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第三章⑧

「おはようございまーす」

 金曜日の放課後、準備中の喫茶マチウソワレの扉を大森は押した。帰りのホームルームが終わってすぐである。この時間、料理部のメンバはほとんど集まっていない。でも、なぜか散香と泉波と芳樹野は誰よりも早くここに来て、白いブラウス、黒いスカート、臙脂色の前掛けの可愛らしい衣装に着替えて何かをしている。有線のメロディがよく聞こえるくらい、今は静かで、矢沢永吉の「トラベリンバス」が流れている。それを聴いて、大森は陽気になる。ステップを踏んでカウンタで伝票の整理をしている散香に近づく。「りじあなぁ」

「てれんしぃ~」散香は拳を効かせて呼応する。

「しかごぉ」

「はるかろすあんじぇるすまでぇ~」声をユニゾンさせる。

 テーブルを拭いていた泉波はそんな大森を睨む。「あ、君、まだ準備中だよ、勝手に入ってこないでくれる? エイちゃんのロックンロールに合わせて入ってこないでくれる?」

「あ、……えっと、」大森はくるっと振り返って泉波を見た。泉波の力が込められた眼と眼があって、素敵って思った。泉波には大和撫子という表現がしっくりくる。あまり見かけない和美人。眉もキリッとしていて、どことなく男前な雰囲気があって同性からの指示率が高い。「私、大森テルコ、十五歳、あの、エイちゃん、好きなの?」

「はい?」泉波は大森を不審者として見つめて来る。「いや、好きだけども、ウチら皆すきだけども」

「あ、いいの、いいの、」散香が上半身でリズムを取りながら言う。「この娘、新しくウチで働くことになったから」

「ああ、この娘?」泉波は目の前に立って大森の観察を始めた。大森の方が、若干背が高い。見上げられる形になる。大森は何か面白いこと言おうと頭を回転させていたが、まだ彼女のことをよく知らないから、余計なことを言うのは止めようと判断して黙っていた。黙っていると、泉波は気障に微笑んで、それはエイちゃんの微笑みを意識してなのかどうかは分からないが、大森の頭を触る。「へぇ、可愛いじゃん、よろしく」

「うん、とっても幸せ」大森はニヤニヤしてしまう。きっと泉波のさりげないスキンシップが多くの女子を苦悩させてきただろうと推測しながら。

「なにが?」泉波は笑って首を傾げた。「っていうか、敬語使えよ、敬語」

「ああ、ごめん」大森は口元に手を当てた。「ああ、ごめんなさい」

「まあ、いいよ、私にはね、」泉波はウェーブがかった黒髪を払う。「無理しなくて、そういうの気にしないから、気にするのはシオンの方だからさ」

「うん、分かった」

「素直な娘」泉波は言って、テーブルを拭く作業に戻った。

「ほら、ルコちゃん、」散香はちょいちょいと手を動かして大森を招いた。カウンタテーブルにはビニル袋に包まれたままの、マチソワの衣装一式が置かれていた。「事務所でコレに着替えてきて、事務所って言うのはこの前の狭い部屋のことね、ルコちゃん、今日は忙しいからね、なんてたってフライデナイトだからね、フライデナイトは長いよ」

「うわぁ、ありがとう」大森は衣装を抱きしめた。

 散香はクスリと笑った。「そんなに嬉しいの?」

「うん、」大森は満面の笑みで頷く。「じゃあ、着替えてくるぅ」

「あ、そういえば、」散香は大森に顔を寄せて言う。「例の件、どんな感じ?」

「あ、それなんだけどぉ」大森はカウンタの席に座り、散香に顔を近づけた。

「シオン、洗い物終わったよぉ、」カウンタの奥から芳樹野が姿を見せた。今日もポニーテールが素敵だ。活発に左右に揺れている。そして獲物を見つけた目をして大森を見る。「おっ、来たな、新人、しごいてやるから覚悟しろよぉ」

「なんかエロいよぉ、」大森はニヤニヤと反応してしまう。「猥褻だよぉ」

「え、何が?」芳樹野は真顔で言って額の汗を拭った。「ああ、疲れちゃった、シオン、コーラ頂戴」

「はーい」散香はグラスに氷を入れてコーラを注いだ。半分炭酸の泡になった。

「もぉ、へたくそぉ」言いながら、芳樹野は喉を鳴らして飲む。「ぷは、うっめ」

「あ、それで、店長、一応、タイミングを見計らって、お願いしてみたんだけど」

「それで?」

「お願い?」芳樹野はグラスを空にして言う。

「何の話?」泉波も大森の隣に座って聞いてくる。

 対面に散香がいて、両サイドに芳樹野と泉波に挟まれ、大森は少しドキドキしてしまう。

「ほら、二人とも、この前の宴でピアノを引いてくれた女の子いるでしょ、朱澄エイコちゃん、ルコちゃんと同じクラスだっていうから、オファを頼んだの」

「ああ、シオン、とっても気に入ってたもんね、あの、ピアノ」芳樹野はガリガリと氷を食べている。

「彼女、可愛かったよねぇ」泉波はいつの間にかココアパンを食べていた。二人ともお腹が減っているらしい。

「うん、可愛くて、素敵だったぁ、」散香の目はトロンとしていた。今日もどことなく疲れているみたいだ。「とっても情熱的でさぁ、ドキドキしちゃったよねぇ」

「で、オファは成功したの?」芳樹野が聞く。

「うん、一応、定期的に参加してもいいとは言ってくれたんだけど、条件があるって言われてぇ」

「条件?」散香と泉波と芳樹野は声を重ねた。

「うん」

 エイコは何か企む目をして大森に話したのだった。それを大森は三人に伝える。

「いいじゃん、やろうよ」

 店長は即断した。



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