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第一章④

「一応、伊達眼鏡を掛けてきたけど、」エイコは敬語を使う気はないようで、フランクな口調で、巨大な伊達眼鏡の位置を直した。「遠くを見るのに伊達でいいの、伊達眼鏡で?」

「うん、伊達で構わないよ、」ウタコは腰に手を当てて答える。「伊達で」

「でも、遠くを見るんでしょ?」

「なぁに、言ってるの、」ウタコは人差し指を立てる。「遠くを見ることに意味があるんじゃないのぉ」

「ん、どういうこと?」エイコは首を傾げる。

「さぁ、行こうか、」ウタコは少し歩いて一回転半して可愛い顔をしてエイコを見た。「ちゃんと私に付いてきないさいよ、」とびっきりの笑顔をプレゼントしようとしたけれど、すでにエイコは後ろにいなかった。「って、え? どこに消えた?」

「会長、何してるのよ」後ろからエイコの声。

 ウタコは振り返る。「こら、先に行くな、先に行くなよ」

「どこに行くの?」

「目的も知れないのに、歩かないの、うん、とりあえず、そこの階段を降りて」

「分かった」

「ああ、ちょ、待って、待ってよ、もぉ、こらぁ」

 ウタコはエイコを追って地下街への階段を掛け降りる。エイコはこちらを見上げて待っている。「次は?」

「右よ」

「右ね」

「ちょ、」ウタコは最初から手すら握れない状況に苛立っていた。眉が八の字になる。エイコはモデルみたいに綺麗な姿勢でスタスタと地下街のメインストリートを進んでいく。ウタコは追いかけるようにエイコの後ろを歩く。こんなのデートじゃない。まあ、エイコはそんな場合じゃないんだと思うんだけど、ウタコはデートをしに来たのだ。もっとチョコレートムースみたいな、甘ったるい雰囲気を楽しみたい。しかしエイコは試験に真剣のようだ。だから、面倒くさい。でも、とにかく。「むぅ、絶対、私のものにしてやるからなぁ」

 ウタコは小さく呻いた。しかし、エイコの速度で歩けない。ピンク色のハイヒールのせいだ。

「ねぇ、生徒会長、」エイコは声を張って立ち止まる。「ここからどっちに行けばいいの?」

 メインストリートから地下の円形広場に出る。ガラス張りの天井からは太陽の光が落ちている。気温も少し高い。空気がこもっているようにも感じる。そこからは六方向に道が延びていた。ウタコはエイコの隣に並んでから言う。「そっち」

「そっちね、二番ストリート」

 エイコはウタコの人差し指の先を確認して再び歩き出す。

「ちょ、少し、ゆっくり歩いてよぉ、」ウタコも再び歩き出す。「今日は歩きにくい靴を履いてきたの、だからぁ」

「なんで試験の日にハイヒールなんて、」エイコはそう言いながらも速度を緩めて、しかし以前として、前を歩く。「私は真面目なのに」

「今日は土曜日、土曜日は特別でしょ、着飾って街に出る日でしょ、女の子はぁ、」ウタコ早口でつまらないことを言ってエイコの横に並んだ。ヒールのおかげで目線の位置はそんなに変わらない。エイコはどちらかと言うと背が高い。ウタコは平均よりも僅かに低くめだ。ウタコは大人っぽい服は着ない。似合わない。だからウタコは子供っぽい服を着て等身大の自分を主張する。ウタコの今日のファッションの特徴はピンクとフリルだ。とにかく、苛立ちが溜まっていたから大胆になる。ウタコは歩きながらエイコに顔を近づけて人差し指を立てる。「さあ、お待ちかねのテスト、第一問、タラッタラ」

「え、ここで?」エイコは立ち止まった。目の色を変える。「わ、分かった」

真剣な彼女は素敵だ。可愛い。可愛がって、苛めたくなる。自分のコレクションにしたくなる。

「エイコちゃん、」ウタコは声色をお上品に変えて言う。「私と手をつないで歩いてくれるかしら?」

「はい、」エイコすぐにはウタコの右手を取った。体温を感じる。いいことだと、ウタコは実感して笑顔になる。気分がいい。エイコは首を傾げた。「……それで、それから、どうするの?」

 ウタコは一度咳払い。「……歩いてくれる?」

「うん、」エイコはゆっくりと歩き始めた。「歩いた、歩いた、……歩いたけど」

 ウタコは凄く愉快な気分。「うわぁ、歩けたねぇ、偉いよぉ」

「……からかっているの?」

「違うよぉ、試験だよぉ」

「……それで、どうするのよ?」

「このまま歩いて、」ウタコの気持ちはルンルンしていた。それが表情に出ないか心配だった。心配むなしく、ウタコは笑顔だった。「このまま歩くのよ、目的地まで」

「ねぇ、目的地って、」エイコは疑心を含んだ横目でウタコを見ながらも、律儀に速度を合わせて歩いてくれている。「どこなのよ?」

「ああ、ココを左ね」ウタコは高い声を出す。

「うん、左、」エイコは慌てて進路を変える。「だから、ウタちゃん、いい加減、どこに行くのか教えてよっ」

「ウタちゃんって言った?」

「あ、ごめん、」エイコは口を押さえる。表情が動揺している。珍しい表情だ。「つい、ごめん、会長、私、女の子のことはいつもちゃん付けで呼んでいたから、だから」

「構わないわ、構わないわよ、」ウタコは自慢の黒髪をはらって低くていい声を出して言った。むしろいい。恋人同士、という人間関係にぐっと接近した気がする。その距離きっと、五センチメートル。「構わない、続けなさいな、以後二人きりのときは私のことをウタちゃん、って呼ぶこと、いい?」

「いいの? いや、駄目よ、そんな、ウタちゃんは、皆の代表の生徒会長なのに」

「じゃあ、敬語も合わせてご利用してくださいな」

 エイコは難しい問題を考えている顔をして額に手を当てた。「……難しいなぁ」

「難しいことない」ウタコは腕を組んで首を横に振る。

「決めた」

「早い決断、威勢がいいねぇ」

「ウタちゃん」エイコは腕を組んで挑発的な目をする。

「はい、なぁに、エイコちゃん」

「どこに行くの?」

「キネマを見よう」ウタコは六歩歩いて右を向く。

「映画?」

 エイコはウタコに近づき二番ストリート進行方向右を見る。通路の先の透明な自動ドアの奥に映画のポスタが手前から奥に並んでいる。スケジュールを映す電光掲示板の前には数組のカップル。エイコとウタコはカップルみたいに手を繋いだままポスタに近づく。

「何を見るの?」

「第二問、」ウタコはエイコの腕を抱きしめて出題する。「私はどのキネマが見たいのでしょうか?」

 エイコは険しい顔をした。ウタコが大胆にも抱き付いたのだから、それ相応の反応があってもよさそうなものだ。距離は離れた。きっと五センチメートルくらい。

「……そんなの分かるわけないじゃない、分かるわけない、悪問だわ、不条理だわ、私、ウタちゃんのことなんにも知らないのに、魔女でもない限り、そんなの分かる訳ない」

エイコは気持ちを正確に言葉にしてウタコに教えてくれた。ウタコはそれを聞いて、愉快な気分じゃない。もっと、こう、言い方ってもんがあるでしょうに。「……分かるはずだわ、エイコちゃんが本当に錦景女子生徒会の秘書になりたいって言う気持ちがあるのなら、生徒会長の私が、黒須ウタコが今、感動したいのか、興奮したいのか、笑いたいのか、泣きたいのか、分かるはずだわ、そうじゃなくって? 悪問? 不条理? いいえ、コレは試験です、エイコちゃんに課す、難易度Eのトライアルに過ぎません」

「……悔しいけど、」エイコは下唇を噛んだ。下唇を噛みながらも、エイコはウタコの一言一句を真剣に聞いていた。「確かにウタちゃんの言うとおりだわ、生徒会の秘書なら、生徒会長の気持ちが手に取るように分からなければ」

「その通り、その通り、」ウタコは愉快になる。我ながら単純で、とても入り組んだ性格だと思う。「それにさ、例え私の気持ちが分からなくたって、私の情報を得る手段はいくらでもあるわ、私のブログは探した? 錦女のホームページの私の詳細なプロフィール欄を見た? ツイッターの私の過去一年分のつぶやきは確かめた? 私のクラスメイトに会った? 昨日の放課後から今日のお昼までタップリ研究の時間はあったはずですよ」

「……何もしてない、私、」エイコは首を横に振る、「時間はタップリあったんだ、なんでもすることが出来たのに、なんでも」

「それにも拘わらず、あなたは何をしていたの?」

「緊張して、いろんなことを考えすぎて昨日の夜中々寝付けなくて、それで気付いたら十二時で、慌てて支度して飛び出してきたの、ああ、私、バカだ」

「え?」ウタコは意外に思った。エイコに緊張の二文字は似合わないから。「嘘、エイコちゃんって緊張するの?」

「でも、絶対に当ててやるんだからっ」

 エイコの耳にウタコの声は届いていないようだった。自分で言ったように、エイコはかなり本気だ。ウタコは少し、悪い気がした。ウタコはどちらかというと、ふざけぎみから。

「わぁ!」

 急にエイコがウタコを睨んだからビックリしてしまった。睨むというより、ウタコの心を読もうとしているようだった。真剣にウタコの心を見ようとしている。顔は徐々に接近する。

ウタコの脳みそに読まれちゃまずい気持ちが発生。

顔が熱い。

キスがしたい。キスがしたくなる。

ウタコはエイコの唇をじっと見つめる。

ゆっくりと迫ってくる。

ウタコは唾を呑んだ。

もう我慢できない。

ウタコは瞳を閉じた。

そして、攻めた。

「分かった!」

「……え?」目を開けると、エイコの顔はすでに遠かった。「分かった?」

「これでしょ、」エイコは自信満々にとある映画のポスタの前に立っていた。「ベルベット・ギャラクシィ・ブランケット」

 ウタコはエイコの横に移動して映画のポスタを確かめたそれは邦画だった。ウタコは邦画に興味がない。最初からつまらないものがと決めつけていた。事実、つまらない作品が多い。だからタイトルすら知らなかった。とりあえず、表情は変えないようにする。

「ねぇ、ウタちゃん、どうなの?」エイコは待ちきれずに声を出す。「正解、不正解? どっちなのよ」

「答えはキネマを見てからよ」ウタコは言って、溜まった熱を吐き出すように呼吸をした。

「え、二時間後?」

「うん、」ウタコは微笑んで頷く。別に正解なんて決めてない。ただエイコの選択は最悪だ。でも、ポスタの中でブランケットにくるまる女優さんが可愛いから、結論は後でだそう。面白かったら正解だと言ってあげよう。そう、決めた。「あ、ちょうどいい時間だね、あと二十分で始まる」

 映画館は七階。通路を歩いてカフェの横を通った先のエレベータに乗って行く。チケットはウタコがカウンタで購入した。上映開始まで時間があったのでウタコはエイコに様々な問題を出した。ポップコーンは塩かキャラメルか、コーラかメロンソーダか、パンフレットはいるか、いらないか。そんな取り留めのない問題を出した。全てウタコの正解とは違う答えが返ってきた。もしかしたらわざとはずしているんじゃないかって思えるくらいだった。そして映画は良くも悪くもB級だった。ほんの少しだけ、ロマンチックな気持ちにはなったけれど、映画のせいじゃなくて映画館の雰囲気のせいだと思う。補正ってやつだと思う。隣にエイコが座っていたからだと思う。

「……で、どうなの?」上映終了後、エイコは感想も言わずにウタコに聞いた。

「残念、」ウタコはシートを立って伸びをしながら答える。欠伸も出た。「不正解」

「うん、そうだと思った」エイコは微笑んだ。

エイコもきっとつまらなかったのだと思う。

少しは同じに気持ちになれたようだ。

キネマに、感謝。

主演女優はどことなく、香水売りの水園シイカに似ていると思った。



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