三日目 一バン安心の宿 前編 (7)
僕らは、故あって、大道屋敷の座敷に座す。
しばらくすると、この屋敷の主がやってくる。
――ダンダンダン。
床を叩く音が聞こえる。それは徐々に近づいてくる。
すぐ眼の前で、音は止み、恰幅のよい肥えた体で、柔和な顔立ちの男が僕らを迎えた。
中年をむかえるその顔には満面の笑み。次には、そいつ、偉い勢いで喋り出した。
「紬はーん! ご無事でっしゃろか。えらい、心配しましたでぇ。都に戻るっちゅうことで、此方に寄る連絡が来ましたやろ。まだか、まだかと気付いたら夕餉の刻やないですか。お食事すんでおりますのや? まだ、でっしゃろ。すぐ、支度させますさかい。ああ、とりあえず、寝る処に案内しますわ」
「すまないですな」
「かまいまへん。あ、今日はお二人一緒の部屋でも、よろしいか。ちゅうか、其処しかないですわ」
「構いませぬ」
「ほな、こちらへ。ああ、紹介がまだでしたな。わて、大道数清というものですわ」
「岩人と申します。お世話になります」
僕は、そいつに頭を下げた。大道数清は、満面の笑みで歓迎の意を表した。
「ささ、こちらへ」
大道数清は、再び床を叩く。我々は先導する彼の、すぐ後ろを忍ぶ。
「此処ですわ。今日つかえるのはこの部屋だけでおます」
数清は、腕を命一杯つかい部屋を示す。
「ありがとうございましょうや」
「では、食事運ばせますわ。わてはこれで」
お辞儀をして、再び床を叩き、来た路を戻っていく。
案内された、その部屋は襖で仕切られる様になっていた。
部屋はものすごく殺風景で何も無い。ただ、手入れはされており、埃一つない。
僕が背中の荷を降ろして部屋の隅に放てば、紬も、荷を部屋の隅に置く。
各々の、陣取りが完了したところで、僕は切り出した。
「襲ってきた連中は、一体何者なのですか?」
ここにくる道中であった事を思う。
「恐らく、としか云えませんが。私の命が目的でしょうや」
「――穏やかでない。心当たりが?」
「ええ。少し、長い話になりますや。聞きますかや?」
こくこくと頷く。身体も震える。
「――では」
「御食事お持ち致しました」
老婆の声。
振り向けば老婆と若い女中が三人。
おもむろに戸を開けて部屋に入ってくる。
磯の良い香りがした。
――ぐぅ
僕の腹が鳴く。
「まず、食べましょうかや」
「うん。冷めるのも勿体無い」
僕が、女中が手に持つ鍋やら飯櫃に眼を奪われている様をみて、紬はくすくすと笑う。釣られて、女中たちも笑う。
老婆と女中は、未だ熱気漂う鍋・飯櫃・椀、そして御膳を部屋に持ち込んだ。
「宜しいか」
僕が頷くと、部屋の中央に御膳を備える。
膳には、食器と漬物、刺身が並ぶ大皿が載った。
床には、鍋敷きと鍋が置かれる。
一人は、茶碗に飯をよそう。一人は、大椀に汁物を盛る。
それら一連の動作は全く無駄の無い動きで速やかに行われた。
「鯛の刺身。魚貝の汁物とお漬物でございます」
魚貝の、汁物の中には、海老・貝・白身魚が浸っていおり、良い磯の香りがした。
余りに香るもので、鼻をひくつかせた。
「忙しいでしょうや。後は、私らで済ませましょうや」
「然様でございますか。どうぞ、ごゆるりと。御食事が済んだらそれら隅みなんどへ」
「承知しましたや」
老婆と女中は部屋を去っていった。
――戴きます
僕は、汁物の前で香りを楽しむとそれを、ぐいと飲む。
――美味い。
次に海老を手でつまみ、頭から殻ごと喰う。
――パリパリポリ。
貝は歯が欠けそうであるから、中身だけを平らげ、残りは一気に口の中に放り込む。
「んー」
満足な叫び声を上げる。
「御代わり、よそいましょうかや」
紬は掌を差し出す。
「よろしく」
紬の手をとり握手して、もう片方の手で皿を渡してお願いする。
彼女は、鍋の残りを全て浚い椀に並々と盛ってくれた。
良い奴だ。
僕は、上機嫌になって、良く煮込まれた海老を口に放る。
一匹、二匹と次々と口中におさまってゆく。
――美味い。すごく美味い。
旨みが口中に広がって、お腹もかなり満たされた。口中の味に余韻がのこる内に、ご飯をかきこむ。非常に満足であった。自然、身体が温まってくるというものだ。
――半刻後。
僕はと云えば、膳を部屋の隅に、いそいそと片していた。
鍋・櫃の中は全て、我々に喰らい尽くされていた。
八割は僕だが。
紬は、窓際に足を伸ばして座り、外を眺めている。
膳やらを隅に避け終え、正座なんどして茶をすする。
「ご苦労様でしょうや」
気が付けば、紬は僕のすぐ傍らまで来ていた。
「少し。昔話をしましょうや」
僕は居住まいを正して、聞く姿勢――。
それは、紬が暮らしていた「檻」と呼ばれる、あの不動の里ができる以前の御話
でありました。
夜が更けても話は続くが、途中、幾度と眠気に襲われた。
踏ん張った。踏ん張ったが、気がついたら眠りに落ちていた。
彼女が、全て話終えた後であったとは思う。
三月三日改稿