第一章⑥
ウタコはエイコを連れて映画館の上の階に向かった。そのフロアは展望台になっていて錦景の街が一望できる。錦景の何十年も変わり映えのない景色を見渡せるのだ。東西南北に百円でのぞき込める望遠鏡が設置されているが、錦景のディテールを確かめるために百円を払う価値は、ない。フロアには人が多い。観葉植物の横のソファは景色に向けられている。ソファに座る人たちがいるが、その視線が景色に向くことはほとんどない。映画が始まるのを待つ人たちがほとんどだ。フロアの中心にある喫茶店も混雑しているが、その混雑も景色とは無関係。喫茶店のシェフと関係している。
景色を見ているのは、きっと。
伊達眼鏡を掛けたエイコだけだと思う。
複合的な斑模様のフレーム。
エイコは難しい顔をして景色を見ている。
ウタコのボールペンと手帳を手にして。
ウタコの提出した問題を考えているのだろう。
ウタコは金属の手すりに体重を掛け、そのエイコの横顔を見ている。
エイコは罪な奴だ。
銀のピンで突き刺してコレクションしたいくらいエイコの横顔が愛おしい。
「え?」エイコは視線をウタコに向ける。
「何?」ウタコは違う景色の方に視線をやる。「何か、浮かんだかしら?」
「……駄目、」エイコは首を横に振って視線を景色に戻す。景色は快晴。雲一つない。しかし、錦景の天気はロンドンみたいに変わりやすい。油断は出来ない。「全然、何も浮かばないわ、いきなりポエムを書けだなんて、分からないわよ」
「じゃあ、宿題にしようか?」
「いいの?」
「夜の方がいいんだよ、言葉を考えるのは」
「ウタちゃんは夜に詩を書くの?」
ウタコは大げさに笑った。「そんな恥ずかしいことしないよ、中学生じゃあるまいし、ブログは夜に更新するけど」
「ふうん、」エイコは余計なことを言いたげな眼でウタコを一瞥。ふぬけた顔をして、眼鏡をはずした。「じゃあ、宿題にする、期限は?」
「中途半端な詩は読みたくないね、一週間後でも、一か月後でも、一年後でも構わないわよ」
「もちろん、」エイコは眼鏡を掛け直す。「中途半端なものなんて作らないわ」
「あ、眼鏡はもういいよ」
「いいの?」
「うん、十分堪能したから」
「堪能?」
「普段掛けなれない伊達眼鏡を掛けて疲れたでしょ?」
「別に」
「生徒会長の優しさだよ」
「分かった、」エイコは眼鏡をはずして畳んだ。「それで、次の問題は?」
「ドレスを買ってあげるわ、色は何色がいいかしら?」
「……なぜ?」エイコは首だけ傾けた。
「制服じゃ踊れないでしょう」
「踊る?」エイコは反対側に首を傾けた。「……なぜ?」