第一章③
水園は白い花畑の中で眠りについている女子に四つん這いで近づき、寝顔を確かめた。とても心地よさそうに寝ている。とても可愛い。日本人じゃない顔の作り。肌が白い。髪の色は色素が抜けてしまっていて、グレイ。光を当てるとシルバ。歳は水園と同じくらいだろうか。錦景の生徒だろうか。しかし、彼女に見覚えはない。着ているものはドレスだろうか。生地が薄く、体の輪郭がよく分かる。水園は少し変な気分になる。白い花の香りがきっと、彼女を魅惑的に見せているのだと思う。水園は彼女の体をドレスの上から触って、誰もいないから、顔を緩ませた。「……わぁ、柔らかいなぁ」
「……んっ」
彼女の口から声が漏れた。水園は慌てて彼女の柔らかい部分から手を離した。彼女から離れて触った手を後ろに隠す。いやらしいことをしてしまったことは自覚している。水園は息を殺した。
「ふうん」彼女は寝返りをして向こうを向いた。再び静かになった。水園は息を吐いた。そして観察続行。
お尻の形はとてもチャーミング。
それにも触りたくなる。我慢できず、手を伸ばす。
「うー、」急に彼女は寝返りした。顔が水園の方を向く。ワンテンポの後、彼女は目を覚ました。そして声を聞く。「……見つけました」
彼女は目を半月状にして微笑んでいる。
「え?」水園の思考は完全にストップ。
彼女が流暢に日本語をしゃべったからかもしれない。
とにかくいやらしいことをしてしまった自覚があるから水園は、無意識的に諸手を上げていた。
「何か、しましたか?」彼女が聞く。
「いいえ、」水園は首を横に振る。「何も」
「そうですか、」彼女は目を擦り、可愛い欠伸をする。「本当に?」
「うん、」水園は頷く。「何もしてない、ただ、脈拍を測ろうとしていただけ」
彼女は上半身をゆっくりと持ち上げた。とろんとした優しそうな目で水園を捉えながら、彼女は水園の手を掴んで引き寄せた。水園はその弱い力になされるがまま、彼女に接近する。顔が近くなる。彼女のことがよく見える。血の色のような唇が、艶っぽい。
なぜか水園は女の子がキスしてくれる、と思った。
期待した。
違った。
目眩がしそうな気分だったのに。
あるいは、少し夢心地だったのに。
彼女は唇を動かす。「あなたが犯人なんですか?」
「え?」水園の思考は再び、ストップ。
一体、何?
なんなの?
「くんくん、」女の子は水園の首筋に鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。「うん、やっぱり、」彼女の声は甲高くて、奥で響く。渦巻き管のもっと奥。脳ミソに近いところが、揺れる。「くんくん、絶対、間違いない、あなたが犯人ですね?」
「……、」水園は変な気分になっていた。彼女が全く訳の分からないことを言っているせいもあるけれど、女子に首筋をくんくんされる経験は初めてだったからだ。初体験だ。こそばゆい。自然と頬がにやけてくる。目の前の彼女のことを気に入ってしまう。白い花の匂い。それが本気にさせる。古町のことが一瞬頭によぎる。しかし、目の前の彼女は大事な何かを忘れさせるほど魅力的に見える。水園は低い声を出して言う。「……どぉ? 私の匂い、いい匂い?」
「当たり前です、」女の子は水園から顔を離して、困惑した顔を作った。「私の花の香りですから」
「え、私の花って?」
「とぼけないで下さい、」彼女は寂しそうな顔を作って、予想外の力で水園を押し倒して、下腹部の上に跨った。その衝撃で白い花が舞う。「あなたは自分の欲望のまま、私の大事な白い花を好き放題、摘んでいったんですね」
「え、いや、……あ、」水園はやっと彼女が何を言いたいのかが分かった。彼女はこの花畑の所有者なのだ。白い花が摘まれてなくなっていることに気付き、今日、ココで水園が来るのを待っていたのだ。そもそも一年中自然に白い花が咲き続けているなんておかしな話だ。誰かが管理していると考えるのが普通だろう。水園はメルヘンだった。妖精さんがいると思っていた。科学的ではない不思議がここにはあると思っていた。私だけしか知らないと思っていた。しかし、すべて間違いだったのだ。水園は誰かのものを勝手に奪って香水にした悪い女。事実そうだ。水園は理解した。けれどでも、可愛い彼女に犯人だと言われて、だから、認めたくない。「わ、私じゃないっ、」水園は高い声で嘘を付く。「犯人は私じゃない!」
「あなたじゃないなら、それじゃあ、一体、誰だっていうんですか?」彼女は優しい目で水園を睨んでいる。
「と、とにかく、」水園は自分で歯切れが悪いっていうことは痛いほど分かっている。「わ、私は、何も知らない、何も知らないから、だから」
「でも、」と彼女は見つめてくる。「一度何かを知っている目をしました、本当は、あなたなんですよね?」
「いや、だから、私じゃないって、違うよ、今、私、少し混乱して、いろんな目に変化しているんだよ」
「むぅ、しらばっくれるんですね、」彼女は唇を尖らせる。「自白して、お金を払ってくれたら、許してあげようと思っていたんですけど」
「え、お金って、どれくらい?」
「どうして反応すんですか? 犯人じゃないんですよね?」
「……私、現金な女」水園は目を逸らして言う。
「えっと、なんですか?」
「お金に弱いの、私、」水園は変な声を出して訴える。「何よりもお金が大好きなの、だから、その、反応したんだもんっ、犯人だから、反応したんじゃないんだもんっ」
「それじゃあ、どうしてこんなところに?」彼女は早口で聞く。
「偶然、」水園は偶然ここを見つけたときのことを思い出している。思い出しながら言い訳を作成する。「ほんと、偶然なんだって、私、素敵な花を探して、山を歩いていたの、道のない道を歩いていると小さな裏山なのに気分はエクスプローラ、一人でテンションがハイになってスキップをしていたら、ブーツの底が滑って」
「スニーカーじゃないですか」彼女は目敏く水園のファッションを指摘する。
水園は咳をして言い直す。「靴の底が滑って、地面がぬかるんでいたわ」
「一週間くらい降ってないです、雨なんて」
「私はコロコロと転がった、サイコロ見たいに、転がって、気づいたら、こんな白くて明るい場所にいた、ここはどこだろうって、不安な気持ちになっていたら、君のことを見つけたんだ」
彼女は何も言わない。何も言わないで彼女は考えている。コレからのプランを練っているようだ。
「本当だよ、」嘘だけど。「信じて、お願い、君の名前は?」
「……シンディ」シンディはどこか虚ろな目をして答えた。
「シンディ、私は水園シイカ、」水園は無理に微笑んだ。「シンディ、仲良くしましょう、留学生?」
「そうです」シンディは水園の方を見ていない。白い花畑の周囲を見ている。遠くの方を見ている。水園の潔白を信じてくれたのだろうか。いや、犯人は水園なんだけれど。
「素敵な髪の色だね、瞳の色も綺麗、イエロ? それともゴールドかな、どこの国から? 今年の留学生かな、学校で見かけたことないけど」
「どうしてシイカは花を探していたんですか?」
「それは香水を作るために」言って、水園はしまったと思った。
「香水、ですか?」
どうやらシンディは水園が香水売りであることを知らないようだ。ほっと息を吐く。曖昧に答える。「うん、趣味で、少し」
「ああ、なるほど、シイカからする白い花の匂いが濃いのは、香水にして、それをつけていたからなんですね?」
「うん、……いや、違うよ、違うって、この花の匂いが濃厚なだけ、それだけだよ」
「……ココの花、一年中咲いているんですよ」
「あ、えっと、そうなんだ、」シイカはぎこちなく返答する。「凄いなぁ、一年中咲いているんですねぇ」
「どうしてだと思いますか?」
「さあ、どうしてだろう?」
シンディは息を吐いて、やっと水園の上から退いてくれた。座り込んだまま、空を見上げている。水園も空を見上げた。何を見ているのだろう。空には空以外に何もないけれど。
「知らないんですね?」シンディの声は少しウェットな気がした。
とにかく疑いは晴れたようだ。
いや、犯人は水園に違いないのだけれど。
でも、とりあえず、この場は。
「真犯人が見つかるまで、シイカが犯人です」
「……え、」水園の頭はあまり回転していなかったから反応が遅れる。目はきっと点見たいになっていた。「あ、いや、だから違うって」
「誰かが証明してくれるんですか?」シンディは水園のポケットから財布を抜き出し、学生証を確認した。「あ、本名だったんですね、てっきり偽名だと思いました」
「あ、コラ、勝手に」水園が手を伸ばすとあっさり返してくれた。
「もう、全部、記憶しました」シンディは微笑む。
「だから私が犯人じゃないし」
「それじゃあ、シイカ、こういうのはどうでしょうか?」シンディは何か企む目をして、人差し指を立てる。「一緒に犯人を捕まえるというのは、どうですか?」
「え?」
「シイカが犯人じゃない、ということなら、他に真犯人が必ず、いるはずですよね?」
「……もちろん、そうだよ、その通りだよ」
シンディは白い花を摘んでその匂いを嗅ぐ。
「じゃあ、決まりです、一緒に犯人を探しましょう」
「……私、関係ないんですけど」
水園はやっとそれだけ言えた。「本当に、偶然で、偶然だから、真犯人なんて、」真犯人なんていないから。「捕まえるなんて、そんなの」
「じゃあ、シイカが犯人ですね」
「……違う」
「じゃあ、一緒に捕まえましょう」
「……うん、分かった、分かったよ、」
水園は頷きながらポジティブに考えた。シンディはとても可愛い。可愛い子と公然と一緒にいることができるのだ。古町に内緒にする必要もない。いい言い訳が落ちてきたと考えよう。水園は現金の次に、可愛い女子が好きだから。「いいよ、やろう、やってやろうじゃないの」
「本当にシイカが犯人じゃないんですか?」
「ち、違うって言ってるでしょ!」水園は一度声がひっくり返って、少し冷静になれた気がした。「違うって言ってるでしょう、……違うから、違うんだもん」
「ふーん」気のない返事をして、シンディはゴールドの瞳で、水園を見つめ続けていて突然、口を開く。「あの、それじゃあ、シイカが香水を作るところ、見せてくれませんか? この、白い花が材料になりますか?」