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第一章⑤

水園とシンディは裏山から降りて、裏門を潜り、様々な女の子たちが声を上げる校庭を横切り、寮のある方へ向かっていた。シンディは水園が香水を作るところを見たいのだという。シンディは白い花をいくらか摘んでいた。どうして寮へ向かっているのかというと、シンディが寮に用があるのだという。

今のところ、あまり会話は交わしていない。嘘をついている手前、言葉選びに慎重にならなくてはいけないから水園は自然に無口になった。シンディもあまりしゃべらない。

シンディはまだ私のことを疑っているだろう。

どんな風にうやむやにして彼女との関係を解消しようか、考えている。しかし、その反面、魅力的なシンディとずっと絶妙でいたいとも考えてしまう。とてもリスキィ。自分がそう思うことに対して嫌になる。けれど、可愛い女の子が好きだから、仕方がないのだ。水園は女子が男子を魅了するための香水を売る。けれど香水の発端は、水園が女子を魅了するためだった。水園は女子に愛されるために香水を作った。そして研究している。幼なじみの古町にキスしてもらうために研究しているのだ。鈍感で、鈍感で、鈍感な彼女にキスしてもらうための香水の研究。でも、最近、あまりにも古町が鈍感だから、疲れていた。別の誰かといちゃつきたい気持ちが大きくなっていたのも事実。素敵な水園シイカから香水を買ってくれる、恋焦がれる可愛い女の子をそういう目で観察し始めていたのも事実。春だから、二年生になったから、少しだけ大人に近づいたような気がしたから、一途に疲れちゃったから。

だから私は、シンディの輪郭をそういう眼で見てしまう。

 いけない?

 悪い?

 私は誰に聞いてるの?

 私は……。

「シイカ?」

「え?」シンディの声にハッとして顔を上げると既に寮の前に来ていた。「ああ、うん、何?」

「シイカの部屋はどこですか?」

 シンディは寮を見上げていた。寮はクラシカルな横に長い三階建ての建造物で、色は臙脂。初めて見たときは阪急梅田駅のコンコースを連想した。きっと作られた時代もそれくらいだと思う。中身はしかし、数年前にリフォームされ、すっかり現代建築になってしまっている。

「二階の角部屋だけど、」水園は返答しながら気付く。「え、私の部屋に?」

「二階ですね」シンディは寮の扉を押した。

「ああ、うん、」頷きながら水園は自分の部屋になんの用だろうって思った。しかし、自分の部屋にシンディが来るというのは、なんとなく素晴らしいことだと思う。「あ、シンディ、ちゃんと靴は脱ぐんだよ」

「分かってますよぉ、」シンディは天井の低い玄関ホールできちんとスリッパにはきかえていた。「もう日本には一年もいますから、カルチャのことは熟知しているつもりです」

「でもやっぱり、」大多数の外人がそうであるように。「イントネーションに癖があると思うよ」

「私は思いません、だから、その指摘は微妙です」

「日本人の私が言っているのに?」水園は自前の健康サンダルにはきかえた。最近、本格的に健康サンダルの素晴らしさに気付いていた。やっぱり疲れているのだ。脳ミソも、体も。「素直に受け止めてよ、留学生として、そういうらしさがないと、私たちは何も言えなくなっちゃうもん」

「よく分かりません」シンディは首を振る。

「うん、私もよく分からなかった、私、結構考えながらしゃべるタイプだから、オチがないことが多いんだよね、だからあんまり気にしないでね」

「よくわかりません」

「こっちだよ」水園はさりげなくシンディの手を触った。

「きゃっ」シンディの悲鳴。

 水園はとっさに手を離す。「……ごめん、その、嫌だった?」

 シンディは目一杯大きくした眼をそのままに、一度水園の顔を見て、自分の手を観察して、触って、それから首を横に振った。「……静電気、でした」

「え?」

「いえ、早く行きましょう、」シンディは水園の手を触る。とても自然に触ってくれて、水園は顔が変になった。「……顔が変ですよ」

「うっさいなぁ」水園は顔を背けて玄関から近い階段を昇る。

「でも可愛いですよ」

「え?」

 シンディはそっぽを向いている。寮を観察しているようだ。珍しいのだろう。踊り場の壁に飾られた絵を見ている。「シンディはどこに住んでるの?」

「先生のアパートです」

 予想外の返答に水園は驚く。いやらしいことを考えてしまった。先生と一緒に暮らしているだなんて、そんな、っていう具合にいやらしい妄想が膨らんでいく。「え、誰?」

「内田先生です」シンディは少し優しい顔になった。

「内田、内田、……そんな名前の先生いたかな?」水園は眉を潜める。

 二人は二階の廊下に立つ。

「どっちですか?」

「ああ、こっちだよ、」水園は廊下を歩きながら気になっていた。「ねぇ、その先生の科目は?」

「科目、ですか?」シンディは変な質問をするなぁ、という感じで水園を見て答える。「専門は生物だけど」

 水園は心当たりがない。「……本当に内田先生なんているの?」

「え?」シンディは変な質問をするなぁという感じの眼をする。少し怒らせてしまったらしい。「シイカ、何が言いたいんです?」

「ごめん、」水園は手のひらを広げて謝った。「なんでもない、忘れて」

 ただ、気になる。

 先生と暮らしているなんて。

 気になる。

シンディが気になる女の子だから。

「ここですか?」

「うん」

 廊下の突き当たりの南側の扉。それに小さな表札がぶら下がっている。水園、古町の二枚。水園が鍵穴に鍵を差し入れ回す。扉を横にスライドさせようとする。動かなかった。

「シイちゃん? 開いてるよぉ」

 部屋の中から声がした。

 水園は気付いた。

 古町が部屋にいる。扉はすでに開いていたのだ。

「どうしよう?」なぜかシンディの方を見て聞いてしまった。

「何が、ですか?」シンディはとても不思議そうなに首を傾げる。「入らないんですか?」

「だから、その、あの、」水園は上を向いて考えて、再び鍵を回した。「……まぁ、いいか」

別に。

まだ何も始まっていないんだし。

そう、何もないんだから大丈夫。

でも、そうじゃない関係は少し。

残念?

一瞬、脳ミソに浮かんだドロドロな三角関係。

私はもしかしたら。

そういう関係を。

望んでいる?

「何がです?」シンディは扉をスライドさせていた。「シイカ、何を考えているんです?」

「別に、なんでも、」なぜか声が弾んでいた。「なーい」



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