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機械仕掛けの世界  作者: 下弦 鴉
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12、悲しみの踊子

 見慣れた四角い部屋。白く長い廊下は、夕陽に照らされ、ほのかに紅く染まっている。やけに静かなそこには、ただ外の風の音が聞こえる。青葉を揺らす、心地よい風だ。

 その光景に、皐氣は見覚えがあった。いつも、栄井達と通った場所なのだから。でも、皐氣は、何故ここにいるのか分からなかった。ふと見回してみれば、そこは、教室の中で、皐氣は机の上に座っていたのだ。視線を前に戻すと、意外な人物が急に現れ、彼は言葉を失った。そこには誰もいなかったはずだ。彼はもう、生きていないはずだ。なのに、何故?

 「さあ、帰ろう。翠」

 懐かしい声が、そう呼びかける。でも、皐氣は返事が出来ない。アリィのように、声がでない訳じゃない。ただ、言葉が浮かばなかった。

 「どうしたんだよ、僕の顔に何か付いてる?」

 優しげに綻ぶ頬。どこか悲しげだが、明るいキャラメル色の瞳。どこからどう見ても、栄井陽向だった。

 「何なんだよ」

 ふくれっ面になる栄井。本当に生きているかのようだ。

 「お前、死んだんじゃ……」

 「死んだ?僕が?」

 確認するように聞く彼に、皐氣は固まった表情のまま頷く。すると、栄井は声を上げて笑った。楽しそうだった。

 「何の冗談だよ。面白いな、翠って」

 腹を抱えながら、いつも通りに笑うものだから、皐氣も思わず笑ってしまった。きっと、こちらが現実で、皐氣が今まで見てきたものは夢だったのだ。そう思い始めた皐氣は、馬鹿な夢を見たな、と笑った。

 「ホラ、帰ろうぜ」

 手提げバックを背負い、栄井は笑いながらそう言った。本当に変わらない、優しい響きの声だった。

 「ああ……」

 皐氣は、栄井の隣に立ち、共に歩き出した。廊下に出ると、あの時の記憶がよみがえる。アステレイアに呼ばれ、困惑した時の、夢の記憶。だが、夢の中の記憶のはずなのに、しつこく皐氣に付きまとう。思い出せ。そう言われているようだった。

 「どうした、翠。元気なくね?」

 「ん?そうか?気のせいじゃねぇの?」

 「本当にそうかな?」

 「お前は心配性すぎんだよ。ちったぁ、気を休めろよ」

 ぐしゃぐしゃに頭を掛かれた栄井は、皐氣に講義する。でも、とても楽しそうだった。皐氣も楽しかったが、心に詰まる蟠りが気になってしょうがなかった。何か、とても大切な事を忘れているような。忘れてはいけない、大切な事があったような。

 「翠ってさ、この世界をどう思う?」

 唐突に聞かれ、皐氣は固まった。急にそんな事を、栄井の口から聞くとは思っていなかったからだ。

 「この世界をどう思うかって?」

 「そう、この機械仕掛けの世界を。なぁ、翠はどう思う?」

 『機械仕掛けの世界』。その言葉が鍵だったかのように、一気に心の中の蟠りは消え、失くし掛けていた心の記憶がよみがえる。家の前で出会ったロボット。落とされて始めて見た、美しい国。地下帝国(アンダーグラウンド)。茜とアリィ。ババ様の占い。飛ばされて来た、神の領域。栄井との再会。登っていく階段。大切な友の死。そして―――。

 「どうしたんだよ、翠」

 「お前は、誰だ」

 「何言ってんだよ。僕に決まってるだろ?」

 そう言って、左胸に付いた名札を指差す。夕陽に照らされ、眩しく光った。

 「違う。お前は、陽向なんかじゃない」

 「……」

 「お前は、幻覚だ!」

 隣で微笑み続ける栄井から、皐氣は身を引いた。彼の顔にこびりついた笑顔は、本当の栄井のものとは違う。何故、気付かなかったのだろう。彼は、こんなに冷たい笑顔はしない事を。

 「なあ、翠。どうした?」

 「お前に、翠なんて呼ばれる筋合いはねぇよ」

 「酷い事言うなぁ、皐氣」

 冷たい声。優しさの欠片もない、残酷な響き。その声に、足は地面に縫い付けられたように動かなかった。動けない。これほど怖い事はなかった。

 「怖がる事なんてないさ。……覚えてる?皐氣。あの日の事を」

 その言葉と共に、町並みは歪み、形を変えていく。それは蜃気楼のように消えて、違う場所に移り変わっていた。小さな家の、前だった。その表札には、『皐氣』と彫られていた。

 「まさか、忘れてないよな。翠」

 栄井とは違う声に、そう呼ばれた。今、皐氣の目の前にいるのは、背の高い男だった。

 「忘れてないよな、翠」

 懐かしい遠い日の記憶が、皐氣の頭によみがえっていた。キャッチボールをしてくれた、優しくも厳しい父だった。その隣には、ポニーテールの母がいた。変わらずに華奢で、そこにいるだけで、その場が暖かくなる。温和な母。

 「翠、私の愛しい子」

 細い指が、皐氣の頬に触れる。とても冷たかった。だが、皐氣は声が出なかった。

 「翠。忘れていないだろ。父さん達が、殺された日を」

 皐氣は、はっと息を呑んだ。忘れるはずがない。だが、誰も知らない。覚えていない。彼の両親が、殺された日の記憶。彼だけが、覚えている記憶。

 「翠、返事は?」

 「……忘れてないか、ない」

 言葉を発した皐氣の声は、幼い日のものになっていた。思わず体中を動かし、見てみると、そこには両親が殺された日の彼が居た。背格好も、舌足らずな声も、全く同じだった。

 「どうした、翠。何を恐がっているんだ」

 「翠。恐くないわよ、母さんが傍にいるから」

 冷たい母に抱かれた皐氣は、その冷たさに心まで冷やされてしまいそうだった。震える事しか出来ず、逃げる事が出来なかった。思い出していたからだ。忘れようと思っていた記憶を。忘れたいと、願ってしまった記憶を。



                      *



 その日も空は、綺麗に晴れていた。もう梅雨の季節だというのに、全く雨の気配をさせていなかった。背伸びをして出窓から外を眺めていた少年は、とても嬉しそうに笑っていた。その脇に抱かれた犬のぬいぐるみも、心なしか笑って見える。それほど少年は、この日を楽しみにしていたのだ。

 「ホラ、翠。何やってるの?こっちに来なさい」

 名を呼ばれた少年は、声のする方へと駆けて行った。そこには、やんわりと笑う母の姿があった。つばの大きな帽子を被り、その手にピクニック用の大きなカバンを持っている。とても重そうだった。

 「お母さん。ボクがもってあげようか?」

 「あら、翠は優しいのね。でも、大丈夫よ。母さんはね、こう見えても力持ちだから」

 「そぉう?」

 「そうよ。……さあ、外で父さんが待ってるわ。早く行ってあげなくちゃね」

 「うん!」

 大きく頷いた翠に、母は楽しそうに笑っていた。

 靴を履いて、翠は元気よく外へ飛び出した。綺麗に晴れた空が、彼を迎えてくれた。その日の喜びを、空も祝福してくれているようだった。そう見えるのはきっと、翠の父は仕事が忙しく、家族で出かける時間など、ほとんどなかったからだろう。

 楽しい時間を過ごし、再び家に帰る頃。翠は車に揺られながら眠っていた。幸せそうな顔をして。車を無事に駐車場に止めると、父は翠を背負いおり、母は軽くなったカバンを持って外に出た。そして彼らは気付いた。家の様子がおかしい事に。外に見知らぬ車が止まっている。いつもなら、開いている二階のカーテンが閉ざされている。それに、階段の電気も消えていない。消し忘れかもしれないが、几帳面な母が、そんなミスをする訳がない。

 「父さん……」

 母は心配そうに、父に問いかけた。父は、翠を再び車に戻すと、玄関に向かって行った。その腕を、母は止めたが、父は大丈夫と笑ってドアノブに手を掛けた。いつもより冷たく感じるそれを、ゆっくりと引く。重いドアが開かれる。

 その刹那。

 銃声が鳴り響く。皐氣家に入り込んだ、強盗の発砲したものだった。まだ、門の所にいた母は無事だったが、父は即死だっただろう。白いタイルの敷き詰められた玄関に、血が染みていく。母は翠を連れて逃げようとしたが、強盗は、それを許さなかった。容赦なく母にも発砲すると、乗ってきた車で逃走した。

 しばらくして翠は、パトカーと、救急車のサイレンを目覚まし代わりに起こされた。まだ小さかった翠には、周りの状況が良く分からなかった。それでも、寝ぼけ眼で車の外に出ると、一気に覚醒した。生々しい血。玄関に倒れる父。道端に倒れる母。何をしているのか、翠には全く分からなかった。だが、そんな二人に近付こうとすると、一人の警察官に呼び止められてしまった。

 「僕、どこの子?」

 「お母さんと、お父さん、何してるの?」

 「僕は、ここの子なんだね?」

 「ボク、ずっと車の中で寝ちゃってたの。でね、パトカーさんとね、救急車さんの音が聞こえたからね、起きたの」

 「そうだったの?僕は、怪我してない?」

 「大丈夫だよ。ねえ、お母さんとお父さんはどうしたの?何で、あんな所で寝てるの?家の中で寝ないと、風邪引いちゃう」

 「……そうだね」

 それから警察官は何も言わずに、ただ翠の傍にいた。布を被されて運ばれていく二人を見ながら、翠は警察官の服を引っ張った。

 「ボクのお父さんたち、なんで布かぶせるの?どこに連れて行っちゃうの?」

 「……病院に、行くんだよ」

 「どうして?」

 「……」

 「ねえ、どうして?ボクのお母さんとお父さんだよ。おしえてよ」

 帽子を深く被って黙り込む警察官に痺れを切らして、翠は運ばれていく母に飛びついた。その拍子に剥がれ落ちた布が、血で紅く染まっていた。そして、虚ろな瞳が翠を見つめていた。恐かった。思わず悲鳴を上げた。そんな翠を、先ほどの警察官が抱き寄せた。

 「僕、落ち着いて聞くんだよ。君のお父さん達は亡くなったんだ」

 「なく……なった?」

 「起きない眠りに付いたんだ。どんなに大きな目覚まし時計を使っても、呼びかけても、起きないんだ」

 「そんな事ないよ!だって、二人ともお仕事があるから、絶対に起きるもの!」

 「どんな事があっても、もう起きないんだ。……死んじゃったんだよ」

 「死んでなんかない!お母さんとお父さんが、死んだなんてウソだ!だまされないぞ!!」

 「ウソじゃないんだよ……」

 「ウソだよ!!ウソだ!!死んだりなんか、しないもん!!お母さんたち、生きてるよ」

 そう言いつつも、翠の脳裏にはあの虚空な瞳がこびりついていた。優しさも何もない、冷たいガラス球。それが、恐かった。

 「死んでないよ……死んでない。お母さんたち……生きてるよ」


 それから一週間くらいたっても、ニュースにされる事もなく、翠に平穏は訪れていた。母方の叔母の家に預けられたはずなのに、元からそこにいた事になっている。翠を産んでからすぐ母は死んだ事になっており、父はもっと前に病死した事になっていた。そうじゃないと翠が言う度に、叔母は彼を病院へ連れて行った。病室で医者と二人きりになると必ず、翠はこう言われた。

 「忘れろ」

 そして、何やら怪しい注射器を取り出して、翠にさそうとするのだ。その度に逃げ出して、翠は「もう大丈夫」と言って、叔母達をごまかしていた。

 この事は、緋搗でさえ知らなかった。覚えていなかった。薄っすらと思い出しそうになると、いつも頭痛がして、何もかもを忘れてしまうのだった。

 そんな世界に疑問を抱き、翠は動いたのだ。



                    *



 「俺の記憶を、読んだな」

 呟く皐氣は、元の体に戻っていた。 

 「そうよ、貴方が一番苦しいと思ったところを抉ってあげたの」

 どこか遠くから、その声は聞こえた。

 「汚ねぇマネするな」

 「これが私の戦い方ですもの。さあ、次は何がいいかしら」

 響く声は、とても楽しそうだった。その声を聞きながら、皐氣はまだ震えていた。恐かった。久しぶりに見た母の表情が。久しぶりに触れた手が。震えを抑える為に握った拳は、爪が刺さって血が滲んできていた。

 「……貴方が一番恐い事は、忘れられる事みたいね」

 「なんだよ」

 「新しい『夢』を用意してあげたわ。楽しんでね」

 そして再び皐氣は、夢の中へ落とされていった。



                     *



 ぶつかり合う鋼に、こんなにも興奮した事があっただろうか。自分の分身のような奴と戦って、こんなに楽しいと感じるとは思わなかった。同じ強さ、同じ動き、同じ癖。その全てに、溯羅は歓喜していた。何故だか分からない。ただ、戦う事が、楽しいのかもしれない。

 「どうした、溯羅。やっと気付いたか?」

 「何にだよ」

 「殺す事の、楽しさに」

 厭らしく笑う自分の顔が、重なって見えた。そんなはずはないのだが、本当の自分と、ドールの自分が、ダブって見えたのだ。そんな事、ありえない事なのに。

 「いいんだぜ。認めろよ。お前は人を殺す事が、楽しくて楽しくて仕方ないんだろう?」

 「そんなこたぁねぇよ」

 「何故そう言い切れる。お前は、あいつらと関わらなければ、ずっと殺人兵器だ。いや、何の関係なしに、それはかわらねぇか」

 「何が言いたい」

 「お前は、伯爵様のお気に入りだ。だから伯爵様は、お前を壊したくはない」

 ぶつけていた刃を休めて、二人は向かい合った。

 「お前があいつらを裏切るのなら、喜んで迎えてやろうと、伯爵様は言っていらっしゃった」

 「俺に、また人殺しをしろと?」

 「そういう事だ。お前には簡単だろう?人を殺して殺して、今まで生きてきたんだからな」

 剣を下げて、ドールは続ける。

 「人殺しが、人殺しじゃなくなる方法なんてねぇんだ。くだらない希望を持っても、意味ないぜ。せっかくの体だ、うまく使わなくちゃな?」

 「上手く……使うねぇ」

 握った剣をもう一度きつく握り、溯羅は大きく息を吸い込んだ。息をしている。まだ、機械になっていない。まだ、人間でいられている。恐くない。機械の支配など、もう要らないのだ。

 「さあ、帰って来い。溯羅」

 そう言ったドールの背後に、気配を感じた。彼が振り向くと同時に、溯羅の顔が見えた。

 「何!?」

 溯羅が振るった剣は、惜しくもドールの髪の毛を掠っただけだった。首を落とせていない。それでも、掠らせる事が出来た。

 「上手く使うってのは、こういう事だろ?」

 「……最後のチャンスだったのに。後悔しても、知らねぇぞ」

 首を傾けながら言うドールに、もはや人の気配はなかった。完全に、機械に飲まれている。そうなってしまえば最後、自分に自由は聞かなくなってしまうのだ。何て、哀れなのだろう。

 「来るなら本気で来いよ、操り人形」

 「調子に乗らない方が良かったのによ……伯爵様も、さぞ残念がっているぞ」

 ドールの形が崩れていく。液体のような、なんともいえない物質になると、再び形を作り出す。それは一つ、二つと増え始め、あっという間に溯羅を取り囲んでいた。

 「俺だらけって……さすがにキモいな」

 同じように哂った顔。気味が悪いほどに、彼を真似ていた。そいつらは、溯羅に向けて、剣を構える。同じように、溯羅も身構える。

 「ラストショーといこうぜ、中途半端」

 そして一斉に、刃は振り下ろされる。それの恐怖を感じさせずに、溯羅は目を瞑っていた。神経を集中させるその時、時間が止まった気がした。恐れなど、とうの昔に忘れているのだ。いまさら何を恐れる必要があるだろう。戦いは、正直に言えば嫌いだ。だから、全てを終わらせる。この、一撃で。

 全神経を剣に集中させる。それに合わせるようにして、それは淡く輝きを放ち始める。蒼い輝きは、身の毛がよだつほど冷たい。何もかもが凍ってしまいそうなほど、切ない。そんな輝きは、次第に強くなっていく。それに気付いたドールは、危険を感知した。

 「ああ、終わらせてやるよ。何もかもな」

 「……お前、何をやろうとしている」

 「お前の悲しい人生に、終止符を打ってやるよ」

 瞑っていた溯羅の瞼が開かれる。冷たい彼の瞳の色が、変わっていた。この切なくも、温かさのある瞳を何といえるだろうか。そう、例えるのなら、よく晴れた日の青空のようだ。どこまでも澄み渡り、空を飛ぶものを支配する蒼い空。優しさおも包み込む蒼さは、まさしく空としか言い現しようになかった。

 「さよなら、ドール。あの世では、争いもなく暮らせよ」

 その一言と共に放たれた光は、優しく暖かくドールの分身達を包み、消していった。逃げようとした彼だったが、間に合わなかった。だが、それでよかったのかもしれない。苦しむ事無く死に、消えたのだから。

 独り立っているのは、溯羅だけ。振り下ろした剣には、血の染み一つもない。淡く光っていた光は、風に攫われるようにして、ゆっくりと消えていった。ドールが先ほどまで立っていた場所を見ると、そこには人がいた面影がなかった。服に絡まった無数の機械と、多少の血。いや、あれはオイルだろうか。それを見て溯羅は、悲しい顔をした。

 「お前も、辛かったな。でも、もう大丈夫だ」

 慈しみの言葉と取るか、哀れみの言葉と取るかは、それを聞いた者次第。残酷すぎる言葉かもしれないが、それが現実だ。現実は、変わらない。流れに身を任せ、流れるだけだから。

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