9、届け言葉
サブタイトルの『言葉』の部分ですが、『言葉』でなく『想い』と読んで下さい。言葉のままでもいいのですが、想いと読んだほうが、内容に近いので。
「お前らの仲間、何処にいる訳?」
溯羅が、少し焦り気味に聞いた。彼らは今、二十四階にいた。先ほどまでいた所には、見張りが来るようになってしまったので、じっとしているには危険すぎたのだ。溯羅は別にいいとして、栄井やアリィは侵入者なのだ。まだ溯羅の裏切りがバレていないとも限らない。だからこうして、こそこそと動く事しか出来ないのだ。
「知ってたら苦労しないよ、なあ、アリィ?」
また声が出なくなっているアリィは、難しい顔をしながら、うんうんと頷いた。彼らの居場所が分かれば、だいぶ楽に行動できる。せめて、あまりその場を動かないでいて欲しかった。そうした方が見つけやすいし、迷わずにすむのだから。
「それにしても、ココはすごいね」
「何だ、藪から棒に」
「僕らの住んでる町と、まるっきり違う。こんな壁も見た事ないし、そんなに技術が発達してる事も知らなかった。この町には、世界には、分からない事が多すぎるよ」
「そうかも知れねぇな」
機械で決められた日常生活を送り、機械で決められた通りに働き、機械で決められた通りに一日を終了する。普通だったら疑問に思うのに、この国の者は皆、機械が在る事が当たり前になってしまっていた。まるで、何者かに洗脳されているかのようだった。
「とりあえず、この階のどっかにあまり使われてないコンピュータールームがあったはずだ。そこへ行こう」
溯羅の提案に、一同は合意し、動き出す。階段を出、長く真っすぐな廊下に出る。見張りはあまりいないようだが、防犯用のロボットが何体か浮いていた。それをうまく栄井が打ち落とし、先へ進む。時々敵に出会う事があったが、それは溯羅が対処してくれた。時にみぞおちを打ち、時に出鱈目を流した。敵に動きを読まれない為には、そうするしかなかったのだ。
「あった。ここだ」
溯羅が、何の躊躇もなくある部屋の中へ消えていく。それを慌てて追って、栄井達もその部屋に入った。
「わぁ……」
予想外の部屋のすごさに、栄井とアリィは言葉を失くしてしまった。そこは、部屋の全体がほぼモニターになっており、さまざまな場所が次から次へと映し出されていた。こんなにも多くのモニターから見られながらも、良くココまで来れたと思う。敵に見つかってしまうのも、このモニターの量なら分かる気がした。
「仲間とは、どこら辺から逸れたんだ」
「僕は、分からない。アリィは?」
栄井がアリィに聞くと、彼は首を傾げながら、指を二本立てた。
「二十階あたり?」
さらに首を傾げたアリィだったが、自信なさそうに首を縦に振った。
「じゃあ、そのあたりのカメラを集中的にモニターに映そう」
溯羅がそう言って、備え付けられたキーボードを操作する。しばらくそのまま、彼がキーを叩く音しかしなくなり、妙な緊張感が彼らを包んでいた。何か、嫌な予感がする。栄井は、それを敏感に捉えていた。もしかしたら、皐氣は緋搗に会ってしまっているかもしれない。もしかしたら、もう手遅れかもしれない―――。
「映るぞ」
栄井は、その溯羅の言葉に、嫌な予感を吹き飛ばしてもらった。栄井は真剣にモニターを見る。次々と二十階を映すモニター。罅が入ったメガネでは、少々見づらかったので、外す。曇ってしまった視界だが、さっきよりは良かった。アリィも必死になってモニターを見ており、皐氣達を一生懸命に探していた。空室の部屋。広い廊下。銃を持って歩く敵。それに付いていくロボット。様々なものがそれに映し出されるが、一向に皐氣達は見当たらない。もう、他の階へ行ってしまったのだろうか。
「次の階、映すぜ」
溯羅が、再びキーボードに触れようとした時、栄井の目が何かを捕らえた。
「待って!あの、あのモニターの場所を拡大してもらえる?」
「あ、ああ」
突然止められて、少々驚きつつも、溯羅は指示された場所を拡大する。するとそこには、長い髪をたらして進む、女の影があった。
「あの影を追って!」
栄井の指示に従い、キーを叩く。すると、そこは二十二階を映している事が分かった。彼らがいる場所は二十四階。二つ下の階に、彼女はいるのだ。
「アイツは……確か緋搗っつたかな?ダイラが連れてきた奴だ」
「……彼女は、僕らの友達だ」
「そうなのか。だからダイラが連れて来たんだな」
「……でも、何で彼女がそこに?」
「アイツは皐氣を殺すために選ばれた、人形だ」
「翠を!?」
「お前は知ってるだろ?その皐氣って奴の考え。それがダイラには気に喰わないんだ」
「それだけのために、緋搗を連れ去ったのか?」
「友に殺させた方が面白いだろって言ってたぜ」
「そんな……」
酷いとしか言いようになかったが、それがダイラにとっては、楽しみでしかなかったのだ。人を殺す為に、人を利用するような奴だ、そんな事をして当然だろう。
「ちょっと待てよ……だったら」
そう呟いて溯羅は猛烈な速さでキーを叩き始めた。何をしているか、始めは理解に苦しんだが、漸く見当がついた頃には、彼はもう目当てのものを見つけていた。
「やっぱりだ。いたぞ、皐氣が」
一つのモニターが映し出す背中は、間違いなく彼だった。その背に背負っているのは、きっと茜だ。足に怪我をしているのが、モニターからでも分かった。
「今、緋搗はどの辺りにいる?」
「ちょっと待ってろよ……皐氣達から、あんま離れてないトコにいるぞ」
「知らせなきゃ!」
「どうやって?」
溯羅の問いを聞く前に、栄井はその部屋を飛び出していた。
「待て、陽向―――!」
溯羅の止める声が、遠く聞こえた。栄井は焦っていた。もうこんなにも近く、魔の手が及んでいるとは思わなかったのだ。知らせねばならない。皐氣に危険を、伝えなければ―――。
*
自分が狙われているとは知らずに、皐氣はくしゃみをしながら歩いていた。ずずっと鼻を啜ると、後ろから茜が言った。
「風邪?こんな時に、暢気でいいわねぇ」
「風邪じゃねぇよ、きっと誰かが俺の事を噂してんだよ」
「……ベタな答えね」
「悪かったな、ベタ」
怪我をしても口の減らないガキだ、と心の中で皐氣は悪態を付いた。だが、そう思いつつも安心していた。まだ、口答えする元気があるのなら、傷はそれほど深くないのだろう。マントで止血はしているが、それに血が滲み、紅く染まるほどだったので、皐氣は口にして言わなかったが、心配していたのだ。
しばらくその階を廻っていたが、栄井達のいる気配はしなかった。ここにはいないのだろう。次の階に進まなくては。そして早く合流して、不安を一つでも減らしたかった。今の皐氣の頭の中は、ババ様の言葉で一杯だった。
―――大切な仲間を一人失うぞ
それは、もしかしたら、栄井の事ではないかと彼は考えていた。逸れてしまったアリィも仲間だが、栄井の方が親しみ深い仲間だった。大切な、友達だ。そんな事を考えていたら、ふと緋搗の顔が浮かんだ。懐かしく思った。別れてから、もう何日経ったのだろう。家が近いせいか、昔から仲が良く、兄弟と間違われる事もあった。それほどに昔から、彼女は男らしく、逞しかった。親が仕事で忙しい時は、皐氣の家に泊まったり、反対に、皐氣が彼女の家に泊まる事もあった。今頃、緋搗は何やっているのだろうと考えると、急に皐氣は悲しくなった。学校から帰る時、塾の帰り道、遊びに行った帰り。よく緋搗に会った。「おかえり」、そう言われた事もあったし、「親の帰り、遅くなるみたいだからさ、泊まってもいい?」、そう言われる事もあった。
「何、ニヤニヤしてんのよ」
「何だよ、人が思い出に浸ってる時に。話しかけるな、能無し娘」
「失礼ね、誰が能無しよ」
茜のふくれっ面と、緋搗のふくれっ面が、ダブって見えた。似ている、と思った。性格だけじゃなく、顔も。そういえば、茜も黒髪だ。とても綺麗な。緋搗も綺麗な黒髪で、その髪を自慢していた。急に、胸が苦しくなった。
「どうしたの?皐氣?」
「いや、何でもねぇよ。ただ、俺の知り合いに、そっくりだなって思ってよ」
「知り合い?もしかして……」
そう言って、茜はニヤついた。厭らしい笑い方だ。
「何だよ、変な笑い方して」
「いやぁ〜、ろくでなしのアンタでも、恋人がいるんだなぁって思って」
「はあ?」
「だって、そうでしょ?あんなに楽しそうに笑ってるんだもの。思っているのが恋人だって、誰にも丸分かりよ」
「そんなんじゃねぇよ」
「いいのよ、隠さなくても。アタシ、そういうの気にしないから。ゴメンなさいね。夢の一時を、お邪魔しちゃって」
「だから、そんなんじゃねえっての!」
「照れちゃって、アンタも可愛いトコ、あんじゃない」
「うっせぇ!黙ってろ怪我人。傷に響くぞ」
「はいはい、邪魔者は退散しますよぉだ」
何処までも嫌味な奴だと、皐氣は思った。そして、自分は笑っていた事を知った。ただの親友としか思っていなかった緋搗の存在が、あんなにも大きいなんて、思っていなかった。それほど、彼女を想っていたという事だろうか。そう考え付いてしまった皐氣は、ありえないと首を振って、その考えをかき消した。ありえない。緋搗は、腐れ縁で会った、ただの女友達なのだから。愛しいだなんて、思う訳ないのだ。考えすぎで、頭がいかれてしまったのだろう。きっとそうに違いない。あんなじゃじゃ馬、好きな訳ない。
「さ、皐氣。ココには誰もいないみたいだし、次行きましょ」
「そうだな。階段はどっちだ?」
「また方向忘れたの?……飽きれたぁ」
「悪かったな、方向音痴で」
「別に、方向音痴は攻めてないわよ。学習能力のない事を攻めてるの」
「一言多い小娘が。方向はどっちだって聞いてんだよ」
「頭の悪ぅいお兄さんに教えてあげるわ、方向はあっちよ?分かる?あっちぃ」
「分かったよ、この毒舌」
「良かったわ、この木偶の坊」
*
懐かしい、大好きな背中が見える。あの背中を、ずっと前から好きだった。ずっと、追い続けてた。届くかどうか分からない想いを抱いて、私はずっと彼の背中を追いかけてた。届いた気がしたのは、遥か昔。幼少時代。だけど、今は遠く見える。とても遠くで、輝いて見える。振り向いて、微笑みかけて欲しかった。振り返って、止まって欲しかった。
でも、大きくなるに連れて、彼は私を見てくれなくなった。小さい頃は私の声に気付いて、止まってくれた。でも、今は声に気付いても、振り向くだけで止まってくれない。一人にしないで欲しかった。私だけを、見つめていて欲しかった。あの綺麗に澄んだ、希望のある瞳で。変わらない、その瞳で。
彼に恋している事に気付いたのは、いつだっただろう。幼稚園の頃?小学生の頃?中学生の頃?たった今?いつからだったか、分からない。それでも彼の事が好きになっていた。傍にいて欲しいと思った。だから、小さい頃から褒められていた黒髪は、いつも手入れを欠かさなかった。だから、興味のないオシャレにも気を使った。だから、同じ学校に進めるように努力した。だけど。だけど、彼は私を見てくれなかった。他の男子は見てくれても、彼だけは、昔のように見てくれなかった。だから、その背中を見ている事しか出来なくなってしまった。
「ボクがね、みづきちゃんをね、まもってあげる」
「ほんとうに?」
「うん!ボクがおおきくなったら、おっきなおいえをかって、ふたりでくらすの」
「おっきなおいえ?」
「みづきちゃん、きれいなおいえ、すきでしょう?だから、みづきちゃんのだいすきなおいえで、いっしょにくらすんだ」
「やくそくしてくれる?」
「もちろん!ボクがみづきちゃん、まもるんだもん!うそつかないよ」
嘘、ついてるじゃない。護るどころか、見捨ててるじゃない。小さい頃の言葉なんか、嘘が多いのかもしれない。それでも、その時は本当に嬉しくて、嬉しくて堪らなかった。今も思い出すその言葉が、それだけ私の励みになった事だろうか。どれだけ、私に笑顔を与えてくれただろうか。一途過ぎるかもしれない。信じ過ぎかもしれない。それほどに、彼が好きで、大好きで堪らなかった。彼を失う事は、世界を失う事と同じ。その事に、少しでもいいから、気付いて欲しかった。少しでも、彼の気持ちが聞きたかった。嫌いなのなら、ハッキリと言って欲しかった。ずるずると引っ張り続ける、自分が情けなくなる一方だから。他の人を愛せなくなる事が、恐かったから。自分が彼にとって、どれだけ小さな存在でしかなかったのか、分かってるつもりだった。分かっている……そう思い込んでいた。
でも、でもね。振り向いてもらえなくても、笑ってもらえなくてもいい。ただ、私の傍に、いて欲しかっただけなんだ。仕事ばかりで面倒を見てくれなかった親の変わりに、私の傍に。
視界が歪む。頬に、雫が流れる。悲しくないのに、辛い。痛くないのに、寂しい。強いと思っていたのに、こんなにも弱い。次から次へと流れる雫が止まらない。伝えたい言葉が、喉まで出掛かって、彼に届かない。届けたい。気持ちを。……危険を。
「にげ……て。逃げて、皐氣」
擦れた声は、届かない。彼に、言葉が届かない。
手に、冷たい刃の感触がする。大好きな彼の背中が、揺れながら近付いてくる。近付いて行く。もし、神がこの世界にいて、一つだけ願いを聞いてくれるなら、一つだけ叶えてくれるなら。今流れるこの時を、止めて欲しい。それが無理なら、私の足を奪って欲しい。お願い、神様。私に大切な人を、殺させないで。大切な、大切な存在を、護らせて―――。
振り上げた刃が、大好きな人に迫る。彼はやっと振り向き、驚きの表情を露にした。
逃げて。逃げて。逃げて。皐氣、お願い。逃げて!
それを見ていた傍観者は、勝利に酔いしれ、微笑んでいた。
「バイバイ。キング」
鮮血がその場に散り、緋搗は悲しみの悲鳴を上げた。




