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水の神

 二人の旅はまた一年ほど続いた。

 人気(ひとけ)のまったくない道を歩き続け、到着したのは肌寒い高原地帯である。



 重武装の二人が山を登り切ると、そこには『海』があった。

 水の古代神オオワダツミの住まう地、(れい)(びょう)(かく)


 そこは地殻変動で高原に残された『深海』である。

 とんでもなく深い海をとんでもなく高い山が囲んでいる……と言えば分からなくもないだろうか。断面図を想像するのならそれであっている。


 だが圧巻なのは、その海の透明度だ。

 海水がそこにある、ということはわかる。だがとんでもなく透明で、海底、水底がはっきりと見えるのだ。

 どこまでも深いはずの海の底の底が、暗くなくはっきりと見える。


 そして海の中央には一本の氷の塔が立っていた。

 深海の中央、もっとも深い部分から海面までそそり立つ氷の塔は、さながら氷でできた錨なのか。

 そこに神がいる、というのは疑う余地のないことである。


「前の時も思ったけどよ……ヤバいな。すげえ綺麗だ」

「はい」


 チエはともかく、ヒロシは景色に感動するという情緒がない。

 ここまでの旅でも変化する土地に何の思い入れもなかった。

 だが以前の龍涎蝋(りゅうぜんろう)もそうだったが、この(れい)(びょう)(かく)にも圧倒されていた。

 神秘性というものが度を越えて脳に届いてくる。


 観光に来たわけではない。何時までも感動しているわけにもいかない。

 二人は互いの顔を見合うと、ゆっくりと『第一歩』を踏み出した。


 波一つない不動の水面に二人の靴の裏が触れると、一気に透明度が落ちて氷結した。

 過冷却状態だった水が、振動によって凍結したということだろうか。

 二人がごく普通に歩いていくだけで、神が歩くかのように海面が道を作っていく。


「招かれてるってことなのかねえ」

「……楽観はできません」

「それは俺もそう思う」


 水が一瞬で氷に変わり、道が作られていく。

 無色透明なる神域に土足で踏み込んでいる、という罪悪感を抱かせてしまうほどだ。

 仮に『償え』と言われたら納得してしまうだろう。


 どこまでも深く、見通せる海の上を歩き、二人は中央にそびえたつ氷の土地へ立った。


 とても寒い場所であり、ローカルルールによって水や氷の魔法攻撃が発生しつつづけている。

 そのような土地であっても、二人の背筋に冷や汗が流れていた。


「失礼します! 私は知恵の樹の代理人チエと申す者! 水の古代神オオワダツミ様はいらっしゃるでしょうか!」


 緊張に耐えかねてチエが叫んだ。

 静寂に包まれた氷の大地は、無言のプレッシャーに包まれているようである。

 それこそ深海の水圧のようなものだ。



『無論、いる』



 氷の台地から、つららがそそり立つ。

 海の大渦を凍結させて抜き取ったかのようなヴィジュアルの怪獣が、その巨体を二人の前にさらしていた。


 以前に遭遇したオオカグツチよりもはるかに大きい。

 というより、最初の段階のオオカグツチよりも大きい。

 本気を出したオオカグツチと同じ大きさと言っていいのだろう。


「最初から本気って感じだなぁ」

『無駄に冗長な真似をするのはよくあるまい。とはいえ……まだ二人か。これはもう諦めるべきかもしれぬな』


 首関節を鳴らすように、氷の巨像がバキバキと身を動かす。

 

『さて。長く説明するほどでもあるまい。ここにはお前がもつべき盾が……肉体的状態異常を跳ねのける盾がある。我としても返してやりたいが、お前が力を示さねば返すことができん』

「覚悟の上です」

『そしてそこの、勇者の相棒とやら。お前も相応の戦果を示すのならば、我を調伏したと認めることになる』

「せいぜい励めってか? そういうのはもうお腹いっぱいでね」

『執着は満たしたあとということか? それは結構だが、オオカグツチの時と変わらん。お前が我の調伏を望もうと望むまいと、死力を尽くさねば死ぬだけだぞ』

「……だろうな」


 首が痛くなるほど神を見上げるヒロシは、圧倒的な存在が自分を認識していること、これから真面目に攻撃を仕掛けてくることに参っていた。

 人間とアリほどの実力差があるのに、相手をしてやろうと本腰を入れてきているのだ。もっと虫けら扱いして手抜きをして欲しい。そんな弱音が漏れそうになる。


(なんで前回は勝てたんだろうなあ。なんでまたわざわざ倒しに来たんだかなあ)


 完全耐性を誇る広をして、恐怖が心に沁み込んでくる。

 この神を前に怖気づくことを異常とは言うまい。


「ヒロシさん、大丈夫です。私が戦いますし、守りますから。貴方はアイテム係に徹してください」


 自らも震えながら、チエは前に踏み出した。

 彼女の勇気、強がりにヒロシも引っ張られる。

 自らも強がって盾とメイスを構えた。


「それが簡単じゃないって話なんだけどよ。まったくこんな仕事、受けるんじゃなかったぜ」


 二人は改めて見上げる。

 どう見ても人間が戦えるスケールではない。

 ただ殴りかかってくるだけでもどうしようもないのに、魔法や状態異常で攻めたててくるのだからますますどうしようもない。

 それでも一度は同格を相手に勝ったのだ。そのように鼓舞しながら男女は構えた。


つつらら(津氷柱)


 どっぱんとした津波が視界のすべてをあっさりと埋め尽くした。

 あいさつ代わりの『全体攻撃』に、ヒロシは何もできなくなる。


 自分の力を知るからこそ解決すべき行動が選択できず棒立ちしかできない。


「スキルツリー開放!」


 チエの剣が巨大な大波を斬り割く。 

 大波の内側に収まっていた氷柱の群れすらも斬り割き、二人が立っていた場所は波の被害から守られていた。


「チエ、ありが……」

「次が来ます!」


 波とは行って帰るもの。

 戻る波が後ろから再び襲い掛かる。

 

 戻る波がより一層の破壊力を持って戻ってくるが、それをも彼女は横に剣を振るって押し返す。


『力づくを続けるのも無粋だな。では……ふゆいり(冬煎)


 オオワダツミが何かをした。

 何かをしたことはわかったのだが、今の大波に比べてあまりにも地味で、何が起きているのかわからない。


 視界が濁った、ような気がする。

 息が苦しくなった気がする。

 体が痛くなっていく。


 周囲の温度が下がってきたのだろうか。

 チエがそのように考えを巡らせた時である。


「ん?!」


 ヒロシの鼻と口から水がこぼれた。

 更に鎧の内側にある広の体から、氷の塊がフケのように零れ落ちてくる。


 体の中から水分を奪われている? と考えたのは一瞬のこと。

 ヒロシは自分が『状態異常を跳ねのけている』という事実に行きついた。


「チエ! これは肉体的状態異常の一つ、寄生だ! 肺に水が溜まっていくし、皮膚から内側に氷が食い込んでいくぞ!」


「えっ!?」


「おそらくだが周囲の気温の低下が状態異常の経路だ! 気温が下がっている大気に触れるだけで発現する! 条件が緩い分効果は低いが……バリアがないと防ぐのは難しいぞ!」


『……慧眼だな。浅知恵にしては頭を使う。だがこちらはこれだけで済ませる気はないぞ?』


 過冷却状態の水泡が大量に出現する。

 

 巨大な水風船のように墜落してくるが、氷の地面に着弾すると同時に巨大な氷塊に変わった。


ほうかい(泡塊)


「こんなもの!」


 チエは不調を抱えたまま泡を薙ぎ払う。

 水泡は攻撃されると同時に雪へ変わって地面に降り積もった。


 だがそれだけだ。

 オオワダツミはひたすら水泡を落とし続ける。


 迎撃し続けるチエだが、ついに限界が訪れた。

 皮膚から肉、骨に氷が食い込む。

 息をしても空気が肺に入らない。

 肺の中が重く、冷たくなっている。


「が、がぼっ……!」

「チエ!」


 ヒロシはチエへ、高級な肉体的状態異常治療薬を浴びせた。

 効果は劇的であり、チエの体から氷や水が排出され、さらに傷までふさがっていく。


「ふゅ……ひゅ……ありがとうございます!」

「礼はいい! それより次が来るぞ!」


 氷と水が二条の川を形成する。

 宙を泳ぐ天の川は、ヒロシとチエに向かって来た。


りゅう()


 清流と呼ぶにはあまりにも荒々しい。

 清き水が牙をむき、二人へ超高速で襲い掛かった。



「ぐぉ……」

「きゃあああああああ!」


 全身を氷や水属性耐性で固めているヒロシも、勇者の兜を含めて最高の装備をしているチエも、全力で防御を固めた。

 それでもなお無様に吹き飛び、氷の台地に転がっている。


「このままだとなぶり殺しだな。なあ勇者様、どうしたらいいと思う?」

「……貴方のことを守らずに、私は一人で突っ込みます。その間持ちこたえてください」

「酷いこと言う勇者もいたもんだ、ヒーラーを守るのはパーティープレイの基本だぜ?」

「貴方なら持ちこたえてくれるって信じてますから」


 返事も待たず、起き上がったチエは飛び出していく。

 その顔は少し笑っている気がした。


「信じてます(信じてます)ってか? 裏も表もないってのはいいねえ。気合……入れるか」


 甘えられるというのも悪くない。

 一人になったヒロシは、襲い来る水と氷を見上げた。


「行くぜ……オオカグツチ!」


 召喚(サモン)開始(スタート)

 名称 オオカグツチ

 位階 ハイエンド

 種族 古代神

 依代 重消費型メイス

 強度 3

 効果 炎、光属性の魔法使用可能。

    精神的状態異常付与。

    ローカルルール龍涎蝋(りゅうぜんろう)布令。

 召喚(サモン)完了(エンド)


 ヒロシを中心に、暖かく燃える灯火が展開された。

 (れい)(びょう)(かく)は水と氷が強化される空間だが、彼の周囲だけは龍涎蝋(りゅうぜんろう)となり光と熱が強化される。

 

 つまり相対的にではあるが、この空間内ではヒロシが扱う炎や熱の魔法が有利になり、オオワダツミの扱う水や氷の魔法が不利となる。

 だがそれは大した倍率ではない。ローカルルールによる強化など単体では大したものではないため、同格同士の接戦以外では意味を成さない。


 細かい計算式を想像するまでもなく……。

 迫りくる水と氷の魔法群を前に、ヒロシの光と炎は蝋燭のようなものだった。


「アイツの足は引っ張らねえ!」


 だがそれが人間。大自然の猛威に蝋燭で挑むなど今更のことである。



 自分の発言をチエは順守していた。

 あらゆるセオリーを無視して、ヒロシを置いて前進する。

 圧倒的速度はスピードを極めた前衛職を置き去りにするほど。手にした剣の攻撃力もまた、攻撃全振りの前衛職を遥かに凌駕している。

 それでもなお、相手は強大なる古代神。たった一人で体力を削り切ると思えばこれでもギリギリであろう。

 それを想えば前進したことも無謀ではない。


(精神的状態異常と違って即座に死ぬことはあり得る。でも即座に行動不能になるわけじゃない……!)


 勇む彼女にオオワダツミは忖度をしない。

 むしろ当然だと言わんばかりに猛攻を続ける。


しぶきふぶき(飛沫吹雪)


 隙間なく放たれ続ける雨と雪。氷点下の水圧が彼女の体温を奪い続ける。

 それでもなお彼女はオオワダツミの巨体へ剣を振るい続けた。


「が、がぼ……っ!」

 

 呼吸が辛い。体の外側から、内側から、肉体を痛めつけられている。

 だが不安はない。痛くても苦しくても、すぐ終わると信じている。


「スキルツリーよ……!」


 巨体へ直接斬りつけつつ、その反動で後ろに下がる。

 自由落下に身を委ねながら、彼女は自分の状況を客観視していった。


 動いていた時は気にしなかったが、氷が体の奥に食い込んでいる。

 肺もほとんど水没している。

 水と氷属性の魔法によってダメージを負っている。


 対してオオワダツミには大してダメージを負わせられていない。


 このままでは落下して自分は死ぬ。

 もちろんオオワダツミは何事もなかったかのように勝って終わる。


 そうならないと確信しているからこそ、現状を受け止めていた。

 絶対に受け止めてくれると信じて甘えていた。


「ヒロシさん……助けて!」

「おうよ!」


 下を見なくても確信していた。

 下にいるヒロシが自分に向かって走ってきていると。


 どれだけ装甲が歪んでも、どれだけ血を流しても、どれだけ苦しくて寒くても。

 どんな妨害も乗り越えて、自分の窮地に駆けつけてくれる。


 自分が期待していることを彼は知っていて、それに応えようと全力を尽くしてくれている。


「勇者の相棒、見参だぜ!」


 硬い鎧と屈強な体が、自分を受け止めてくれた。

 彼もまた倒れ込み、雪と氷の地面に転がる。


 自分を受け止めつつあおむけに倒れた彼は、それでも彼女へ薬を与えていた。


 癒される、卑される。

 水や氷が体外へ排出される痛みは一瞬、その直後に体が回復していた。

 薬が最高級の物であり、ヒーラーによるマスターボーナスも影響しているのだろう。

 だがそれより、ヒロシが今も自分を癒してくれていることに癒さ(すくわ)れる。


 また立ち上がって、立ち向かえる。


「あったかいですね、ヒロシさん」

「そりゃ俺の周りはローカルルールであったかいからな」

「そういうのじゃないですよ。わかってるはずです」

「ああ……俺も神官さんの家では暖かくしてもらったからな。そういう感じだろ?」

「はい」


 ギリギリまで相手を削り続けて、限界が来れば下がって癒す。

 前回もこうして戦った、今回もこうして戦う。

 この二人はこうすることしかできない。


「行きます!」


 それでいい。

 彼女は一度も振り返ることなく、ヒロシを背に飛び出していった。


「……行くんだな、何度も」


 全快して立ち向かう彼女を見送るヒロシは、痛ましい顔をしていた。

 だが彼自身こそ痛ましい姿をしている。

 盾などとっくに壊れており、全身鎧も装甲が変形して肉体にめり込んでいる。

 再生しているが装甲が突き刺さったままのため、傷みが加速しているだけだ。

 だがそれでも彼は気にしない。気にするのは見送る彼女の後姿だけだ。


「お前が頑張るんなら、俺も頑張るしかねえわな」


 オオワダツミは飛び込んできたチエを迎え撃つ。

 攻撃が大味であるため、その後方にいるヒロシも余波を受ける。

 これをしのぐだけでもヒロシには死闘だ。だがそれでいい。


「俺は勝てる相手にしか勝てないが……どんな奴相手にも生き残ってきたんだよ!」



 高級な回復アイテムをいくつも持つ彼は、しかし一つも自分のために使用することがない。

 すべてを彼女に捧げるためにも、防戦一方の戦いを継続した。



 晴れやかな朝から始まった戦いは、日没まで続いた。

 美しき神のおわす処を荒らす戦いは、二人の勝利で幕を下ろす。

 その時にはヒロシの装備のほとんどが崩壊し、チエもまた幾度となく命を落としかけた。

 だがそれでも二人はそろって勝利を分かち合ったのだった。

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― 新着の感想 ―
かなり長い期間、ふたり旅してたんですね。
神秘的…… 氷と水を寄生させるとかとんでもねぇ。強い奴が絡め手すればもっと強い理論。 大自然に蝋燭で立ち向かう。人間の意地を表す文が良い! 今日まで生き残ってきたソロヒーラーの意地。アイテムを相棒にだ…
絵に描いた様な「友情・努力・勝利」やが、それの作者が明石六郎さんやっちゅうだけで、なんか背筋がぞわぞわする。
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