことなら、もちろん聞き入れよう。彼女を使用人にすることは取りやめることにする。ただし、レインの養子として取り扱うことは認めない。」

 「レオン様。一体なぜです。彼女をこの城におくためには、何かしらの理由が必要なことくらいお分かりでしょう。私の養子であれば、メイド長の子ということで使用人たちが彼女を軽んじることはないのです。彼女の今後のためを思えばこそ、そうすべきだというのに。」

 レインは憤慨して俺をまくし立ててくる。この説教癖は本当に困る。王子相手に実直に接してくる彼女は好ましいのだが。

 「それは理解している。しかし、貧民の子を養子にとったとなれば確実にメイド長であるお前の評価に影響が出るだろう。それは避けたい。」

 「ですが、王子…」

 「だから、彼女は名目上俺の婚約者という形で扱う。これで、影で何か言おうとも明示的に俺やあの子に対して敵意を示すような輩はそうそう出てこない。もしいれば不敬罪で牢獄行きになるだけだからな。婚約者ともなれば。 彼女は城で。何をせずとも丁重に扱われ、これまで以上の暮らしが手に入る。教育はレイン、お前に任せよう。」

 「なるほど。そのようなお考えであれば、私も異議はございません。」

 納得したように引き下がるレイン。全く、人の話を聞こうともせず、早とちりして暴走する癖は何とかして欲しいものだ。

 「王子、それではもう一つのお願いを申し上げます。…彼女に名を与えてやってください。親から愛されず、他人からも望まれてこなかった命に、幸せの未来と祈りを音にして刻んでやっていただきたく思います。」

 「そうか。…考えておこう。」

 そういうと、レインは部屋を後にしていった。名前か。街では犬や猫を飼うときに名前をつけると聞くが、俺はそういった経験がないから、名づけなどしたことがない。まして、これからの人生で一生背負っていくであろう名前を付けるとなると、その責任はとても重大なものに思える。 

 どうやら俺は、普段の公務では味わうことの無い苦悩で頭を抱えることになってしまったようだ。



 私がお城に拾ってもらってからひと月くらいたった。レインは私が絶対幸せになれるって言ってくれたけど、どうやらそれは本当だったみたいだ。

「あなたって、本当にお手伝いが上手なのね。私たち感激しちゃったわ。」

「本当に。こんな可愛らしいお手伝いさんがくるなんて、レオン様もわかってるじゃない。」

 私は、自分のやることがないときにはメイドさん達のお手伝いをしていた。レインは、もっと遊んだり自由に過ごしなさいって言ってくれるけど、こっちの方が私にはあってるもの。家にいたときも家事をしていたから、私を拾ってくれたお城の人に少しは恩返しできてると思う。なにより、こっちの人たちは私がすることを何だってすごく褒めて可愛がってくれるから。

 「あんたたち、またその子で遊んでるんだね。いやだよ、まったく。あんたも、少しは子供らしく走り回ったりおしよ。」

 「あら、人聞きが悪いですわメイド長。今は仕事がひと段落したから、この子と休憩していましたのよ。」

 「そうですわ、メイド長。この子がいてくれるとすごく仕事がはかどりますもの。いつもより休憩に充てられる時間が増えたって、何の問題もないでしょう。」

 私も、メイドさん達と一緒に動き回ったり、お話したりする時間は大好きだ。だから、レインに向かってうんうんって、頭を縦に振って見せる。

 「あんたが、そう言うんなら別にいいんだけどね。それでこの後は、そうだね。庭園でお茶がてら勉強でもするよ。少しづつ文字を覚えていけば、あんたと話したがってるやつらが泣いて喜ぶだろうからね。」

 「あら、メイド長こそ仕事そっちのけで、この子のことを構い倒しているじゃありませんの。もっとこの子との時間を平等にあててくださいませ。」

 「馬鹿言ってるんじゃないよ。私はレオン様から教育係を仰せつかってるんだから、当然じゃないか。それに、この子は私の子供も同然に育てるんだ。親が子と一緒に過ごそうとすることに文句あるのかい。」

 心外だとでも言わんばかりの表情で、メイドさん達とやり取りをするレイン。私のことを自分の子供みたいって言ってくれた。私も、レインが自分のお母さんになってくれるんだったら、本当にうれしい。字を覚えたら、レインにお母さんになってくれてありがとうって伝えられるといいなと思う。

 それと、私にはもう一人、一番にありがとうって言いたい人がいる。お城のみんながレオン様って慕ってる人。私のことを暗闇から拾い上げてくれて、暖かな場所に置いてくれた大切な人。レオン様は、この城の王子様ですごく忙しいみたいだから、今まで一度も会ったことがない。あの雨の時に見た、金色の光。すごく綺麗で太陽みたいだった。早く、会ってみたいな。

 

 「さ、今日はここまでだ。あんた、覚えが早いじゃないか。これならそんなにかからずに手紙のやり取りもできるようになるだろうね。」

 お花がいっぱい咲いている庭の中。レインと一緒に勉強するこの時間も大好きだ。ふと、目の端に映った黄色い花が気になった。この色、日に照らされるとレオン様の髪の色みたいに綺麗だな。この花のことをもっと知りたくて、指をさしてレインをじっと見つめる。

 「どうしたんだい。ああ、あんたも女の子だね。花が気になるのかい。これは、月桂樹の花だよ。小さくて綺麗だろう。昔の神話だと太陽神の花って言われてたみたいだね。」

 太陽の神様の花なんだ。ますます、レオン様みたい。これあげたら、喜んでくれるだろうか。そんな風に考えたら、この花がすごく欲しくなって思わずじっと見つめてしまう。

 「この花が欲しいのかい。少しくらいもらったってバチは当たらないか。あんたも普段よくお手伝いをしてくれるから、これはお駄賃にあたしがプレゼントしてやろう。」

 枝の一か所をそっと折って、レインが私にお花をくれる。誰かにプレゼントを渡すなんて、今まで考えたこともなかった。王子様がお花なんて些細なものを喜んでくれるのだろうか。受け取るのも煩わしいって思われたりしないのかな。でも、私の感謝の気持ちは絶対に伝えたいし。どうしよう…。

 「百面相なんかしてどうしたんだい。ご飯でも食べ過ぎたかい。」

 不思議そうに問いかけてくるレインに、首を横に振って見せながら、私は初めての感情を持て余すのだった。



 まったく、外交というのは本当に疲れる。我がフェルド国はこのあたり一帯を支配している強国ではあるが、近年になって、隣国のレヴィン国が覇権を取ろうとしてちょっかいを掛けられていた。父君も俺自身も、戦争などは絶対に起こしてはならないとの認識に立って行動している。上が戦争を決断することは極めて容易だ。書類にサインをして、軍を動かして宣戦布告をすればすべてが整う。いつもその陰で泣くのは民でしかない。国を支える宝である民に苦しみを与えることは上のすべきことではない。だからこそ、こうして毎日のようにレヴィン国の奴らと顔を合わせて腹を探り合っている。王子たる者の義務と心得ている。…心得ているのだが、さすがにこうも連日続くのは耐えられないものがあるな。

 「レオン様、ずっと探していたんですよ。いったいどこをほっつき歩いていたんですか。」

 「レインか。今日はさすがに勘弁してくれないか。最近は公務が詰まっているから俺も疲れているんだ。」

 「そんな疲れは一瞬にして吹き飛ばして差し上げます。さ、早く参りますよ。」

 何事だろうか。鼻息の荒いレインを前にして、俺はただ引きずられながら歩くしかなかった。

 

 5分ほど城の中を歩いたところで、俺たちは目的の場所にたどり着いたようだった。

 「ここは、食堂か。なぜわざわざこんなところに俺を連れてくる必要があるんだ。」

 「そのようにご不満な顔をなさらないでくださいませ。この中に入ればきっと、レオン様は私にひれ伏して感謝するに違いありません。」

 そんな風に言われると、ますます不穏な感じしかしないのだが。思わず剣の柄に手を掛けながら細心の注意を払って扉を開けた。

 

 月桂樹の花が枯れてしまう前に、なんとかレオン様に感謝の気持ちを伝えたい。そうは言っても、レオン様はお仕事がすごく忙しいみたいでお城にも全然戻ってきていないみたいだ。

 「あんた、最近その花ばっかりじっと見てるね。そんなに気に入ったのかい。」

 この花が好きなことは間違いないから、レインに向かって首を縦に振る、

 「にしては、冴えない顔をしているじゃないか。あたしにできることがあるなら協力するから言ってみておくれ。」

 えっと、どうしたらいいんだろう。レオン様に会いたいなんて、私から言うのはおこがましい気がする。それに、まだ字をちゃんと習っていないから紙に書いて伝えることもできないし。そういえば…。ふと、勉強の時間に使っていた本を思い出す。確か国の歴史を勉強するときに使ったやつはレオン様の名前も載っていたはず。「王家の歴史」と金糸で刺繍がある本を広げて、レオン様の名前をさす。

 「それは、王家の家系図だね。レオン様がどうかしたのかい。」

 そう問いかけられて、ゆっくりと月桂樹の花に目をやる。そのあとで、またレオン様の名前に指を滑らせる。

 「もしかして、レオン様にその花を渡したいのかい。」

 レインは気づいてくれたみたいだ。言葉が話せなくてもこうして私の言いたいことをくみ上げてくれる。レインは本当にいい人だ。言いたいことが通じて、嬉しくなったのが表情にでたのだろうか。レインもなんだか嬉しそうにしている。

 「ああ、あんたって子はなんでそんなに可愛いんだい。その健気さにレオン様は間違いなくノックアウトだよ。わかったよ。このメイド長レインにすべて任せておくれ。首に鎖つないででもあんたと王子を引き合わせてやるからね。不敬罪なんてクソ食らえさ。ちょっとあんたたち、聞いておくれ…。」

 「…まあ、なんて素敵なお願い事なんでしょう。メイド長、どうぞお任せくださいまし。私たち一丸となって最高の逢瀬を演出いたしますわ。」

 …嬉しそう、であってるよね。レインはものすごい速さでしゃべったかと思えば、扉を壊しそうな勢いで廊下のメイドさん達を捕まえに行った。なんだっけ、この前本で見た、闘牛ってやつに似てた。メイドさん達の叫びが扉越しに聞こえてきた気もするけど、私なんか駄目なことしちゃったのかな。

 

 あの時のやり取りがまさか、こんな形で実現するとは思っていなかった。レインたちはレオン様の帰ってくる日を調べつくして(従者の人がすごくぐったりしてたのはどうしてだろう。)食堂でお茶会の準備をばっちり整えていた。こんな風にしっかり用意されてしまうと、なんだか私も緊張してくる。レオン様と会うのはあの日以来なわけだし。

 「レオン様、お帰りなさいませ。」

メイドさん達が一斉に頭を下げる。どう振る舞っていいかわからないから、とりあえず私もメイドさん達と一緒に頭を下げる。

 「これは、茶会か。今日のは随分と趣向を凝らしたものだな。部屋の装飾など普段あまりしないだろう。」

 「それはもちろんでございます。何を隠そう今日この日は、あの子がレオン様の労をねぎらいたいと、たっての希望で開催する運びになったのでございますから。」

 私、そこまでいってないよ。思わずあたふたしてしまう私のことを、レオン様はじっと見つめてくる。あの時と変わらない金色の光。やっぱりこの人は太陽みたいな人だ。

 「ほら、そこで固まってたら駄目じゃないか。あんたはレオン様にプレゼントを渡すんだろ。」


 バシッと背中を叩かれて、つんのめりながらレオン様の前に出る。彼の目を見つめているといろんな想いが駆け巡ってくるようだった。生まれてからずっと、私は生きることをあきらめていた。こんなつらい思いをするためだけに、なんで私に命を与えたのかと神様をずっと恨んでた。そんな私をレオン様は救ってくれた。どんなに感謝してもしきれない。この強い想いはきっと、誰にも理解できないと思う。それでも、ほんのひとひらでもいいから伝わってほしい。

 「―っ。……ぁ。」

 どうか、たった一言でいい。この喉がつぶれてしまったとしても、最初で最後に創り出す音がレオン様への感謝の気持ちなら。きっと私は、今まで生きてきた中で一番幸せだから。

 「ゆっくりでいい。無理せず、どんなに時間がかかってもいい。お前の声を俺に聴かせてほしい。」

 レオン様がそっと、私の髪に触れながら声をかけてくれる。

 「……っ、……。」


 ―どうか、私の声をレオン様に。―


 

 「……れ、オ。 あり、…っとう。」

 うまく言えなかった。でも、月桂樹の花と一緒に私の声を受け取ったレオン様は、本当に優しい笑顔で私のことを見つめてくれていた。


 「そうか。お前はいい子なのだな。感謝の気持ちを素直に表現できることは本当に美しいことだ。レオと呼ばれるのも悪くない。他の者はそういう風に呼ばないからな。特別な親しみを感じられる。」

 あの透き通った声を、二度と忘れることはないだろう。自分をじっと見つめ、一生懸命に感謝の想いを伝えようとするその姿は何よりも俺の心を惹きつけた。

自然と表情が緩んでいくのを感じずにはいられない。こんな風に笑ったのはいつ以来だろうか。周囲をみれば、レインは号泣しているし、メイドたちも泣き笑いのひどい表情をしている。なんて穏やかで幸せな光景だろうか。 そうか…、それならば。

 「お前は俺達にひと時の幸せをくれた。だから俺からも幸せのお返しをしたい。許してくれるか。」

 「れ…お。」

 「 〝ルミナ”これが今日からお前の名だ。ラテン語で星の光という意味だ。周りを優しく照らし、見たものを温かい気持ちにする。お前にぴったりだろう。」

 そう言うとルミナは、いっぱいの笑顔を浮かべながら首を何度も縦に振る。彼女がこの城に来てからは、城の雰囲気が明るくなったと報告を受けた。にこにこと笑顔でメイドの手伝いをするもんだから、城中の使用人が彼女のことを可愛がっているようだ。ルミナはこれからもきっと、皆のことをその輝きで包んでくれることだろう。願わくば、自分にとっても彼女の輝きが道しるべになっていけばいい。レインには後でひれ伏して感謝の意を示さなければならないな。柄にもなくそんなことを考えてしまう午後のひと時だった。


 

 あのお茶会以来、レオは公務の合間を縫って私の部屋に遊びに来てくれるようになった。

 「ルミナ、お前は菓子が好きだったな。クッキーは食べたことがあったか。」

 「え、と。まだない、よ。」

 「そうか。では食べてみるといい。城下で人気の店のものらしい。俺は甘いものは食べるが、たくさん食べるというほどでもないからな。」

 そっか。わざわざ持ってきてくれたんだ。食べてみるとさくさくしてて、甘くておいしいと思った。この前食べた、チョコレートってのもおいしかったけどこれも好きだな。

 「れおもいっしょ、たべる。」

 「いや、俺は…。ああ。貰うとしよう。」

 同じものを食べて笑いあえる。レオとこんな風に過ごす時間は本当に楽しくて、あっという間に終わってしまう。できることなら、もっと長く、もっと近くで一緒に過ごせたらいいのに。そんな風に思っていると、急に胸がキュってした気がする。

 「どうかしたか、ルミナ。固まっているぞ。」

 熱でも出たか、と不思議そうに近づいてくるレオのことを見てると、もっと胸がキュってしてきた。顔も熱くなってきた気がする。私どうしちゃったんだろう。こんな感じは初めてでどうしていいかわからない。

 「本当にどうしたんだ。医者を呼んで見せなければいけないか。」

 「…いい。だいじょぶ。」

 何とかレオに大丈夫だと告げると、納得してはいなそうだったけど、それ以上は追求しないでいてくれた。


 知らないことはレインに訊けばなんでも教えてくれる。それが、このお城で生活してからの私の中での常識だ。勉強の時間が終わってから、レインにさっき感じたことをお話してみると、レインは頬を紅潮させた。

 「あんた、この前までは何も知らない子供だと思ってたら、もう一人前のレディになったのかい。あたしは複雑だよ。もっと手のかかるままでいて欲しい気持ちもあるのに、あんたに想い人の一人や二人、いや一人で十分だね。とにかく恋心を抱く日が来るまでになるなんてね。」

 恋心。それが私が変になった原因らしい。

 「こい、ごころ、たいへん。むね、きゅってする。」

 「ああ、そうだろう。そうだろう。なんてったって初恋だからね。そりゃ甘酸っぱい気持ちも溢れるってもんさ。こんな可愛い子が好きって言ってくれるんだ。レオン様も隅におけないったらないよ。」

 すき…。私が、レオのことを好き。自分の感情の正体に気づいて、思わず目の前が真っ暗になるようだった。

 「ルミナ。一体どうしちまったんだい。急に顔色が悪くなっちまったじゃないか。風邪でもひいたなら早く休まなきゃだめだよ。」

 「ちが…。」 

 「ん、もう一回言っておくれ。」

 「すき、ちが、う。」

 「なに言ってるんだい。照れることはないんだよ。」

 「ちがう。れお、すきはだめ。」

 「否定することなんて、…ちょっと、泣かないでおくれよ。どうしちまったんだい。」

 レオは私なんかが好きになっていい人じゃない。だってレオは優しくて、みんなに好かれてて、そんな太陽みたいな人。私に居場所をくれて、言葉をくれて、名前をくれて、好きって気持ちを与えてくれた人。私は何も持ってない。レオは私に色んなものをくれたのに、私は何にもレオにあげられない。お母さんに捨てられて、知らない人に売られて、奴隷って身分で働かされてきた。体は傷だらけだし、私のことを嫌いな人はいっぱいいるし、何か取り柄があるわけじゃない。こんな私はきっと、周りの人と違って普通じゃない。そんな普通に生きてこれなかった私の気持ちにレオを巻き込むなんて許されないよ。レオの隣に立つべきなのは、普通の幸せを知ってる別の人。苦しい気持ちが抑えきれなくて、それが涙になってとめどなく溢れてくる。

 初めての好きを自覚したその瞬間から、感じたこともない苦しみが始まるなんて。神様はやっぱりひどいのかもしれない。



 最近、ルミナの様子がおかしい。前は俺が部屋に来ると、目を輝かせながらこちらに駆け寄ってきたこともしばしばだった。小動物を彷彿とさせるような、感情表現豊かな姿が可愛らしくて、思わず彼女の部屋に通う頻度が増えてしまい、レインにレディの部屋にやたらと来るんじゃないと叱られるほどだった。それが、最近では表情が色あせてしまったように感じる。俺と目も合わせてくれようとしなくなったので、何か自分が気に入らないことをしてしまったのかと考えを巡らせてもみたのだが、いかんせん自覚がないので解決の糸口が見えていないというのが現状だ。

 「…聞いていらっしゃるのですか、レオン王子。例の婚約者が貧民の出自だというのはどういうことかと聞いているのです。」

 「その件については何度も説明しているだろう。俺は自分が選んだ者と婚約すると決めていた。彼女が自分にとってベストなパートナーだというまで。身分など形式的な区別に心まで縛られるなど馬鹿らしい。」

 そしてたった今、そのルミナの処遇についての会議が開かれている最中だった。形式的には俺の婚約者ということにして、城での居場所を確保したところまでは良かったものの、城内の保守的な一派はそれをよしとせず、こうして考えを改めるように迫ってくる。

 「よろしいですか。我が国では代々貴族出身のしかるべき身分を持った方を、婚約者として受け入れてきたのでございます。それをあんな世間知らずの娘など。しかも、レオン様においては一向に婚約の儀も行おうとしない。身持ちを固めるようには思われないのですが、本気で彼女と婚約する気はおありなのですか。」

 「それはもちろんだ。当人の気持ちが確かなのであれば、手順にこだわる必要はないだろう。ましてルミナはこの城に来たばかり。慣れない環境で頑張っているのだ。もう少し時期を置いてからでも構うまい。」

 加えての問題は、名目上婚約者ということにしていることをルミナに伏せているということもある。肩書きだけとはいえ、彼女にプレッシャーをかけたくなかったし、本人の気持ちも聞かずに婚約者だと宣言するのもためらいがあったからだ。しかし、そろそろ限界がきているのかもしれない。王族の婚約ともなると、執るべき式や手続きなどがあり、これらを保留にし続けるということが難しくなっている。

 「いずれにせよ、彼女を私のもとに置くという確固たる事実に変わりはない。この件についての手出しは無用だ。」

  この言葉は彼女を守るための義務感か、それとも自分の願望の発露だったのか。


 「お疲れさまでございました。レオン様、本日はいつにもまして長い会議だったように思われますが。」

 「そうだな。大臣が日に日にうるさくてかなわない。奴らは自分の子を王家に嫁がせて権力をつかみたいのだろう。」

 豪奢に着飾って、ただ澄ましているだけの大臣の娘達に心など動くものか。自分の思っていることを体いっぱいに表現してくれる方が、接していて気持ちがいいに決まっている。何をするでもないささやかなひと時を、笑いあって過ごせる者と居る方が幸せなのは自明ではないだろうか。

 「レオン様が今、何を考えているか教えて差し上げましょうか。」

 「いや、遠慮しておこう。お前のその表情から察するに、俺には分が悪いようだからな。」

 「そのよう表情をなさるようになったのは、彼女の影響でしょうかしら。」

 そうだろうか。いや、自覚がないだけでそうなのだろうな。周りからもよく表情が柔らかくなったと言われるようになった。王族として常に重圧に耐えながら生きてきた。その緊張を溶かしてくれ、俺の生活に楽しみを与えてくれたのはあの空色でしかない。あの子がもし、名実共に俺といることを望んでくれたのなら…。

 「そういえば、最近ルミナの元気がないように見えるが。何か心当たりはあるか。」

 「それは…。あるにはあります。」

 歯切れが悪いな。レインの性格からして、このような言い方をするということは俺に対して何か隠したいことがあるに違いない。

 「そうか。ではそれを聞かせてもらおう。」

 「その前に、一つお伺いいたします。レオン様はルミナのことをどのようにお考えですか。」

 随分と急に切り込んできたものだ。これまでずっと、心のどこかにあったものを形にするときが来たのだろうか。俺は、ルミナのことをどう思っているのか。

 「あの子に対して単に同情しているだけであれば、人の心の内を知ろうとする真似はおやめくださいませ。あの子に傾けるべき情は憐みではないのです。」

 「俺は…。ルミナのことを大切にしたいと思っている。確かに最初は、彼女の悲惨な生い立ちや傷を知って癒してやりたいと思っていたことは否定しない。だが、共に過ごしていくうちにそれだけではなくなった。あの子と過ごす時間が、自分にとってかけがえのないものに変わっていったのだ。失いたくない。」

 レインはまだその言葉には納得しきれていないようだ。憮然としたまま俺に続けて言葉を投げかける。

 「人の気持ちに永遠はございません。一時の感情に酔いしれるがままに、美しい言葉を並べ立てることはできましょう。しかし、その言葉が今この時には真実であったとしても、将来においては虚実となるのです。私は、ルミナにそのような言葉を与えることを許すわけにはまいりません。」

 真剣な眼差しを正面から受け止める。厳しい言葉はなんと重みをもって自分揺さぶるのか。だが、あの子の気持ちを知り、俺の気持ちを貫き通すためには、この強固な言葉を突き崩さなければならないだろう。

 「人の気持ちが未来永劫変わらないなどと、お前に向けて理想を語るつもりはない。なぜならそれは当然なのだ。これから先俺がルミナに抱くであろう想いは、今お前の目から見て不安に映るようなものから変わらぬはずがない。時を重ねるそのたびに遥かに強く、より確かな物へと変わっていくのだから。想いの変化を恐れる必要など全くない。」

 「いい方向へ向かう確証などございません。レオン様の言葉が甘言であることに変わりはありませんわ。」

 「あるいは、そうなのかもしれない。しかし、俺があの子を手放すのは彼女が人に愛されることを知った時だ。人に手放しで甘えることを知り、俺に向ける空色の輝きが他の誰かに向けられるときまで、彼女の変化が俺との未来を閉ざすその時まで、俺はルミナと共に在る。」

 たとえ終わりの見える未来であったとしても、ルミナと一緒ならば恐れることなく、その時まで堂々と歩いて見せよう。その覚悟を背負って、レインに対峙する。


 いったい、どれくらいの時が立っただろうか。緊張の汗が背中を流れるのを感じたとき、ついにレインが溜息をこぼしながら口を開いた。

 「いずれの未来を選ぶにせよ、彼女がいることは決定事項というわけですか。…いいでしょう。その覚悟、認めて差し上げます。」

 「本当に手厳しいことだ。恐れ入るよ。」

 若干の恨み言が出てしまうことも仕方ないだろう。自分をよく知る人間の前で、想い人への盛大な告白を聞かれたのだ。照れ隠しの一つや二つはさせてもらわなければ困る。

 「それは当然でしょう。周りはほとんど王子の味方です。求めずともその者たちが優しい言葉でも、激励の一言でも望むがままにかけてくださいます。人は、厳しい言葉ばかりかけられては心が折れてしまいます。その時は、せめて私だけでもうんと優しく導いて差し上げます。他方で、聞こえのいい言葉だけでは己が見ている道を盲信する危険があるのです。だからこそ、私は大勢の中の一人としてではなく、あえて厳しい言葉をかける者でありたいのです。一度でも立ち止まって、自分を見直す機会を持って欲しいですから。」

 「その厳しさが、人を遠ざけることになってもか。」

 「遠ざけることになっても、です。一度決めた道を走り続けたまま気づいたときには、戻れなくなり後悔している人間を私は知っています。これを知りながらも、嫌われることを恐れ、耳ざわりのいい言葉を与えるのは簡単でしょう。もちろん、真にその人を想ったうえで優しく後押しすることが必要なことも理解していますので、それ自体を否定は致しません。ですが私にとっては、厳しい選択を提示する必要も見えているのにあえて目をつぶることは、その人を裏切っているように感じてしまうのです。私にとって大切な人だからこそ、採りうる道はいずれのものでも平等に判断材料を提示されたうえで、自身の考える最良の決断を見抜く眼を持てるようになって欲しい。それが叶うのならば私自身の評価など、どうあろうと構わないのです。たとえそれで、私が冷酷だと周囲に嫌われて一人になろうとも。」

 なるほど。胆が据わっているな。さすが、一国の王子を育ててきただけはあるか。

 「それで、俺が盛大に想いの丈をぶちまけたんだ。ルミナの変化の原因を教えてもらおうか。」

 「あら、それとこれとは別です。知りたければ、ご自身でお確かめくださいませ。それだけの深い愛情をお持ちでしたら、私の言葉なくしては気づけないなどという、一国の王子がただのへたれ男だったなんて情けない顛末にはなりませんもの。私は安心して部屋に戻らせていただけるというものです。」

 そういうや否や、レインはご機嫌に去って行った。先ほどレインの人柄を評価したばかりだというのに、早速見直す必要が出てきたようだ。あの豪胆すぎるが故の厚かましさは、何とかしていただく必要がある。ひとまずは、今日話した内容についての禁言令を敷くことが先決だろうと決意を新たにした。



 暗い気持ちを抱えていても時は過ぎていく。絶望を知ったあの日から前に進んでいないのは私だけだった。

 「さみし、い。」

 私はできるだけレオと会うことを避けていた。レオの声を聞いたり、目が合ったりすると前よりもっと胸が苦しくなるから。レオが他のメイドさんとかと話しているのを見るのもすごくもやもやしたりもする。こんな感情をレオに見せるわけにはいかなくて、レインに頼んで部屋にはレオが入れないようにしてもらっていた。でも、好きな人に会うことが出来ないと、それはそれで寂しくて苦しいんだっていうのも痛いほど理解できた。これ以上好きになるのがつらいから、遠ざけて平気になる日が来るのを待つのと、心を殺してでもそばにいて、誰か他の人がレオの一番になるのを陰で泣きながら、笑顔で見守るのとどちらが幸せだといえるのだろうか。

 「まだ、元気がでないかい。どうしちまったんだろうねえ。アタシのお手製ドーナツを食ったら嫌でも笑うはずなんだけど。」

 気をつかって、私のことを構ってくれるレインには本当に悪いなと思う。私が早く気持ちを整理できれば、こんなに配慮してもらうことはないのに。感情が何かさえわからなかったあの時なら、私はみんなに心配なんてかけなかったはずだ。ここに来てから、表情を隠すことができなくなった。

 「ごめん、なさい。」

 「謝ることじゃないさ。心配できるのはそれだけ、あんたを近しく感じていることの証拠だからね。こうして心の距離を確認できる機会を持たせてもらえることに感謝してるくらいだよ。」

 私と、レオの距離はどれくらいだろうか。出会ってまだ時間も経ってないから、きっと他の人よりもずっと遠いのだろう。かといって、縮めることを望んでいるかと言われて頷くこともできないのだけど。

 

 コンコン。扉を誰かがノックする音が聞こえて思わず緊張する。レオが来たのだろうか。自分がいつまでもレオに対して可愛くない態度をとるから嫌われて追い出されるのかもしれない。そうしたら、お城にいることはできなくなる。次は、どこで生きていけばいいんだろう。

 「大臣閣下ではございませんか。一体どのようなご用件でしたでしょうか。」

 レインの驚いたような声に、何が起きたのだろうと顔を向ける。すごく豪華な衣装を身にまとった、恰幅のいい男の人がこちらに向かってくるのが見えた。大臣って呼ばれてたから、偉い人なのだろう。レインが、国は王と大臣が協働して取りまとめていると授業で教えてくれたことを思い出した。

 「なるほど、この娘か。確かに、見目は悪くはない。しかし、いかんせん知性を感じないな。」

 こっちを観察するような視線は敵意に満ちている。すごく、嫌な感じがする。

 「率直に言おう。貴様がこの城にいることは正常ではない。即刻出て行かれるがよい。」

 「大臣閣下、お言葉ですが申し上げます。ルミナはレオン王子が直々に滞在を許可しているお方。そのようなお振舞は許されておりません。」

 レインが私を背中に庇いながら、大臣と対峙する。

 「一使用人の分際で、この私に盾つくとは愚かしいことだ。これは王子のためになることであり、責められるいわれなどない。そんなことより、いいか小娘。お前のような身分の卑しい人間がこの城に来てから、王子への風あたりがきつくなっていることをお前は知っているのか。」

 「しらな、い。」

 知らなかった。私の存在がレオンにとっての迷惑になっているなんて。

 「そうだろう。王子の庇護のもとに匿われ、ただ何もせず部屋にいるだけの貴様は、当然何も知るわけあるまい。」

 レインを押しのけてきた大臣に髪を思いっきりつかまれる。そんな痛みは正直どうでもよかった。レオにとって私はいない方がいい存在だと、その事実を突き付けられたことがなによりも辛い。

 「そんな貴様に一つだけ教えてやろう。唯一レオン様の名誉を回復する方法を。」

 「おしえて、レオのため、なら」

 なんだってする、という言葉は涙で声が詰まって出てこなかった。

 「多少は聞き分けがよくて安心した。方法はただ一つ。即刻この場からいなくなることだ。新たな生活場所は私が手配してやろう。感謝するといい。分相応の生活を、私の屋敷の地下牢につないで過ごさせてやるのだから。」

 きっと、この人に連れて行かれたら私はあの頃に戻るのだろう。もしかしたら、もっと辛い目にあうのかもしれない。…それも良いかな。私がいなくなることがレオにとって一番いいことなら、私は喜んでその道を選ぶ。レオをあるべき状況に戻してあげる。これが、私がレオにしてあげられる唯一のことだから。今までずっと一人だった。孤独だって、寂しいのだって、もう慣れてる。何も言わずにうなだれる私を見た大臣が、笑みを深めたことが気配でわかる。

 「さて行こうではないか。貴様のような人間がこの城にいることは我慢ならないからな。」

 

 「俺から言わせてもらうならば、貴様のような下種な人間がこの城にいたという事実が我慢ならないのだが。」

 「王様は人を信じすぎるところがおありですから。ルミナの価値が理解できない愚鈍な感性しかもたない人間は、とっとと野に捨て置くべきだというのに。」

 顔を上げれば、そこにはレオとレインの二人が立っていた。レインはいつの間にかレオを呼びに行ったのだろう。レオは今まで見たことないような険しい顔で大臣を睨み付けた後、すぐに私のもとに駆け寄ってきてくれた。

 「すまない。この俺が居ながらにしてお前に嫌な思いをさせてしまったようだ。」

 「へいき。れお、まもって、くれたから。」

 「もちろんだ。いつ何時、お前が俺のことを求めてくれる限り必ず守ってやると誓おう。」

 「…王子、あなたも堕ちたものですな。そのような娘に心を奪われ周りが見えなくなっている。よく考えるべきです。ここで、私のなすべきことを受け入れて保守派大臣の一派と融和することが最善だと思われませんかな。あなたの状況がよくないことはあなた自身がご存じのはずだ。」

 やれやれ、と首を振りながらレオは言葉を続ける。 

 「まず第一に、今の俺はルミナのことしか見えていないことは事実だ。第二に、彼女抜きの状況において最善は存在しない。ゆえに、原状を変えるつもりはさらさらない。第三に、俺には下種な連中と仲良しごっこをする趣味はない。」

レオは冷たく言い放つ。大臣は憤慨したのか真っ赤になって怒りをあらわにする。

 「ちなみにですが、ルミナは城中の使用人が可愛がっています。彼女を追いだせば即日、使用人全員が職務を放棄させていただきますわ。上の人間だけでこの城が機能するとでもお思いですか。」

 「ああ、メイド長。それは職権濫用に近い脅迫ではないか。しかしそれは本当に困る。実に困るというものだ。ならばルミナは、この城に望む限りいてもらわねばなるまい。ルミナはどう思う。俺のもとにいてくれるか。」

その場で悔しそうににらみつけてくる大臣を無視したまま、目で問いかけてくるレオを見つめかえす。レオは何を言っているんだろう。私しか見えてないとか、私がいた方がいいなんてそんなこと、あるはずないのに…。

 「れお、いっしょだめ。」

 「なぜ、そう思う。俺のことは好かないだろうか。」

 そんなはずない。レオが私のことを嫌いになることはあっても、その逆はあり得ない。首を力いっぱい横に振って否定する。

 「わたし、ふつうじゃない、よ。」

 「そもそも普通とはだれが決めるのか。周りの決めた普通に自分の一番の幸せがあるとは限らないと俺は思うがな。」 

 「わたし、なんも、もってない。れお、にあげれない。」

 「気づいていないだけだ。お前には大切なものをいっぱいもらっている。もしそれでも気にするというのなら、将来をかけてお前に教えていきたい。幸せは共に掴むものなのだ。どちらか一方だけがあげたりもらったりと頑張るだけのものではないはずだ。」

 絡みついた糸を一本ずつ解いていくように、レオは私に言葉をかけ続ける。

 「れお、たいへんきいた。めいわく。」

 「その件については、もう解決するだろう。目の前の馬鹿を処分すれば、残りの連中もすぐお前に仇なすことの意味を理解するさ。それに…、好きな子のために何かを背負うことができるのは、むしろ歓迎だ。」

 いつの間にか、私はレオの腕の中にいた。こんな風に誰かにぎゅってしてもらえることをずっと望んでいた。でも、もしこの手を取ってしまえば、私はレオなしで生きていくことはできなくなる。この暖かさに甘える心地よさを知ってしまったらもう戻れなくなってしまう。欲しかったものが目の前にあるのに、それに手を伸ばすことがすごく怖い。

 「今、ここで大事なのはお前の気持ちだ。正直に教えてほしい。身分も、周りの目も、自分への負い目も、それらを全て抜きにして考えたときにルミナは誰と居ることを望むのだ。俺は、その望みをかなえてやりたい。」

 「わたし、は…。」

 何も考えないで、ただ一心に自分の気持ちを伝えることが出来るなら。

 「す…き。」

 「そうか。俺も好きだよ。」

 「すき、れお。すき。」

 「ああ、わかっている。」

 好き…。初めて伝える言葉は涙と一緒にこぼれてくる。言いたいけど、言えなかった気持ち。伝えても、届くことなんかないと思ってた言葉。それを目の前の人は笑って受け止めてくれた。自分も同じだと伝えてくれた。起きるはずのない奇跡がそこにある。嬉しくて、なんだか恥ずかしくもあって自分を包んでくれる身体にぎゅっと力をこめてしがみついた。



 あのころから一体どれくらいたっただろうか。レオと想いが通じてから私は幸せいっぱいだ。いつの時か、自分の境遇を嘆いて絶望していた時に、神様に祈ったことがあったっけ。神様、私の願いを叶えてくれてありがとうございました。

 「ルミナ、こんなところにいたのか。公務が終わった恋人を置いて自分だけ庭の散歩なんてつれないな。」

 「だって、れおはつかれてるでしょ。」

 「だからこそ、空いている時間は少しでも好きな子と一緒に過ごしたいと言っているではないか。もっと俺にはわがままを言って欲しいのだがな。」

すねたように肩を抱き寄せてくる。恋人のレオは王子様の時よりちょっとくっつきたがりだ。誰かを想うことはあっても、想われることなんかないと思ってたから、こういう雰囲気になるとすごく気恥ずかしい。すごく恥ずかしいけど、レオが何気なく自分に触れてくれる瞬間はそれ以上に大好きだったりする。

「なら、こんどけーき食べたい。」

「ケーキか。それなら今度、とびきり美味しいのを食べさせてやろう。」

「ありがと、れお。だいすき。」


 ずっと、これからも一人で生きていくんだと思ってた。幸せが何かを知らないまま終わるんだと諦めてた。でも、もう大丈夫。私はこれから先ずっと、レオと一緒にいる限り笑顔でいられる。


だって本に書いてあったもの。星の光は、太陽の輝きをもらって煌めいているんだって。



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